第13話

 検非違使は平安京みやこの治安維持と民政を所管するために衛門府えもんふ内に作られたものだった。検非違使の歴史は浅く、嵯峨帝が荒れた平安京みやこを守る組織が必要だと考えて設立したものである。それまでは軍団と呼ばれる軍事組織が軍隊や警察として治安維持などに務めていたのだが、それは桓武天皇の行った行政改革で廃止されていた。検非違使は基本的に、衛門府の武官が兼務をすることとなっており、弾正台といった同じく朝廷の治安組織と連携しながら、平安京みやこの警察機能を担っている。

 衛門府へと飛び込んだ篁は、先ほど見聞きしたことを宿直の検非違使に伝えた。篁の話を聞いた衛門府の武官は、検非違使を引き連れて現場へと出動していった。検非違使は、衛門府の武官と元罪人である放免ほうめんなどで形成されているちょっと変わった組織だった。元罪人である放免については、蛇の道は蛇ということもあり、悪いやつのことは悪いやつが一番わかっているということで、罪を許された放免たちを起用していた。放免たちも活躍次第ではそれなりの報酬が得られるようで衛門府の武官たちと共に、平安京みやこの治安維持に一役買っているのであった。

 どっと疲れが出ていた。すでに時刻は寅刻とらのこく(午前三時過ぎ)を迎えており、大内裏が活動をはじめる時間となっていた。

 当時の貴族というのは、朝が早かった。寅刻に内裏の門が開かれ、それを知らせる合図の太鼓が鳴らされる。その太鼓の音を目覚まし代わりにしている者は多く、まだ暗い中で起きて、朝の支度をはじめるのだった。

 このまま屋敷に帰って寝てしまえば、きっと一日中寝てしまうだろう。篁はそんなことを思いながら、衛門府を出ると、自分の屋敷のある右京に向かって歩きはじめた。

 屋敷には篝火が灯り、朝食の支度をしている音が聞こえてくる。あと数刻もすれば日が昇り、市中には人が大勢出てくるだろう。

 検非違使たちは貴族の屋敷を襲ったという盗賊たちを捕まえることが出来ただろうか。そんな心配をしながら篁が暗がりを歩いていると、突然上から人が降ってきた。

 驚いた篁は飛び退いて、その降ってきた人を避けようと思ったが、自分がここで避けてしまえば降ってきた人物は頭から地面に叩きつけられてしまうだろう。そう考えて、持っていた松明を少し離れたところに投げ捨てると、降ってきた人物を抱きとめた。

 それは思っていたよりも軽かった。そして、柔らかく、それが女子おなごであるということがわかった。

 しかし、その女子の格好は直垂に小袴という男の着物を身に着けており、顔を隠すかのように布作面を付けていた。

「どこから降ってきたのだ」

 篁がそう言うと女子は篁の手を払いのけるようにして、地面に自分の足で降りる。

 おそらく、この女子は近くにある貴族の屋敷の塀を乗り越えてきたのだろう。そして、飛び出した勢い余って、道を歩いていた篁のところに落ちてきたというわけだ。

「礼はいう」

 やはりその声は女だった。

 女子はそれだけ言うと、走ってその場から去っていこうとしたが、足を痛めたのか、すぐにその場にうずくまってしまった。

「大丈夫か」

「構うな……」

 そんなやり取りをしていると、少し先の辻に灯りが見えた。

「いたか?」

「いや、見失った」

「そこに誰かいるぞ」

 声が聞こえたかと思うと、篁は三人の男たちに囲まれた。

 男たちの格好からして検非違使であるようだ。

「おい貴様、このような時刻に何をしているのだ」

 ひとりの検非違使が篁に棒のようなものを突きつけながらいう。

「私は怪しい者ではありません。文章生の小野篁というものでして、先ほど衛門府に通報を行った者です」

「何だと?」

「そんな話は聞いておらんぞ」

 検非違使たちは睨みつけるような目で篁のことを見る。だが、篁のほうが身体は大きく、検非違使たちは篁のことを見上げるような感じで見ていた。

「その者はどうなのだ」

 検非違使のひとりが足を痛めてうずくまっている女子を指さしながら言う。検非違使たちには顔が見えていないため女子であるということはわかっていないようだ。

「これは……私の連れです」

「このような時間に男が二人で市中を歩いているということ自体が怪しいな」

 訝しげな表情を浮かべながら検非違使が言う。

 すると、ひとつ先の辻から大きな声が聞こえてきた。

「いたぞ。あっちへ逃げた。追えっ」

 その声に検非違使たちは反応して、振り返る。

「おい、行くぞ」

「お前らもこんな時間に出歩くんじゃない。最近は盗賊がよく出るからな注意しろ」

 検非違使たちはそう言うと、声のした辻の方へと走っていってしまった。

 松明の炎が見えなくなったのを確認してから、篁はうずくまっている女子に声を掛けた。

「もう行ったぞ。それよりも大丈夫か」

 篁はかがんで女子に顔を近づける。

 布作面を付けて顔の下半分を隠しているが、やはりその顔立ちは女子に間違いなかった。

「なぜ、助けた」

「助けた? まあ、そういうことになるのか。別に助けたつもりはないが」

「わたしは……」

「足首を捻ったのか? ちょっと見せてみろ」

「な、なにをする」

 篁はひょいと女子の足首のあたりを掴むと、ぐっと力を入れて引っ張るような動きをしてみせた。

「痛っ!」

「すまん、ちょっと痛かったかもしれんな。だが、もう大丈夫なはずだぞ」

「え?」

 女子は立ち上がると数歩動いてみたが、足に痛みを感じること無く歩けたらしく、驚きの声を上げていた。

「どうやったのだ」

「なに、戦場いくさばに出れば、このくらいの怪我は治せなければ生きていけぬ」

 そう言って篁は立ち上がると、大きく伸びをしてみせた。

 それはさっさとこの場から去れという篁なりの優しさでもあった。

「……この礼はいずれ」

 女子はそう言うと松明も持たずに暗がりの中へと消えていってしまった。

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