四口目 ましろ―③

 最後のデートどうしようかなって、この一か月、ずっと考えてた。


 行きたいとこ、見てみたいこと、してみたいこと。


 色々思い浮かんではいるけれど、どれもなんだかこう……違うような。


 いまいち答えが出ないまま、三回目のデートの時に。


 君のことを好きになってしまっているって気づいた時に。


 答えは、ふってわいてきた。


 そう、これだけよくしてもらっておいて、私は君のことを何にも知らない。


 人生の最期のたくさんもらった想い出の嬉しさを、まだ君に伝えてない。


 たった半年の出会いだけれど、たった一か月のお付き合いだったけれど。



 ―――たった一週間の恋だったけれど。



 それがどれだけかけがえないものだったか、どれだけ嬉しくてたまらなかったか。


 それを君に伝える機会が全然なかった。


 時間も、想い出も、命も、愛も、私ばかりたくさん貰ってしまって、一緒に過ごしてきたのに何一つも返せてない。


 だから、そう、私のするべきことはおのずと決まってた。


 掛け替えのない一か月の恩返しを。


 溢れるほどに貰った愛のお礼を。


 たくさんのわがままを叶えてくれた君の、そのわがままを叶えなくっちゃ。


 美味しいご飯をいっぱい食べて。


 眠くなったらちょっと眠って。


 起きたら、二人で映画とか見てみたり。もちろんハッピーエンドのやつね。


 特に意味もなくくっついて。


 特に意味もなくお話して。


 特に意味もなく笑い合って。


 特に意味もなく名前を呼んで。


 日がくれたら、ご飯にしましょう。


 たっぷりのシチューに、ハンバーグ。お酒はちょっと控えめで、あれ、でも、そういえばこのかちゃんが飲むとこ初めて見たかも。


 食べ終わったら君が、一緒にお風呂に入りたいなんていったから、ちょっとびっくりしたけど、お互い真っ赤になってお風呂に入って。


 泊っていって、なんてわがままをいうものだから、仕方ないなあって笑ったり。


 小さなベッドで二人、肩を寄せ合って、抱き合って電気を消した。


 ほんとは動揺と恥ずかしさで爆発しちゃいそうだったけど。


 それでも、そこは大人だもの。今日は余裕たっぷりで、わがままこのかちゃんの言うことを叶えてあげるのです。


 私は寝間着がなかったから、下着姿のまま二人でぎゅって抱き合って。


 君の熱い、熱い、体温をただ感じてた。


 そうやっている間、君はただ私の名前を呼んでいた。


 ましろさん、ましろさんって。


 まるで私がそこにいることを確かめているみたいに。


 珍しく酔っぱらって、顔も紅くなって、どことなく瞳の焦点が合わない君を、私ただじっと見守って。


 やがて君の意識がふっと途切れる、そんな頃に。


 そっとその唇に、私の唇をゆっくり重ねた。


 そういえば、私からするのは初めてだね。


 そっと、優しく。眠りかけた君を起こさないように。


 零れた雫が君の頬に落ちないように気を付けながら。


 眠りに落ちる君から、最後の愛を受け取って。



 私に芽生えた最期の愛を君に遺した。



 ありがとう。


 ありがとう、このかちゃん。


 私ね、幸せだったよ。


 あなたがくれたこの一か月が、あなたがくれたこの愛が、この暖かさが、この想い出が。


 きっと何よりうれしかったよ。


 ありがとう。


 だからね。


 さようなら、このかちゃん。
















 ※




 「だからね、私やっぱり、このかちゃんとは別れようと想ってるんだ」




 ※





 私の人生は、ここがいい。ここでおしまい。





 ※
















 火照った身体を引きずって、夜の街をとことこ歩いてく。


 このかちゃんが寝入ったあとに、そっとベッドを抜け出して。


 日付も回った、真夜中の街の中を。もうすっかり冬の風が棚引いて、人の姿も街の明かりもすっかりなりを潜めた暗がりの中を。


