四口目 ましろ—①

 「だからね、私は—―――ようと想ってるんだ」


 ほんとは沢山、沢山迷ったはずなんだ。


 揺らいで、迷って、悩んで、苦しんで。


 どっちを選ぶかなんてわからない。どれだけ考えても答えも出ない。


 本当はこうやって口にするまで、どっちにするかなんて決まってなかった。


 でも、なんでだろう。


 不思議と「どっちにするの?」って聞かれた時に、私の声は何のためらいもなくすっと答えを口にしていた。


 まるで本当は最初から、何も迷ってなんていなかったみたいに。


 そうして口にすることで、私自身が、あ、そっか、納得してしまうような。


 不思議とそんな想いを抱きながら。


 そうやって口にした私の答えに、病院のベッドで随分前から寝たきりになったままのお母さんは、ゆっくりとただ静かに頷いた。


 「―――そう、後悔はない?」


 小さく囁くようなそんな言葉に、私は少しだけ考えてから笑いながら首を横に振った。


 「うーん……いっぱいあるかも」


 「あら、大変ね」


 病室の個室のベッドのそばで、二人しておかしそうに笑う。小さく、小さく、くすくすと。


 「まあ……そう想っちゃくらいには、夢みたいな時間だったから。あーあ、こんなことなら、勇気出して半年前に声かけとけばよかったなって」


 吐き出した息が少し熱を伴って、震えてる。熱い何かがこみあげて、言葉にするだけで胸の内から感情が、ごぼりごぼりと零れそうになる。


 「そんなこと想ってる癖に、その結論でいいの?」


 ちょっと呆れたようなお母さんの声に、だよねえ、って笑いながらそれでも私は首をゆっくりと縦に振った。それが本当の最後の決意にするために。



 「うん、これでいいんだ」



 たくさんのことがあった。



 たくさんの人がいた。



 たくさん叶ったことがあって。



 たくさん諦めたことがあった。



 たくさん嫌な思いをして。



 たくさん素敵な想いを貰った。



 だから。



 「私は、これでいいんだよ」



 どうせ、最後だから零れる涙は隠さず、まっすぐにお母さんに向けてそう告げた。



 お母さんは少しだけ悲しそうに笑ってた。



 それから腕をそっと広げられたから、黙ってその胸の中に押し倒さないようにゆっくりと飛び込んだ。



 「ごめんね」



 お母さんの胸の中でそう告げた。



 「ごめんね」



 私を抱きしめながら、お母さんはそう言った。



 ずっと。



 ずっと、正直お母さんに会うのは怖かった。



 私が選んだ道は、おかあさんやまふゆの道を否定するのものだったから。



 だからどう想われるかが怖くて、何を言われるかがわからなくて、ずっと距離を置いていた。



 実際、喧嘩や口論になったことも、何度も何度もあったっけ。



 でも、今日であったお母さんは優しくて。



 まるで、何度もした喧嘩や口論なんてなかったみたいで。



 本当にいつぶりかもわからない。もしかしたら、本当に子どもの時以来かもしれない。



 ただ優しいお母さんとその子どもでいる。



 そんな時間を過ごしていた。



 病室の中で二人きり。



 ただ泣きながら抱き合って。



 「どうか、どうか幸せにね」



 「――――うん」



 そんな、儚い願いを呟いてた。


 


 今日が、そう、最後の日だ。
















 ※


 


 「「あ」」


 待ち合わせ場所についたのは、どうしてか、予定の時間の40分も前のこと。


 まあ、時間的に余裕はあったから全然いいんだけれど。問題はそこでどうしてか、同じように随分早く着いたこのかちゃんと出会ってしまったこと。


 二人して目をぱちくりと瞬かせて、あんぐりと口を開けて、やがてどちらともなく照れたように笑い出した。


 「ましろさん、はやくないですか」


 「そういう、このかちゃんこそ」


 お互い照れとにやにやの混ざりものみたいな顔をして、えへへと変な笑いを浮かべながらうりうりと肩をこすり合わせる。


 ただそれもなんだかすぐに段々限界が来てしまう。うん、やっぱり恥ずかしい。


 自分がどれだけ気合が入っているかバレてしまって、それがしかも相手も同じだったときたわけですよ。


 うん、これはお互いそっと流すが吉だね。


 「じゃ、じゃあ、いこっか。ちょっと早いけど」


 「ふふ、はーい」


 そう言って二人、どことなくぎこちなく歩き出す。ぎっこぎっことブリキの人形か何かのよう。でも、ほどなくしてそれもおかしくなったから、二人してひとしきり笑った後、ようやくいつも通りに歩き出した。


