第12話
事の一部始終を潔姫に話した篁は、その夜は良房とともに潔姫の屋敷を後にした。
潔姫は阿傍に捕まった時のことは何も覚えていないらしく、気づいたら部屋の中で気を失っていた状態だったと篁に話した。それは良房も同じようで部屋が真っ暗になったところまでしか覚えてはいなかった。
詳しい話をしても何も信じてもらえないだろうと思った篁は、屋敷が安全になったことと、贄として阿傍に捕らえられていた女子を助け出したということだけを説明しておいた。
贄だった
正気を取り戻した彼女は篁に礼を述べると、顔を赤らめながら逃げるようにして潔姫の後ろへと隠れてしまったため、特に話をすることはできなかった。
「不思議なこともあるものだのう、篁」
ずっと気を失っており、何が起きていたのか本当のことを知らない良房は呑気な口調で篁に言うと、まだ寝たり無いのか大あくびをしてみせた。
阿傍を呼び出したという女房の小夜の行方については、わからないままだった。
潔姫は小夜については、検非違使に届け出てみると言っていたので、近日中に検非違使による捜索が行われるだろう。
「実はお前に言っていなかったことがあるんだ、篁」
牛車が良房の屋敷に近づいてきた時、良房が真剣な顔をして言った。
「なんだ、急に」
「いや、ずっと言おうと思っていたのだ」
あまりにも真剣な面持ちで良房が言うため、篁はじっと良房の目を見て次の言葉を待った。
「実は結婚することになったのだ」
「なんと、それは目立たいではないか」
「相手は潔姫なのだ」
「まことか、それは」
さすがの篁もこれには驚きを隠せなかった。良房と潔姫が文のやり取りをしていたことは篁も知っていた。そして、その文の内容が恋文のようなものであるということも。しかし、まさか潔姫と良房が結婚するとは思いもよらぬことだったのだ。なぜならば、潔姫は
「先日、嵯峨帝よりお許しが出た」
篁はこの信じられない出来事を自分のことのように喜んだ。良房と潔姫の気持ちを一番わかっているのは、文の代筆を行っていた篁なのだ。篁は第三者でありながら、ふたりの気持ちの代弁者のようなものだった。
「そうか、めでたいな。おめでとう、良房」
そう言って篁は良房の肩を手のひらで何度も何度も叩いて喜びを示した。
「痛い、痛いって、篁」
良房は篁に叩かれた肩を痛がってみせたが、それは照れ隠しであった。
「後日、改めて祝いをさせてくれ、良房」
そう篁は良房に伝えると、牛車を降りた。
良房の屋敷から篁の屋敷までは、少し距離があったが篁は徒歩で帰った。文章生という立場にあることから、自前の牛車などはもちろんあるはずがない。それに牛車で移動するよりも歩いた方が速いのだ。篁は、良房の屋敷で松明を借り受けると、それを持って右京にある自宅へと向かった。
夜空には半分ほど欠けた月の姿が見えていたが、時おり風に流れてやってきた雲の影に隠れてしまい、辺りが闇に包まれることもあった。
松明の灯りは、自分の周りを照らすことはできるが、ひとつ先の辻の様子などは何もわからない。あるのは闇である。篁は慎重な足取りで歩いていた。
「もし――」
暗闇の中から声がした。
篁は足を止めると、その方向へ顔を向け闇の中にいる人物を見極めようと目を凝らした。
「ここにおります。怪しいものではございません、そちらに近づいてもよろしいでしょうか」
声は女のものであり、言葉遣いも悪くはなかった。
しかし、油断はできない。すでに時刻は丑刻(午前二時頃)を過ぎている。このような時間に外を出歩いているような人間などほとんどいるわけがないのだ。
そのため篁は警戒をして、腰に佩いている太刀をいつでも抜けるようにしながらも、その言葉に答えた。
「どうかされましたか」
篁はあえて松明の灯りを声のした方へと近づけた。もし、襲いかかってきた場合に太刀を抜くのが間に合わなければ松明でどうにかすることも考えた行動だった。
暗がりから姿を現したのは、小袖に
「私のお仕えしている屋敷が……」
「屋敷がどうかされましたか」
「あの……盗賊に……」
そこまで言うと、女は倒れてしまった。
慌てて篁が抱き起こそうとすると、手がぬるりと滑った。なにかと思い、自分の掌を篁が見てみると、掌は血に塗れていた。
女は背中を斬られていたらしく、背中は血で真っ赤に染まっていた。
「おい、しっかりしろ」
篁は女に声を掛けたが、女は力なく倒れたままで目を開けることはなかった。
おそらく女はどこぞの貴族の屋敷の
辺りを見回したが、どこかで騒ぎが起きている様子もない。
とりあえず、これは検非違使に届ける必要がある。そう考えた篁は、来た道を戻り、大内裏にある衛門府へ向かうことにした。
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