意味の外側

針間有年

***

 意味のないことは、本当に意味のないことなのだろうか。

 例えば空を見上げること。

 空から鳥の声がしたから。雨粒が落ちてきたから。

 それは確かめるという意味がある。だが不意に、なんとなく、なんてこともある。そこに意味はない。だがその行為は本当に意味がないのだろうか。

 確かに空を見上げて何かあるわけではない。だがしかし、そこに魚が浮かんでいることもある。

 私が何気なく空を見上げたその時、白い魚が視界をよぎった。それは明らかに雲ではない。厚みを持った確かな生きものだった。

 目で追っていると、やがてビルに隠れた。今度は足がそれを追った。

 それを追うことに意味はない。私に益をもたらすわけではない。何をしているのだろうと、きっと見間違いだろうと思いながらも、白い魚は私を惹きつけた止まない。

 息を切らせて入った路地。そこを抜けると巨大な水槽があった。

 おかしい。この路地の先は地方のスーパーのはずだ。

 だが、今はそれより水槽がひどく気になった。幅五十メートルほどの透明な水槽。この空間には白い壁と水槽しかない。そして、中には先ほど見た白い魚が数匹、悠々と泳いでいる。水槽の底に敷かれたサファイアのような石。揺れる水草も同じような色をしている。魚はその白い鱗に青を写し、きらきら、と。

 私はそれをぼんやりと眺める。魚たちは時折こちらをちらと見るが、実際に見ているかは分からない。

 お互いに何のアクションを起こすわけでもない。ただ、そこに、ある。

 白い魚と大きな水槽。そして、私。

 意味もなく空を見上げ、意味もなくここにたどり着き、意味もなくただ眺めている。

 この意味のないことに、意味はあるのだろうか。

 素晴らしい体験だ! なんて誰かは言うかもしれない。だが、今ここにいることは体験などという能動的なものではなく、ただただ、意味のない羅列の結果。

 だが、それに意味はないのだろうか?

 そもそも意味とは何だろう。

 何かを生み出すこと? 何かを得ること?

 ただ、白い魚と水槽と私がある。ただ在る。

 この私たちの「在る」はそんな大層なものではない。意味などないのかもしれない。

 いや、意味の外側に「在る」ものなのか。

 そんなことを考えているうちに彼らは消え、私はスーパーの喧騒の中一人佇んでいた。

 意味のないことに意味はない。

 だって、それは意味とは違う場所、意味の外側に浮かび、漂い、回遊し、そこに「在る」ものだから。

 今日も白い魚は空に浮かぶのだろう。そこに意味はない。

 今日も私は何気なく空を見上げるのだろう。そこに意味はない。

 私たちは今日も意味の外側で、ただ在るのだろう。


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意味の外側 針間有年 @harima0049

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