防災マニュアルと友情の絆 ― 煤藤 真幸

 鈴木正人は自転車を漕ぎながら、かつて呪印の怪異が現れた橋へと向かった。秋の柔らかい日差しが橋の上を照らし、静かな川の水面がゆらゆらと揺れている。だが、その風景の裏には、恐怖が潜んでいることを正人は知っていた。


 橋の上に近づくと、煤藤真幸の姿が目に入った。


 煤藤真幸は、大震災に巻き込まれた過去から防災意識が非常に高く、自作の災害対策マニュアルを作成している。呪印に感染してからは、呪印は災害の一つとみなし、勤めていたブラック企業を辞め、自作の呪印対策マニュアルを作成しているのだ。


 彼は真剣な表情で周囲を見回し、橋の手すりに寄りかかりながら、手元のノートに何かを書き込んでいる。真幸の集中した表情は、彼の強い意志を物語っていた。


「煤藤さん、こんにちは。何をされてるんですか?」正人は声をかけた。


 真幸は顔を上げ、微笑んだ。「鈴木さん、こんにちは。災害時の避難経路や橋自体の耐久年数の確認などをしていたところです」


「さすが煤藤さん、余念がないですね」正人は、彼の災害に対する強い想いに感心した。真幸の真摯な姿勢は、彼にとって頼もしい存在だった。


「そうだ、先日、煤藤さんがいないときに、また呪印の怪異が来たんですよ」正人は先日の体験について話そうとした。


「そうなんですか!?どんな怪異だったんですか?」煤藤は前のめりになり、興味津々で話を聞こうとする。そのあまりの勢いに正人は一瞬圧倒されてしまった。


「まぁまぁ、落ち着いて。それでね…」正人は煤藤に当時の様子を細かく伝えることにした。彼の話を聞く真幸の目は真剣で、正人はその熱心さに少し心が温かくなった。


「それは、大変でしたね。以前よりも増して凶悪な怪異だったようですね。それにしても、鈴木さんは深手を負ったようですが、大丈夫ですか?」煤藤は心配げに正人に尋ねる。


 正人は内心、しまった、と思ったが、正確な情報を伝えることが大事だと思い直すことにした。「ああ、今は大丈夫そうです。こうして元気に動けていますし。煤藤さんの呪印対策マニュアルを楽しみにしていますね」


「はい、また更新したらお渡ししますね。それにしても少し顔色が悪そうなので、お大事にしてください」煤藤は尚、心配してくれる。


「ありがとうございます。今日は早めに帰ることにしますね」正人は一旦はそう答え、持ってきた鞄の中を覗いた。


「これ、煤藤さんにプレゼントしたいんです。避難経路のマニュアルをまとめるときに役立ててもらえればと思って」正人は木でできたペンを取り出し、煤藤に渡した。


「ありがとうございます。使いやすそうですね」真幸は嬉しそうにペンを受け取り、早速使い始めてくれた。彼の目がキラキラと輝き、正人はその姿を見てほっとした。


「これで少しでも役立てることができれば嬉しいです」正人は微笑んだ。


 二人はしばらく橋の上で話し続けた。周囲の景色が静かに流れる中、正人は煤藤の存在がどれほど心強いかを改めて感じていた。


「それじゃ、そろそろ行きますね。これからよろしくお願いします」正人はそう言って、自転車に乗りまたがる。


「よろしくって…マニュアルのことですか?もちろん任せてください」煤藤のその言葉を聞いて、正人はペダルを漕ぎ出す。


 橋の上では、風の冷たさが一層強く感じられた。肌寒さが心の隙間にじわじわと沁み込んでいくようで、思わず身を震わせる。共に闘った夏の暑い日々が、まるで遠い記憶の中に消えていくように感じる。頭の中に広がる邪念を振り払うように、正人は次の目的地へと進む。

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