 独り、とことこ歩いてく。


 キスしたばかりだから、身体はどことなくあったかいけど、夜の冷たい風はそれでも寒い。指先は冷たいのに、胸の奥は熱くってなんだかちょっと変な感じ。


 お酒も入って、ちょっと陽気なので、軽くステップとか踏んでみる。


 ふんふんふーんと鼻歌を鳴らしながら、コートを風に棚引かせて、歌うように、踊るように。



 愉快に。



 快活に。



 奔放に。



 華々しく。



 ご機嫌な夜の行進を、独り、月と街灯だけが照らす道の中、続けてく。


 人生最期の恋をしました。


 人生最高の恋をしました。


 きっと、世界一の素敵な愛を貰いました。


 まあ、世界一の素敵な愛を返せたかは……ちょっと自信がないけれど。


 やれることはやりました。なせることはなしました。



 悔いや、後悔は――――――よく、わかりません。



 喉がじわじわ熱くなります。


 無理に笑って、声まで上げて、愉快さを必死にアピールします。まあ、誰も聞いてなんていないけど。


 それでもこの一か月は、楽しかったです。


 産まれて初めての恋に、どきどきしました。


 溢れるほどに貰った愛は、うまく受け止めきれなくて。


 それでも抱えきれないほどに、たくさんもらってしまいました。まったく、あの子は愛がないなんてどの口で言っていたのでしょう。


 本当に素敵な想い出でした。


 本当に本当に、夢のようなひとときでした。


 これなら。


 これほどの想い出を貰ったなら、きっと笑って死ねるのだとそう想いました。


 だから、私の恋はここまでです。


 好きだから、愛しているから、幸せだから。


 これ以上、彼女から何も奪えません。


 声が濁って、瞳が震えて、胸の奥に孔が開いたみたいに痛いけど。



 だからこそ、この恋はここでお終いにしないといけないのです。



 そう、お終い。


 ここで全部お終いです。


 だってそう、最初から決めていたでしょう?


 好きな人から大切なものを、奪ってまで生きていたくありません。


 自分を幸せにしてくれた人を、不幸せにしてまで生きていたくありません。


 でも、きっと、それより、何より。


 ほんとは――――――。




 




 

 今はきっといいでしょう、多少の不安は感じても、一緒に幸せに過ごしていられるのでしょう。


 でも、やがて時間が経って、このかちゃんの命が段々と減っていったとき。


 何時の日か愛が薄れてしまった時に。


 もし、このかちゃんに嫌われてしまったら―――。


 たくさん愛してもらったのに、その分だけ憎しみを抱かれてしまったら―――。


 彼女が私との出会いを後悔する日が来たら――――――。


 まふゆは私のことを、意思が強いなんて言うけれど、ほんとはそんなことありません。


 私はただ臆病なだけなのです。


 好きな人に嫌われるのが、ただ怖くて。


 その眼に憎しみが灯るのを見るのが恐ろしくて。


 誰かを犠牲にしてまで、自分が生きたいと想えるほどの自信もなくて。


 いつか必ず来るその絶望を。


 お父さんがあの時、お母さんとの出会いを呪った、あの瞬間を。


 もう一度、見ることが耐えられないだけなのです。


 ごぼりごぼりと雫を零しながら、夜の街を歩きます。


 踊るような足取りは気づいたら、たどたどしくなっていて。


 無理に綻ばせた顔は、気付いたら歪んでて。


 堪えようとしたはずの涙は、もう抑えきれないほどにただ流れていくだけで。


 それでも涙に濁った声のまま、無理矢理に嗤いました。


 これでよかったんだって、これがきっと一番だったんだって。


 だって、このかちゃんはきっと、これから素敵な人生を送るのです。


 あんな器量がよくて、気遣いできて、優しい子、私が普通の人ならほっとかないのです。

 

