第41話 赤の呪いー4

 青カビといっても特別なものではない。

 みかんでも段ボールに放置していれば青カビは生える。

 今回はたまたますでに保存されていたが、なければ炎天下で果物やパンでも放置していたら青カビは手に入るだろう。


 そして少しでも手に入ったのなら培養できる。

 幸い、この工房では青かびを集めて壺にいれていたので、これを増やすことにする。


「まずは青カビを増やす」


 小皿を大量に植物操作で作り出す。

 

「手順は知っている。だが細かい比率などはわからない。まずは効率の良い培養液の作成からだな」


 アナスタシアの工房と農場には多くの作物がある。

 その中に、芋があったので俺はそれをとってきて、鍋で煮込んだ。

 これによって、でんぷんや糖が滲んだ芋の煮汁ができる。


「あとは……米のとぎ汁だが、量産するには米がいる。米は少し手間だから豆乳でいこう」


 俺は『種子作成』で魔豆のタネを手に入れた。

 そして魔豆を植えて、成長促進を使う。やはり肥沃な大地だけあって問題なく魔豆が成長した。

 そこからさらに、成長促進を続けると、カラカラと魔豆は、ほぼ大豆のような豆に変化する。


「この大豆をすりつぶす」


 俺は植物操作で臼を作った。

 さらに植物操作で、入れた大豆をすりつぶす。手作業よりもずっと早くぐちゃぐちゃに潰れた。

 これを水に入れて煮立てる。


「あとはろ過だが…………そうだな」


 これから不純物を取り除くために、ろ過を何度も行う。

 本来であればフィルターなんかがあればいいが、そんなものはこの世界にない。


 なので魔綿を使おうと思う。

 しっかりと圧縮すれば十分フィルターとしてろ過装置の役割を果たしてくれるだろう。

 俺は庭の空いているスペースで魔綿を植えて、成長促進で綿を生み出した。

 すぐに大量に綿が取れたので、それを集める。


「うん、ろ過としては十分だな」


 その綿を使って、先ほど大豆を煮たてたものを通し、大豆などをろ過。

 うん、これで豆乳の完成だ。


「あとはこの比率だな。1対1からあらゆるパターンを用意しよう」


 さきほど大量に作った器に、豆乳と芋の煮汁を少しずつ比率を変えながら注ぐ。

 そして青カビが貯めてある壺から取り出して、少しずつおいていく。


 これを煮汁をさらに煮詰めたり、豆乳をさらに濃くしたりと、大体1000種類ほど用意した。

 初日はそれだけで終了してしまったが、あとは数日放置するだけでいい。これで最も青かびが増えた比率を使おう。


「ふぅ……よし。アナスタシア達の様子を見るか。もう……深夜だな」


 もう月が照らす夜。

 ここには、ネオンの明かりもなく深い闇だった。

 俺は松明を手に、アナスタシア達のほうへと移動した。


 おそらく一番広いあの使われていない工房を使っているかな。

 あそこなら100人は余裕で入るだろう。


 だが、俺は甘く見ていた。


「もうここはいっぱいだ! フィーナ殿!」

「第二工房を開けました!! そちらに!」

「動ける者は、発症者でもいいです! 手伝ってください!!」

「重傷者は、こっちへ!」


 そこはまるで野戦病院だった。

 ソンが次々と、重傷者を運び、工房の器具は次々と投げ捨てられている。

 ベッドの上など悠長なことはいってられず、空いたスペースに次々と重傷者が並べられていく。

 

 発症はしているが、アナスタシアのように動ける継承者も顔を青白くしながらも看病を手伝っていた。


「…………」


 俺は無言で背を向け、家に戻った。

 アナスタシア達は、アナスタシア達の戦いをしている。命を懸けて戦っていた。

 なら俺も戦わなければ。


 すでに100人以上の患者が運び込まれている。

 ここから加速度的に患者は増えていくのだろう。


 梅毒は潜伏期間の長い性感染症だ。さらに無症状期間もある。

 それがエルフと相まって、何か性質が変化し、数十年単位で潜伏。そして爆発。そんなところだろうか。


 エルフは、ほぼ全員が性交ができるほど身体的には若く、そして女性はあのとおり性に対して開放的だ。

 ならばこの病が爆発的に広がるのも頷ける。

 きっとまだ潜伏しているだけで、ここから加速度的に患者は増えていくだろう。


「急がないと」


 



「オルド、いいのか。これで」

「…………ガルディアか」


 オルドは王都にある王城に作られた自分の書斎で、大臣からの報告を受けていた。

 500年以上の付き合いであり、同期でもあった大臣のガルディア。

 エルフェンオーブは、500年前は王政――それも女王が納める国だったが、王政は廃止され、今はオルド首相をはじめとする共和国となっている。

 その建国を共に奮闘した男だった。


「すでに100人以上が運ばれている。看病だけでも人が足りなすぎるぞ!」

「…………構わん。元々殺す予定だった者たちだ」


 オルドは部下に、アナスタシアの農場に発症者を運ぶように指示した。

 国中で発症していた本来殺される発症者は、死かこの工房にいくかを選択させられ、ほぼ全員が農場に移動している。

 その数は、これからも増えていくと想定されている。

 

