第7話 10月11日

 子供の頃、私はドラえもんのアニメが大好きだった。


 のび太役の小原乃梨子さんが今年の夏にお亡くなりになったばかりだったが、立て続けにドラえもん役の大山のぶ代さんも今日、90歳で旅立たれた。


 私は、おそらく旧ドラを見てた最後の世代であろう。人生で初めて映画館で見た映画が、「太陽王伝説」というマヤ文明を舞台にした物語だった。


 ドラえもんは、多方面の学びを私に与えてくれた。その中でも特にSFと理系的な要素がふんだんに織り込まれ、藤子・F・不二雄はまさに漫画界のジュール・ヴェルヌのような存在に思えた。


 手塚治虫由来の映画要素の取り入れも、赤塚不二夫同様に多く取り入れられており、幼少期、私が見てきたこれらのものが、大学時代のモラトリアムを埋めるきっかけになった。古い洋画を漁り見るのだが、マカロニ・ウェスタンやシェーンや真昼の決闘のようなガンマンものをすんなり見れたのは、ドラえもんの影響が大きいと思う。


 もし、私が今このように何かを創りたいという気持ちの端緒を探すならば、ドラえもんに行き着くことは間違いない。あらゆる想像の原点であったと思う。


 なので、そのきっかけとなったアニメの声優さんたちが亡くなってしまうのは、私にとっても時代が一つ終わりかけようとしてるように思え、とても悲しいことである。


 あの頃ハラハラしながら見たドラえもんやのび太たちの地球や時空、宇宙を超えた壮大な物語に想いを馳せる。あの頃は、本当に良かった。未来を夢見ることができたのだから。


 あの頃から比べて、今の未来は、スマートフォンやインターネットが発達し、調べたいことは何でも簡単に調べられて、表現したいことは何でも簡単にネットの海に流し、様々な人に簡単に見てもらえる。


 だけど、タイムマシンやどこでもドアのような、非現実的だと思えるような物事が実現してる未来を、いつしか思い描かなくなってしまった。現在のちょっと未来を思い描くでもなく、ただ受動的に、徒に未来を現在と受け入れている。


 ドラえもんを見てた頃のように、ただ想像だにしないことを思い描くことが、どれほど楽しく、そして、どれほどそれが大切なことだったのか、想い起こすのだ。


 ドラえもんの声優の方々の演技は、決して忘れない。あの頃、画面の向こうに、確かに私たちは想像だにしない未来を夢見、そして、それに熱狂したのだ。


 大山のぶ代さんと小原乃梨子さんのご冥福をお祈りいたします。天国で、藤子先生やたてかべさん、肝付さんと仲良く過ごせているといいですね。


 


 


 

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幻想日記 美里俊 @Misa1389

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