四口目 ましろ—②

 「というわけで、作るぞうハンバーグ」


 「お昼からハンバーグってなんか豪勢ですね」


 「ふふふ、夜はシチューにケーキだもんね。今日はとびっきりだよ」


 「……我ながら、咄嗟に出てくるごちそうがハンバーグとシチューって、子どもっぽくてすいません」


 「ええ、いいじゃん。美味しいよね、ハンバーグにシチュー。あ、ハンバーグちょっと残しといて、夜はハンバーグシチューにしちゃおうか」


 「わあ、贅沢……。いいんすか、本当に?」


 「いーんだよ、今日はこのかちゃんにお礼をする日なんだから」


 向ける笑顔はとびっきりを、声は跳ねるように楽し気に。


 この一か月、素敵な夢を見せてくれた君に最大限の感謝を籠めて。


 このかちゃんはどことなく、申し訳なさそうに視線を揺らす。


 「ていうか、やっぱり私中心でいいんですか? ましろさんとの折角最後のデートなんだから、ましろさんの行きたいとことか、食べたいものとか……」


 そんな君の少し震えた声に私はゆっくり首を横に振る。


 「今日は、いーの、このかちゃんがこの一か月すっごくよくしてくれた分の恩返しなんだから。それに―――今日はお礼をするのが私のやりたいことなんだから」


 そうやってにっこりと笑いかけると、君はどことなく眼を伏せて、どうしたらいいのかわからないというような顔をする。


 今はこのかちゃんの部屋、ちいさな六畳のワンルームの中、よく整理されたキッチンで私はエプロンを巻いていた。今日この日のために買ってきた特別品。水色の水玉がふわふわ浮いてる、かわいいやつ。


 「待っててもらってもいいけど、退屈かな。折角だし、一緒に作ろーぜこのかちゃん」


 にっと笑いかけながら、スキップでもするみたいに、私はせっせと料理の準備を始めてく。このかちゃんの家に何があるかとかわからなかったから、材料は調味料もこみで一通り買ってある。ひき肉に、玉ねぎ、しょうゆにみりんにおさけナツメグも、おやつにアイスだって買ってきちゃったぜ。


 「そーいえば、このかちゃんって、料理とかする子?」


 「んー、栄養取れればいいんで、全部鍋にぶち込んじゃう系でしたね。まともに教わったこともないんで、実家でもずっとそんな感じでした」


 エプロンと手拭いで完全装備の私の横でこのかちゃんは食器棚を漁って、大匙を探してくれている。ふむ、料理レベルはほどほどかな。


 「まー、独り暮らしだとそれで充分だよね。私もそんな感じだったけど……実家はこのかちゃんが作ってたの?」


 「ええ、まあ。うちシングルで父親だけだったんで、必然私がご飯係でしたから」


 「ほへー…………そっか」


 そうやって話しててふと想うけど、私このかちゃんのこと実はあんまり知らないかも。


 半年間、ほとんど客と店員さんで、ちゃんと交流ができたのはこの一か月だけだから、当たり前といえば当たり前なんだけど。


 そっか、これだけ一緒にいたつもりなのに、私たちそういう話全然してこなかったんだ。雪女とか私の寿命とか話ばかりして。大事なことはまるで喋っていなかったのか。


 「………………」


 「……ましろさん?」


 いや、へこんでる場合じゃない、わからないなら聞こう。知らないなら、知ればいい。今からだって、歩み寄りは出来るはずだから。


 「……あのさ、その話、深掘りして大丈夫?」


 シングルっていうのを、当人がどう捉えているのかはわからない。だから、ちょっと臆病になる。うちも似たような境遇ではあるけれど、いつそうなったかできっと家庭環境は全然違ってくる。


 「……ええ、全然ですよ。友達とかにも大変でしょってよく言われたけど、実際は普通だったし、そんな変わんないですよ」


 「そ、そーなのかあ。あ、玉ねぎとってもらっていい?」


 そう言ってこのかちゃんは小ぶりな玉ねぎを手渡してもらいながら、慎重に言葉を探る。


 「はい、まあ授業参観とかはちょっと望み薄で、家事も大半私がやってましたけど。いうてそんくらいですよ。生まれてからそれが当たり前だと、不公平感とかも別に感じなかったし―――」


