三口目 ましろ—①
このかちゃんは、基本的になんというか気遣いの鬼だ。
店員としての、基本スキルと言ってしまえばそれまでなのかもしれないけど、ほんとに物事を広く見ていて、困っている人がいるとすっと手を差し伸ばす。
しかもその手の差し伸べ方が、さりげなくというか、それとなくというか。凄い絶妙。あー、飲みすぎたなーって想ったら、そっと世間話を始めて気づけばお冷を握らされていたりすることもあったっけ。
調子悪いなって時は、それとなく軽いお酒を勧めてきたり。仕事でむかむかした時は、なんかあったんですかーって不意に尋ねてきたり。なんか寂しいなってって時に、意味もなく私の隣に立っていた時もあったっけ。何してるの? って聞いたら、注文待ちですよって軽く笑って、そのまま色々喋ってしまったり。
割と本気でテレパシーとか使えるんじゃないかって、想ったこともあったし、口にも出した。なんか実験したこともあったけど、さすがに口に出してもらわないとわかんないですよ、って笑われた。
そんなだから、このかちゃんが行動するときは、だいたい何かしら意味がある。
ともすれば、私が気づいてない無意識レベルのことさえ、ふと手に取るように気づいてくる子なんだから、今も何かを察されているのかもしれない。
だから、これにもきっと意味がある……のかな。
「ねえ、このかちゃん」
「はい、なんですか、ましろさん」
「その、これはどういうあれなのかな……?」
そう私が尋ねても、私を後ろから抱きしめるように、手を回しているこのかちゃんは素知らぬふりだ。
「いえ、なんか今日はくっつきたい気分だったので」
「そ、そっかあ……」
そんな日とかあるんだろうか、恋愛経験皆無のアラサーにはちょっとわかりかねる感覚だ。
「あと、ましろさん、寒いかなって」
「……そっか、ありがと」
うーん、もしかして、そっちが狙いなのかな。まあ、実際、このかちゃんは体温高いから、とってもあったかい。厚手の発熱毛布くらいにはあったかい、多分。
この前、病院で改めて私の身体の色々を聞いたからだろうか。
体温が低いことで、私が感じる弊害も色々あるから、そこを楽にしようとしてくれてるのかもしれない。うーん、仮にそうだとしたら、慈愛の化身もいいとこだね。このかちゃんが教会で聖女の真似事してたら、多分、私普通に入信してそう。
まあ、でも今日は幸いまだ先週の分のチャージが生きているから、まだまだ体温は高めだったりする。今朝の計測では33度。私的にはばりっばりに高体温。このかちゃんに触れられて、熱いじゃなく、あったかいで済んでいるくらい。
そのまま後ろから抱きしめられながら、私たちはえっちらおっちら今日のデートコースを散策する。今日のデートは都心部の駅までやってきて、目的はスイーツ巡りとディナーです。お夕食はましろさん奮発してかなりお高めのお肉のお店予約しちゃったわよ。
デートコースがありきたり過ぎる気もしたけれど、そのありきたりを私やってねえから仕方がないのです。この言い訳も二度目な気がするな……。
ちょっとありきたりすぎたかもだから、このかちゃんが楽しんでくれるかは心配だけれど。
ちらっと後ろのこのかちゃんの様子を盗み見ると、穏やかでなのにどこかアンニュイな微笑みを浮かべてる。
かわいいとか、綺麗とかがまず感想として浮かんできてしかるべきなんだろうけど。どうしてか、私の頭に浮かんできた言葉は、えっちだ……、だった。
なんでやねん。いや、でもなんでかは一切説明できないけど、その笑顔がほんとにえっち。
以前、優しいと言って言い寄られたって話をしていたこともあったっけ、今になって言い寄った子達の気持ちがよくわかる。こんな静かでアンニュイな微笑みを浮かべるんだもん、それが気遣いの達人なんだぜ? 何かのバグだよもはやこれは。
そしてそんな彼女がどうしてか、未だに私のそばに居てくれている。
先生と二人で話してたから、改めて、私といることのリスクは理解したはず。
「ねえ、このかちゃん」
「なんですか?」
微笑みは変わらない。
『どうして、まだそばに居てくれてるの?』
そう尋ねてみたいけれど、どうしてか上手く口が動いてくれない。
「…………あっちに紅茶飲み放題のお店あるんだって行ってみる?」
「お、いいですねえ。行きましょ、行きましょ」
結局、私は他愛のない言葉を交わすことしかできないでいる。
このかちゃんと言葉を交わせる時間は残りそう多くはないって言うのに。
私はいつもそう、大事なとこは、勇気がなくて踏み出せないまま。
「………………」
「ましろさん、どーかしました?」
「……ううん、なんでもないよ」
そう、なんでもない。聞くのがまだちょっと怖いから。
それを聞いてしまうことで、私の心が揺らいでしまうことが。
人生を懸けた決意が揺らいでしまうかもしれないことが、少し怖い。
「…………何かあったら、私はいつでも聞きますよ?」
優しいね…………君は、ほんとに。
「うん…………ありがと」
言えないことは察せられてる。
それなのに、言えないことを許してもらってる。
私に勇気が出ないことを、どうしようもない弱さを許されて。
そうやって君の優しさに甘えたまま。
私達は、そっと紅茶のお店へと歩き出す。
結局、君には何も言えないまま。
最期の時も私はこうやって、この子に何も言えないままいるんだろうか、なんてことを考えながら。
そうやって、紅茶のお店に入って、このかちゃんと少し腰を落ち着けたころのことだった。
入り口から、カランカランってドアベルの音が鳴って。
程なくして、ずんずんと、こっちに向かって歩いてくる影があった。
なんだろって首を傾げて。
その二つの人影の片方を見て、さっと顔から血の気が引いていくのが感じられて。
程なくして、その人影は、どさっと特に遠慮した風もなく、私の隣に腰を下ろした。
――――どうして。―――なんで。
なんて思考する私をよそに。
妹は―――まふゆはどことなく、疲れたような面持ちでゆっくりと口開いた。
「はろー、姉さん。ちょっとだけ、話しいい?」
「で、でで、デート中にすいません、相席してもよろいいでしょうか? すぐどっかに行きますので。えへへ……」
私のことが大っ嫌いなはずの妹はなんてことはないふうにそう言うと、私の方を気だるげな視線で見つめてきた。
私は何の反応もできないまま、このかちゃんは何が起こっているのか分からないまま、ただ黙っていることしか出来なかった。
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