第9話

 現世うつしよには、いくつも常世とこよへと通じる扉があった。ただ、その扉は普段は閉じられており、ある一定の条件を越えなければその扉が開くことはない。条件は様々であり、潔姫の女房であった小夜が行ったように生贄を捧げることによって扉を開くことも可能だった。

「どこぞの誰かが、扉の開け方を流布している可能性もあるやもしれんな」

 東寺へと篁たちを招き入れた空海はそう意味ありげに語った。

 もし、そのような者がいるとするのであれば、すぐにでも検非違使に突き出す必要があるだろう。

「それにしても、篁と藤原の乙姫様が一緒にいるとはな。これも運命というものだろうか」

「どういうことですか、空海様」

 その発言が気になった篁は空海に問いかける。

「なんじゃ知らんのか。真己未殿は中納言三守ただもり殿の娘じゃ」

「なんと……」

 篁は開いた口が塞がらなかった。確かに真己未は藤原の乙姫とは言っていたが、まさか中納言三守の乙姫であったとは思いもよらぬことだった。

 中納言三守こと、藤原三守ふじわらのただもりとは、何度か嵯峨帝が開いていた宴で顔を合わせたことのある人物であった。その際に篁の詠んだ歌をひどく気に入ってくれ、三守は声を掛けてくれたのだ。まさか、真己未がそのような縁のある人物の娘であったとは。

「黙っていて申し訳ございません」

 真己未は篁に頭を下げる。

「いや、まさか私も真己未殿が三守様の乙姫であるとは……」

「実は……」

 顔をあげた真己未はじっと篁の目を見つめながら、更に口を開く。

 今度は一体なにを告げられるのだろうか。篁は緊張した面持ちで、真己未の次の言葉を待った。

「実は、篁様にふみを送っていたのもわたくしでございます」

「なんと……」

 その告白には篁も驚かされた。これまで何度か文のやりとりをしていた正体不明の人物。それが真己未だったというのだ。

 真己未は顔を少し赤らめながら、小さな声で「申し訳ございませぬ」と呟いた。

「いや、何を言われるか。少しも申し訳ないことなどありません。むしろ、私は文のやり取りをしていた相手が真己未殿であったと知って、うれしく思っております」

「本当ですか」

「はい」

 真己未は嬉しそうに微笑むと、篁の顔をじっと見つめた。

 そこで空海が自分の存在を忘れられては困ると言わんばかりに咳払いをする。

「続きをお話しても、よろしいかな。今回開かれてしまった扉はまだ閉じられてはおらぬ。その扉を閉じなければ、あの黒冥禍と呼ばれるモノたちは平安京みやこへと出てきてしまうじゃろう」

「では、その扉というのを見つけるしかないのですね」

「そうじゃな……」

「なにか扉を見つける方法などはありませぬか」

 篁が空海に問いかけると、空海は少し何かを考えるような仕草をしてみせた。

「まあ、無くはない。黒冥禍の姿を見ることが出来た篁と真己未殿であれば、その扉を見つけることは出来ないこともないだろう」

「わかりました。では、私が見つけましょう」

「わたしも連れて行ってください、篁様」

「まあ、待たれよ。冥府への扉に近づけば近づくほどに、危険は伴う」

「しかし、誰かが閉じなければならないのですよね、空海様」

「確かにそうではあるが……。あいにくわしは高野山へ行かねばならぬため、お前たちに力を貸してやることは出来ぬのだ。誰か頼りになる人物がいればいいのだが」

 眉を八の字に下げ、空海は困ったような表情をしてみせた。

 頼りになる人物。あやかしやもののけのことに詳しく、力になる人物。そう考えた時、篁の脳裏にひとりの人物が思い浮かんだ。

「おります。おりますぞ、空海様」

「ほう。どこぞの誰じゃ」

「陰陽寮の者です」

「なるほど、陰陽師か。その者は頼りになりそうなのか、篁」

「はい。以前、共にもののけ退治をしたことがございます」

「ほう、もののけ退治か……。では、その者を頼ることにすると良い。そうじゃな……わしが一筆書いてやろう。陰陽寮であれば知り合いも多い」

 空海はそう言うや否や、紙と筆を弟子の僧に持ってこさせて文を書いた。

「もし、その陰陽師が断るようであれば、この文を陰陽頭おんみょうのかみに見せると良い。陰陽頭には貸しがあるからな」

 空海はそう言うと、ホッホッホと笑ってみせた。



 第二話 乙姫 了

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