 言葉にするこのかちゃんの様子は確かに、なんてことはない風で、いつも通りの感じがする。まあ、確かに周りが勝手に大変でしょって、決めつけるのも変な話だ。勝手に憐れんで、勝手に可哀そうだと想われることほど、辛いこともないだろうし。


 ただ、それでも、このかちゃんのその境遇が、軽い物だとはうまく想えない。


 玉ねぎを包丁で細かくしながら、うーんと唸る。目が染みる。そっとティッシュで目元を拭かれた。


 「このかちゃんの、気遣い力の高さはそういう所から来てるのかな……」


 ひとり親で、家事は大体してたとなると不思議じゃないのか。うむむと唸る私に、このかちゃんは軽く肩をすくめた。


 「ま、多少親の顔色はやっぱ窺ってましたね。お互い嫌でも逃げられないし。……あれましろさん、それ何入れてるんですか?」


 「え? ゼラチン、ちょっと入れると肉汁がハンバーグの中にぎゅって詰まって美味しいんだよ?」


 「へー、知らなかった……」


 「ふふ、楽しみに待たれよ。すんごいジュワっとしてるぞう? 肉汁爆弾だぞう?」


 そんな話をしながら、ようやく綺麗に形になったハンバーグたちをフライパンの上に並べてく、一つ一つは小さめで、夜も食べるから量は一杯。なんとなく二人で顔を見合わせてフフフと笑い合ってから、火をつけてふたをそっと閉める。


 「あーでもあれかもです、やっぱ人に憐れまれるのはしんどかったかも」


 「あー…………、それは嫌だね」やっぱり、そっか。


 そうやって火が通るのを待つ間も言葉を交わす。


 「気持ちを勝手に決められてるみたいで、なんだかなって。ま、善意でいってくれてるんで、別にいいっちゃいいんですけど」


 「……優しいねこのかちゃんは。私なら怒っちゃうかも」


 「…………なんでだろ、ましろさん怒ってるとこあんまり見たことないのに、簡単に想像できます」


 「どーいう意味だあ……? ねえ、他は……、このかちゃんどんな子どもだったの?」


 「えー……難しいなあ。あー、でも割と冷めてるとか大人びてるとは―――」


 じゅうじゅうと、脂が跳ねてお肉焼ける音がする。熱を持って、何かを変えて、出来上がりの時を待っている音がする。


 きっと今、他愛のない話をしてる。


 「ハンバーグとか、シチューとか、オムライスとか。……割とよくある洋食が好きなんですよね。作ってもらったことが無いからかも、だからちょっと憧れに近い物があって―――」


 「―――うん」


 「あ、でも生理関連はまじで大変でした。男親だからわかってくれねーの。学校の先生と保険の先生に教えてもらって、皆に隠れてナプキン貰って、加減わかんなくて染みちゃって、家で独りで泣きそうになりながら汚れた下着とか洗ってたな―――」


 「――――そっか」


 「それで高校の頃に告白されて、気付いたんですけど。私、全然女の子もいけるんですよね、っていうか、よくよく考えると、イケメンより女の子のほうに眼が行くと言うか。あー、こっちね私はって、なんかあの時は自分でも意味わからんくらい平常心でしたね、普通もっと悩みませんか――――」


 「う、うん。い、いやなんとなくは知ってたけど―――」


 「あー、大学はがっつり奨学金です。一応、特待とかで学費安いとこ選びましたけど、まー、バイトしながら特待維持は難しいっすね。今は普通に学費諸諸払ってますよ。はー、社会に出たらいきなり借金ですよ、ほんと―――」


 「そっかあ、ちゃんとしてるなあ、このかちゃん……」


 「……でもわがままって正直、あんまり自信ないです。余裕が家にあんまりなかったからかな、子どもの頃も大人びてたら他の子の面倒とか任されるじゃないですか。それもあって、わがままってどういったらいんだろ……って感じではあるんですよね」