 きっとかわいい子が一杯寄ってきて、みんな一杯アプローチするのです。


 最初は優しすぎて上手くいかなかったかもしれないけれど、きっと本当に優しい人とちゃんと出会って、今度こそこのかちゃんの心は受け入れてもらえるのです。


 そしたら、二人で手を繋いで、デートして、キスをして、きっとえっちとかもしちゃうのです。


 それから一緒に住み始めて、時々けんかしながら、二人の生活を作っていくのです。家族にお互いを紹介してみたりして、共通の知り合いとかにたまに茶化されちゃったりして。


 このかちゃんの大学の卒業式で、親でもないのに泣いてみたり、就職祝いにちょっと高いレストランにいってみたり、仕事が始まったら愚痴とか聞いちゃったりして。


 そうやって二人で、ちょっとずつ違う所を認めて、同じところを慰めて、少しずつ掛け替えのない人になっていくのです。


 目いっぱいの恋をして、溢れるほどの愛を知って。


 そうやって、五年経って、十年経って。


 おばさんになって、皴も出来て、よれよれになって、おばあちゃんになってもまだ一緒に居て。


 きっと、最期の時、二人一緒に手を繋いで。


 眠るように静かな木漏れ日の中、眼を閉じるのです。


 そんな素敵な幸せな人生が、このかちゃんにはきっと待っているのです。


 だからこれでいいのです。


 私との想い出も、少し覚えてて欲しいけど、邪魔なら忘れちゃってもしかたありません。


 むしろ、そんなに引きずらないで、すぐに次の恋に移ってくれた方がいいでしょう。そうです、そうにきまっているのです。



 だって、私はもうたくさんもらってしまいましたから。



 愛も。



 想いも。



 たくさん、たくさん。



 もう、十分すぎるくらいには貰ってしまっているのですから。



 これ以上、望んだらバチが当たっちゃいますよね。



 ほんとは覚えてて欲しいなんて。



 ほんとは忘れないで欲しいなんて。



 そんなわがままきっと言っちゃダメなのです。



 ああ、でも。



 でも。



 こんな寂しい冬の季節に。



 ピアノの音を聞いた、その一瞬くらいは。



 想い出して―――くれたらいいな。



 いつもふざけてピアノを、ならしてた変なやつがひとりいたなって、そんなくらいは。



 覚えててくれたら。



 あなたの心に、あなたの想い出に、ちっぽけでも居場所があったのなら。



 ―――それがいいなあ。



 幸せとは、諦めを知ることだ、どこかの偉い人が言っていました。



 求めすぎればきりがなく、いつか誰かを傷つけてしまうから。



 あれがほしい、これがほしい、言い続ければ終わりがなく、いつまでも幸せになることなんて到底出来っこないのだから。



 だから、自分はここでいい。



 これ以上、求めることもできるけど、それでも私の幸せはここでいいと。



 そう、決めることこそが本当の意味で幸せなのだと。



 たとえ、それがどれだけ他人から見て、つまらない結果だとしても。



 たとえ、それがどれだけ誰かにとって、悲しい結末に見えたとしても。



 私が、私の意思で、ここでいいと決められたなら、それはきっと幸せだと想うのです。



 雪女として生まれた以上、寿命が27だと決まってしまっていた以上。



 誰かの命を奪わなければ、永らえない命に生まれてしまった以上。



 求められる幸せには限りがあるから。



 好きな人と添い遂げるとか、いつまでも愛し合うとか、そんなのは私の身体じゃあ叶えられない。身の丈に余る願いだから。



 それはとても悲しいことだけどれど。



 それでも。



 それでも私の幸せはここでいい。



 最期に素敵な恋をして、最後に素敵な愛を貰って。



 そうやって、誰かの想い出に少しでも遺れたのなら。



 きっと、それ以上の幸せなんてありはしない………よね?



 ぼたぼた雫を零しながら。



 腫れたように熱くなった瞳を滲ませながら。



 もう笑い声すらあげれなくって、ただみっともない泣き声だけを上げながら。



 ゆらりゆらりと、夜の街を歩きます。



 ああ。



 ああ。




 ああ。







 ああ………………。












 あ。










 ピアノだ。






 気づいたら、そこはいつかのショッピングモールの近く。





 当たり前だけど、辺りはすっかり真っ暗で、お店は全部シャッターが閉まってて。





 その真ん中にぽつんって、三角コーンで囲われたピアノがあった。





 初めてのデートでこのかちゃんと演奏した場所。




 そっか、気付いたらこんなところまで歩いてたんだ。




 なんとなく、泣き疲れてふらつく足で、そっとピアノに歩み寄る。




 相変わらずがよく手入れがされている、施錠か何かされているかもと想ったけれど、存外、普通にピアノは開いていた。軽く鍵盤を押したら小さな音をそっと奏でてくれる。




 懐かしいなあ、まだ三週間くらい前でしかないのにね。




 勇気を出して、弾いたんだよね、この場所で。




 それから、子どもが折り紙のお花をくれて、撮られてたのがまふゆのパートナーさんに見つかって。




 それから、弾き終わって疲れていたら、君にキスをしてもらったんだ。




 ………………………………。




 そうだ、弾こっか。




 ご近所迷惑かもしれないけれど。どうせ、ここは商店街で夜中に人はあまりいないだろうし。そう大きい音でも弾かないから、誰も聞いてやしないでしょ。




 もともと、ピアノの活動はしてたけど、私の演奏には一つネックがあった。




 




 雪女の身体のせいか、元の弾き方のせいか。





 一曲で全てを出し尽くしてしまうから、下手すればそこで倒れてしまう。





 ピアニストはライブとか、コンサートとかがやっぱり大きな収入源になる。だから私はそれを続けられなかった。一曲しか弾けないコンサートなんて、誰も来てはくれないからね。


 




 でも、まあ、今はそんなの関係ないし。




 


 倒れて面倒をみてくれる人もいないけど、まあこのかちゃんから愛を貰ったばかりだから大丈夫。きっと。





 それに、仮にここが私の終の場所でも別にそれで構わない。





 だって、もうなすべきことなしたんだから。





 というかこのかちゃんに命を貰ったあの日から、私の人生はそもそもロスタイムみたいのものだったわけだし。いつ終わっても別に不思議じゃないし、後悔もない。





 だから、そう、ここで。





 ―――最期の演奏会を開こう。





 月と風しか観客がいないこの場所で。





 私の人生最期の時間で。





 あらん限りの愛を歌おう。






 もうここで終っていいから。





 ここが終わりで幸せだから。






 だから、そう本当のあらん限りを。






 遠くどこかの屋根の下、夢の中の君に届いたらいいななんて。






 そんなありもしないことを願いながら。






 椅子に腰を下ろして、そっと鍵盤に指を掛けた。







 さあ、歌おっか。







 私の最期の恋煩いを。






 どうか、君に。




















 ああ、でも、もし願いが一つ叶うなら。




 もし、神様が私にわがままを一つ許してくれるなら。




 「ほんとは君と――――」




 想像の中、幸せそうな人生を過ごす君の隣に。




 自分の姿が霞んで見えた。
















 「―――ほんとは君と、なんですか?」

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