第7話

 腰に佩いている太刀を抜いた篁は、右手に太刀、左手に松明を持ち、周りを囲んでいる黒冥禍たちの一角へと突っ込んでいく。松明の灯りは、黒冥禍たちを怯えさせるため、隙ができる。その隙を突くようにして、篁は太刀を振る。

 真己未もただそれを眺めているだけではなかった。篁と同じように松明を手に持ち、その松明を振りかざしながら、多彩な足技で黒冥禍たちを蹴り飛ばしていく。

 篁と真己未は自分たちを取り囲むように集まってきていた黒冥禍たちを次々と蹴散らしていくが、数が多すぎた。倒せど、倒せどどこからともなく湧き出てくる黒冥禍たち。次第に篁と真己未の動きは緩慢になっていく。篁の太刀を握る手は汗で滑り、また真己未も疲れを感じはじめていた。

 そして、せっかく一角を切り崩したにもかかわらず、篁と真己未はいつの間にか背中合わせとなり、自分たちの身を守ることで精一杯な状態に陥っていた。

「真己未殿、大丈夫か」

「ええ、何とか」

 ふたりは肩で息をしながら言葉を交わす。

 次第にふたりと黒冥禍たちの距離はほとんど無くなり、松明の炎を恐れない黒冥禍が手を伸ばせば届いてしまう距離まで近づいてきている状態となっていた。

 なんとかして真己未だけでも助かるように退路を切り開かねば。篁がそう考えはじめていた時、地面が大きく揺れた。地震だろうか。そう思ったと同時に、この世のものとは思えない断末魔が聞こえてきた。

 その声がした方へ篁と真己未が目を向けると、そこには地面に頭をめり込ませて倒れる大黒冥禍の姿があった。どうやら、阿母が大黒冥禍を投げ飛ばしたようだ。

 大黒冥禍の大きな体は周りにいた黒冥禍たちを押しつぶし、さらには自らも動けなくなっている。

 そこへ阿母が追い打ちを掛けるかのように、毛抜形蕨手刀を大黒冥禍の胸のあたりに突き刺す。すると大黒冥禍は身体を痙攣させるかのようにビクビクッと身体を震わせると、次第にその力を弱めていった。

「わしの勝ちじゃ!」

 阿母が雄叫びをあげる。

 すると周りにいた黒冥禍たちが蜘蛛の子を散らすかのように逃げ去っていく。

「乙姫様、篁様」

 大黒冥禍を退治した阿母が満面の笑みを浮かべ、手を振りながら走ってくる。その身体は先ほどと違い、元の大きさに戻っており、浮き上がっていた模様も消えていた。

「阿母、助かりました」

 そう言うと真己未は、力なく膝から崩れ落ちていこうとする。

 慌てて真己未の腰のあたりに手を添えると、篁はその身体を支えた。

「すいません、篁さま……」

「大丈夫ですか、乙姫様」

 篁に支えられている真己未のことを心配そうな顔で阿母が見る。

「ありがとう、阿母。なんとか大丈夫です」

「さあ、乙姫様、篁様。黒冥禍たちが姿を消しているうちに東寺へ向かいましょう」

 阿母はそう言うとふたりを先導するかのように先頭を歩きはじめた。


 不気味なほどに静かだった。

 先ほどまでは黒冥禍たちの奇声のようなものが聞こえていたのだが、いまは犬の遠吠えすらも聞こえては来ない。

 しばらく歩くと、大きな通りに出た。そこは大内裏の朱雀門から羅城門まで伸びる平安京みやこで一番大きな通りである朱雀大路だった。

「人っ子一人いない朱雀大路というのも不気味ですね、乙姫様」

 阿母がきょろきょろと辺りを見回しながら言う。

 風が吹いた。

 どこからか鈴の音のような甲高い音が聞こえた。

「阿母っ!」

 篁は叫びながら阿母のその小太りな身体を突き飛ばした。

 突然のことに驚いた阿母はそのまま前のめりに倒れる。

「な、なんじゃあ」

 少し怒ったような口調で阿母が声を上げたが、すぐに自分が助けられたことを知り、今度は驚きの声を上げた。

 先ほどまで阿母が立っていた場所に、何やら先の尖った大きな針のようなものが数本刺さっていた。

「何者だ」

 篁が松明の明かりを闇の中へと向けながら言う。

「勘の良い男だこと」

 くすくすと笑うような女の声が聞こえてきた。

 しかし、その姿は見えない。

「姿を見せられよ」

「あらやだ、気が短いのね。早い男は嫌われるわよ」

 そう言って闇の中から姿を現したのは、背丈の大きな女だった。その背の大きさは、篁よりも遥かに大きく、とても現世の者とは思えぬような気配があった。少し前の時代の朝廷に仕える女官が着ていたような、したもと呼ばれる長い丈の衣にと呼ばれる褶よりも少し丈の短い衣を重ねて着ていており、どことなく妖しい雰囲気が漂っている。

「何者だ」

「そんな矢継ぎ早に言わないでちょうだい。まったく、いい男が台無しよ。小野篁さん」

「私の名前を知っているのか」

「ふふふ。知っているわよ。文章生の小野篁でしょう。これであなたはしゅに掛かったわ」

「何を言うか」

「本当の名前を相手に教える。それはしゅに掛けられる恐れがあるって、習わなかったのかしら」

 そう言われて、篁はハッとなった。その言葉は陰陽寮の陰陽師である刀岐浄浜から言われたことがある。だから、決して本当の名前を名乗ってはならないと。だから、刀岐浄浜と一緒の時は野篁やこうと名乗っていたのだ。

「おい、お前。わしにさっき針みたいなのを投げつけてきたのは、お前か」

「まあ、なんて無礼な蝦夷なのかしら」

「無礼はどっちだ。わしには阿母という名があるわい」

「阿母。おかしな名前だこと。あなたも学習能力が無いのね。これでふたり呪に掛けられるわ」

 女はそう言うと懐から人の形をした白い紙を取り出して、そこに息を吹きかけた。

 すると不思議なことが起きた。その女が息を吹きかけた白い紙が見る見るうちに大きくなっていき、人の姿となったのだ。

 そこには、篁と阿母にそっくりの男がふたり立っていた。

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