 「…………そっか、じゃあ、今日はいっぱいわがまま言わないとだね」


 「………………うーん、難しいなあ」



 そんな他愛のない話をした。



 数分後、焼きあがったハンバーグは見栄えはなかなか美味しそうだったけど、いくつかひび割れてしまっていた。うぐぐ、このひび割れがあるかないかで、中の肉汁総量が段違いに変わってしまうのですが。


 ただ苦悶の表情を浮かべる私の隣で、このかちゃんは珍しくきらきらと眼を輝かせていたから、まあ目標は達成ということでよいでしょう。このかちゃんの喜びに水を差してもいけません。


 二人していそいそと食卓に向かう。ハンバーグとご飯、それに付け合わせのニンジンのグラッセとか、焼いたブロッコリーとかポテトを添えて。


 どことなく浮足立っているこのかちゃんに、くすっと笑ってから二人合わせていただきます。


 テーブルの上に積んだ山盛りのハンバーグを二人でニヤって笑って、揃って口に運び込む。小さなハンバーグにそのままかじりつくような形で、口に入れるとジュワっと肉汁がはじけ飛ぶ。うんうん、まあ、合格点というところではないでしょうか。


 そうやって一人頷いていたら、対面のこのかちゃんは、眼を輝かせて、私の方を見ていた。


 「美味しい?」


 そうやって問うと、このかちゃんしっかりと頷いてくれて、ふふふ私としても大満足。


 それからは言葉も程々に、二人して山盛りあったはずのハンバーグをこれでもかと食べ尽くす。危うく夜の分まで食べ尽くしかけたから、慌てていくつか避難させたけど、まあこのかちゃんのいい食べっぷりを見れたので、大成功と言えるでしょう。


 ちょっとだけ取っておいたハンバーグを名残惜しそうに見るこのかちゃんが、餌を取り上げられた子猫みたいで可愛かったしね。


 そして話していて少しわかったことことがある。


 このかちゃんはしっかりしてるように見えるし、実際しっかりもしてるんだけど、わりと必要に迫られてそうなったというか。本心としてはちょっと甘えが足りてないと言うか。


 きっと早く大人びてしまった分だけ、心のどこかに小さな子どもの部分が残っているんだろう。


 ふふふ、そうと分かれば、今日はたっぷり甘やかさないと。


 話してよかった、だってこうして背の高いすらっと大人びてる君の、ちょっと幼い部分を見つけれた。


 ちょっと近くまで来てお話しないと気づかない、普段は隠れた君の裏側。


 こうやって少しずつ知っていこう、ちょっとずつ、例え残された時間が残り僅かであったとしても。


 「このかちゃん、かもーん!!」


 ご飯を食べ終えて、少しとろんとした君に向けて、そう言いながら自分の太ももをぺしぺし叩く。


 このかちゃんは少し驚いたような顔になって。


 少し迷ったような顔をして。


 やがてどこか紅くなりながら観念したような顔をして。


 すとんと可愛い頭が、私の膝に落ちてきた。私はその髪を撫でながら、ふふふと笑みをそっと浮かべる。


 軟らかくて、暖かい君の温度を感じながら。


 どうしてだろう、こうしているだけで、笑顔になってしまうのは。


 そんな想いを感じながら。


 ただ君の隣にいて、君を知るこの時間を。


 どこまでも、噛みしめていた。


 この気持ちを、この感情を。


 きっと人は、愛しいと呼ぶのかな。


 君は少し何かを言おうとして、むずるようにしていたけど、眠気には上手く勝てないようで。


 やがて私の膝の上で、ゆっくりと眼を閉じた。


 大したことではないと想う。


 劇的なことでもないと想う。


 ただ君の少し違う一面を知れた、ただそれだけ。


 ただ君がみせてくれた少しの甘えが嬉しい、ただそれだけ。


 ただ暖房の効いた部屋があったかくて、触れる君の身体も暖かい、ただそれだけ。


 少し、お腹がいっぱいで満たされてる、ただそれだけ。




 でも。



 そんな、ただそれだけを。




 きっと幸せと呼ぶんだろう。





 眼を閉じてすーすーと小さく鳴る君の寝息を聞いていた。





 お腹いっぱいのお昼寝の、そんな時間の中。





 ただ暖かさに包まれたまま。






 今だけは、全て忘れて。

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