 「というわけで、おっきなスーパーです」


 「おっきなスーパーですね。」


 よくあるスーパー、のちょっとおっきいやつの入り口で私は小さな身体でむふーとふんぞり返る。それをこのかちゃんは笑いながら、いつかしていたみたいに、後ろからくっつくような体勢で返事をくれる。うん、なんかこのセットも板についてきたね。


 「ふふふ」


 「して、ましろさん。目的は?」


 このかちゃんの疑問が頭の上から降ってくる。それに私は指をちっちっちと振りながら、にんまりと今日の予定を発表する。このサプライズのために、今日の予定はあえて伏せておいたのだ。


 「ずばり、今日はおうちデートです!!」


 「ほう……」


 このかちゃんはどことなく難しそうな顔で、首を傾げる。


 「あ、ちなみにこのかちゃんの部屋ね?」


 「―――ま?」


 このかちゃんの眉根が思いっきり寄せられる。うむ、なかなか珍しい表情ですな。


 「だって、私の部屋はもうすでに公開済みじゃないですか」


 「まあ……そうですね」


 まあ、あれは公開済みというか、必要に駆られて公開したと言いますか。


 「私だけこのかちゃんの部屋を知らないの不公平だと想うのです」


 「まあ、うん、言わんとすることはわかりますが、事前告知などしていただければ掃除とかしたんですけど」


 「私の部屋は事前告知なしだったじゃん?」


 おかげで、単身OLのきったねえ部屋をこのかちゃんにお見せすることになったわけですが。まあ、それはこの際いいでしょう。


 「……なるほど。まあ変なもんはなかったはず……うん、多分」


 そう言ってこのかちゃんはどことなく遠い眼で、虚空を見ていた。私としては変なものがあってくれた方が面白いんだけど、とはさすがに口にしないけど。


 「と、いうわけで、おうちデートなんですが。どうせなら、このかちゃんの好きな物でも作ろうかと想って、スーパーにお誘いしたわけですね」


 勝手に準備してもよかったし、最初はそのつもりだったけれど、どうせなら好きなもの話しながら二人で決めた方がいいじゃんって想ったのが今日のことなので。


 「なるほど……」


 「さ、お客さん。今日はましろが腕によりをかけますよ、なにが食べたいですか?」


 「えー、なんだろ。ましろさんは何食べたいんですか?」


 「うーん、まあ色々イメージはしてたけど。でも、今日はこのかちゃん優先デーなんだぜ? 一か月、いろいろしてもらったし、私からのお礼みたいなものなのだ」


 「うーん、なるほど。急に言われると難しいですね……」


 「メインじゃなくても、和風とか中華とか、ポテトだけでもとか、そういうちっちゃなところからでいいよ? ふふふ、さあさあ、スーパーは色々あるよ、何にしよっか?」


 そんな会話を二人でしながら、えっちらおっちら二人羽織りみたいな体勢のまま、二人してスーパー練り歩く。



 この一か月、繰り返してきたやり取りを、変わらずに繰り返していくように。



 明るく。



 楽しんで。



 幸せに。



 二人の時間を愛しんで。



 君の暖かさを感じながら、ただ、そうやって。



 何でもないこの時間を、君が隣にいてくれるだけのこの時間を。



 ただ楽しんで。



 溢れそうになる涙は今は、どこかに忘れたまま。



 さあ、どうか後悔のないように。



 最高のデートにしようね、このかちゃん。



 そんな想いを秘めたまま、あなたににっと笑いかけると、あなたはどこか寂しそうに笑ってくれた。



 大事なことは何一つも告げぬまま。



 ただ今日の幸せをかみしめていた。

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