「用が済んだなら出ていけ、これが俺の覚悟だ」

「…………わかった。お前の決定に従う」


 オルドは、一人になった書斎でゆっくりと深く椅子に座る。

 そして、一点を見つめた。

 机の上に置かれた一枚の絵――そこには、自分とそして一人の女性エルフが描かれていた。


 その絵を手に取るオルド。

 そこには、今は亡き妻――オリヴィアと自分が笑顔で描かれていた。


「私は……何を為す……か」


 その二人の腕の中には、小さな天使のような二人の赤ん坊も一緒に。





 ~四日後。


 赤の呪いがエルフェンオーブで発症してからすでに四日が経過した。


「セカイ様、半日でいいので休んでください。四日不眠不休は訓練した兵士でも倒れます」

「お前も四日間働きっぱなしだろう」


 作業に没頭していると、後ろからソンが俺の体調を心配してか様子を見に来た。


「私は、これでも元騎士団長です。これぐらいの肉体労働なら。ですが、セカイ様は……倒れられては、変わりはいません」

「わかっている。だが、これは俺以外できないことだ。もし半日休んでアナスタシアが死んだら、俺は一生後悔する」

「そのアナスタシア殿ですが……倒れました。まだ息はありますが、疲労も込みで今は気絶するように眠っています」

「……わかった。戻れ、ソン」

「…………御意」


 ソンは頭を下げてすぐに戻った。

 俺は目の下にくまを作りながら、もう一度作業を開始した。


「この比率が一番、青カビが繁殖する。せめてアナスタシアだけでも投与を開始しよう」


 青カビからペニシリンを抽出する手順は、複雑だ。

 まずは、この培養した青カビを樽に入れる。

 その際、筒状にした木の棒にしっかり魔綿を敷き詰めたこの特性のろ過装置を通す。

 これを仮に青カビエキスとでも呼ぼう。


「青カビエキスを入れた樽の中に、大豆油を入れる。そして混ぜる」


 油を入れることによって、「油に溶ける脂溶性物質」「水にも油にも溶けない不溶性物質」「水に溶ける水溶性物質」の3種類に分離する。

 そしてこの水に溶ける水溶性物質こそが、ペニシリンだ。


 俺は樽の底にある栓を抜く。

 水は油よりも重いので樽の下に行くのは道理だ。


「取り出した水溶液。この中にペニシリンがいるが、このままでは純度が足りなすぎる。ここから不純物を取り除くために、砕いた炭をいれる」


 炭自体はこの世界でも常用されているので手に入れるのは簡単だった。

 ペニシリンは炭に付着するため、取り出した水溶液に炭を入れてかき混ぜる。

 そして取り出す。


「これを蒸留した水で洗い、不純物をさらに取り除く。次に酸性水を注いでさらに洗う」


 酸性水とは、簡単にいえばお酢+水だ。

 お酢を薄めたものを使うが、この世界にはお酢がなかった。

 ならどうするか。酒だ。

 ここに来た目的である日本酒、米を使って作ったそれに、リンゴなどの果実を入れて放置しておけばリンゴの皮などにいる酢酸菌がアルコールを勝手に発酵させてお酢に変えてくれる。いわゆる米酢というやつだ。別に米じゃなくてもいい、麦からでも同じように作れるので、そちらも試している。量産にはおそらくそちらを使うことになるだろう。


「これで炭には不純物はほとんどついていない。最後にこれをまた魔綿を排出口に詰めた樽に入れて、アルカリ水を入れる」


 これによって、炭についたペニシリンがアルカリ水によって溶けて一緒に流れ出る。

 アルカリ水は、簡単だ。石鹸作りのときに使った木灰を溶かした水を使える。


「排出口からでてきたこれが純度の高いペニシリン水溶液だ。これを少しずつ……コップ一杯分ほどにわけて取り分ける」


 俺はここまでの手順を、羊皮紙に記載した。

 前世の紙に比べたら、書きづらく詳細に書けないのがもどかしい。

 

「あとは、これの薬効を調べる。ゼラチンがあったのは運がよかったな。まぁ化学製品ではなく、動物からとれるコラーゲンだしこの国ならあるか」


 ゼラチンに、青カビを培養するときに作った汁を混ぜる。

 そこに患者の膿から取り出した菌をつける。

 あとは、コップ一杯分ごとに取り分けたペニシリン溶液を垂らして、しばらく置く。

 もしこれが正しくペニシリン溶液であれば、垂らした部分は菌が繁殖せず、まるで水玉模様のようになるはずだ。


「これで数日待てば、薬効が確認できる」


 そして初日にこれを徹夜してやったものがすでにある。

 既に三日たったので、確認できると思い、一つずつ薬効を確認すると。


「……成功だ」


 10個のうち、真ん中の一つだけ、薬効が確認できたものがあった。つまり一番濃くペニシリンが溶け出したということだ。

 俺は小さくガッツポーズをする。

 だが、これはテストだ。ほとんど分量はない。


 そのとき、とたんに頭に痛みが走った。


「頭痛か……そういえば飯も食ってなかったな」


 この四日間、不眠不休、さらに飯も食ってない。

 水とトイレぐらいだろうか。それ以外はペニシリンの作業にかかりっきりだった。


「懐かしいな。この感じ……働きすぎて死ぬんじゃないかってやつだ。でもまだ……休むなよ」


 この手順を何度も繰り返し、大量のペニシリン溶液を作り出さなければならない。

 こんな微量では、とても国中の患者分は足りないからだ。

 まだまだ、俺が休むことはできない。

 

「よし、あとはこれを誰でもできるよう――!?」


 立ち上がったその瞬間、俺の視界は暗転した。全身から血の気が引いて、意思ではどうすることもできない。

 まずい、ここで俺が倒れたら間に合わない。


「セカイ様!!」

「ソン…………」


 だが、ソンが俺を抱きかかえた。

 パンを持っているので、おそらくは俺に食事をでもと思ったのだろう。


「限界です、セカイ様!!」

「大丈夫だ」

「いいえ! 私の目から見ても、もう限界をとうに超えています。…………すべてを救うことを諦めましょう、重傷者は諦め、軽症者だけに絞ります。それなら猶予も生まれるし、私もセカイ様を手伝える!」

「だめだ」

「なぜ!!」


 俺は虚ろな目で、ソンを見る。


「遺族の前で、眠くて、辛かったので……あなたの家族を救うのは諦めましたと言えるのか。お前は自分の家族が同じ目にあった時、わかりましたと納得できるのか」

「それは……」


 ソンは唇を噛みしめて、言葉に詰まる。


「誰しもが、誰かにとって最愛で、誰かにとってかけがえのない誰かだ。忘れるな、ソン」

「…………御意」


 俺はもう一度、立ち上がる。

 ソンは目を閉じ、そしてゆっくりと俺を離す。

 そのときだった。

 

「なら、私からもあなたに言いたいことがありますね。セカイ様だって、誰かにとっての最愛…………かもしれないと」


 俺は後ろを振り返る。

 そして思わず、笑ってしまった。

 たぶん、安堵してしまったのだと思う。俺がこの世界で最も信頼できる人間がそこにいたからだ。


「あんまり遅いので、迎えにきました。マイマスター」


 銀色の髪をなびかせて、いつものように冷たくもそして暖かい目をした少女が立っていた。


「レイナ様!」

「レイナ……なぜ」


「あまりに遅いと迎えに行くといいました。そしたら赤の呪いで国は、大騒ぎ。セカイ様のことですし、きっと渦中だと思えばやはりここでしたね」


 見透かすように俺に近づくレイナ。

 それを見て、俺はレイナから離れた。


「出ていけ、レイナ。ここにいればお前も感染する可能性がある」

「そういうセカイ様はどうなんですか?」

「俺は……すでに感染している可能性がある」

「この呪いは、接触……特に濃厚な接触をすれば呪われると言われていますが? へぇ~したんだ、濃厚接触。へぇ~」


 じとっーーー。


 レイナが凄いじとっとした目で見てくる。

 

「ち、違うぞ! 俺は何も悪いことはしていない! 不貞などしていない!」

(なぜ浮気を問い詰められてる夫のような感じなのか……)

「セカイ様は、この国の首相を説得するため感染者の女性と望まぬキスをされたのです。レイナ様」

「ソン!?」

「ここは正直に言うのが吉かと」


 くっ。だが変に嘘をついても後が怖いか。

 それに俺は自分のしたことが間違いだとは思っていない。

 堂々と胸を張ろう。誇りをもって、キスをしました!


「はぁ~あなたはそれでも悪逆貴族のノクターン家ですか。また誰かのために……どこまでお人よしなんですか」

「人生とはままならぬものよ。それに回りまわって俺のためだ」

「わかりました。では、少ししゃがんでください。届かないので」

「ん? なん……――!?」


 言われた通りにしゃがむ。

 直後、俺の顔を両手で挟むレイナ。

 そして、俺の顔を引き寄せて、俺にキスをした。


「な、な、なぁ!?」

「何を驚いているんですか、ファーストキスでもないんでしょ? 私はファーストですが。私は!」

「なんで……」

「上書きしておきました。知ってますか? 男は初めてを、女は最後が欲しいんですよ」

「お前……それってもしかして……そういう?」

「勘違いしないでください。私は命令されていますから。どこまでもお供しますと。それに、これで私も呪われましたね」


 俺はため息を吐く。


「どこまでもって……あの世にまでついてくるつもりか」

「イエス、マイマスター。最初にいいましたよね。たとえそこが地獄でも……どこまでもお供しますと」


 いつものように、レイナは涼し気な表情で微笑んだ。

 でもその顔は見たことがないほどに真っ赤だった。

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