三口目 ましろ—②
『姉さんの選択ってあれだよね、要するに』
『父さんみたいな人、もう作りたくないってことでしょ』
『そこはわかんなくもないけどさ』
『でもそれって、残された私や母さんは、どうなんの?』
※
「そう、変な顔しないでよ、ほんとにすぐどっかに行くから」
「お、お姉さんのパートナーさんを見に来ただけなんです……。あ、わ、私まふゆさんのパートナーをさせてもらってる、ぬくみといいます。えへへ…………」
ただ何も言えない私の前で、まふゆとそのパートナーは特に遠慮した風もなく私たちの席に腰を下ろした。まふゆは私の隣、パートナーさんはこのかちゃんの隣に。
「…………な、なんで? っていうか、どうしてここにいるってわかったの?」
まふゆは基本的に私のことあんまり好きじゃないから、自分から関わって来るなんてほとんどない。……私の生き方が、まふゆの生き方を否定してしまっているから仕方ないことではあるけれど。
だけど、まふゆは大して気に留めた風もなく、メニューを眺めると、店員さんにホットコーヒーを頼んでいた。ちなみにパートナーさんの方は、なんでかパフェを頼んでいた。案の定まふゆはちょっと呆れたような目を向ける。
「……ぬくみ、私らすぐどっか行くんだけど?」
「え、あ、す、すいません! つい美味しそうで……。は、はやめに食べてどっか行きますね! デートのお邪魔でしょうし…………」
パートナーさんは反省したように慌てて頭を下げるけど、別に頼むことは止めないらしい。まふゆは少し疲れたようにため息をつくと、ちらっと私の方に視線を向けてくる。
「別に、姉さんのパートナー見に来ただけだよ、どんなもんかなって。ま、仲いいみたいで安心したけど」
そういってちらりとこのかちゃんの方に目を向ける。このかちゃんは最初はちょっと戸惑って、やがて照れたように頭を掻いていた。うーん、なんでか私の方が恥ずかしい。
「今日のデートは、たかはな先生から無理矢理聞きだしたかな。なんかパートナーできたってのは、ぬくみからタレコミがあったから」
え、と思わず口から声が漏れる。
そんな私の疑問に答える様に、ぬくみさんはおずおずと携帯の画面をこちらに向けた。
「…………えへへ、たまたまタイムラインを追ってたら、見たことある顔だったので」
このかちゃんと一緒に恐る恐るその画面を覗きこんで、そこに映っていたのは。
いつかのストリートピアノだった、その演奏と、最後にこのかちゃんにキスされる所までバッチリと。
……確かにあの時、撮影してる人もいたっけ、その人たちの誰かがネットにあげてしまったのか。
「けっこー、バズってたみたいだよ? 演奏の出来半分、最後のキス半分って感じだけれど」
「え、えへへ。天然物の百合キスは界隈では非常に貴重なものとされてまして……。私も大変お世話になったと言いますか、お世話になってる途中であ……ってなったと言いますか」
思わず頭を抱えて、慌ててこのかちゃんの方を見るけれど、当のこのかちゃんは気にした風もなく携帯を覗き込んで、ぬくみさんと何やら映像について話してる。
あれ……今、会ったばっかりだよね? 順応力高すぎない?
「ってなわけで、あの頑なだった姉さんが見止めたのは誰かなって見に来たの。……ただ、想ってたよりは、なんか普通の子だね、見栄えは悪くないけど。姉さんの趣味だから、もっと王子様っぽいのかとか想ってた」
「いやあ……なんか照れるっすね。王子様はちょっと荷が重いっすけど」
「まあ気楽にやれば? そういえばキス、今で何回目?」
「二回? ……いや三回っすねー、今日で四回目の予定っす」
そうして、ちょっと私が見ない間に、話があれよあれよと進んでく。私を置いて……。
でも、一つ誤解は解かないといけない。
「あのね、まふゆ。このかちゃんとは―――」
「一か月でしょ。期間限定って、先生から聞いてるから大丈夫」
「……そ、そう」
ちょっと慌てて、誤解を解こうとしたら、まふゆはひらひらと手を振って、あっさりと私の言葉を汲み取ってきた。そんなのわかりきってるとでもいうように。
「ま、一か月だけでも進歩じゃない? 私はいいと想うけど?」
「あ……うん」
正直。
正直、まふゆには、たくさん詰られるんだろうなって想ってた。
まふゆは、私とは違って、ちゃんと雪女と向き合うことを決めて生きてたから。
どうすればートナーに負担がかかって、どうすれば少しでも命を延ばせるか。
たくさんの人と向き合って、まふゆなりに小さい頃から色々と頑張ってた。
自分の命の在り方と、向き合うことから逃げた私とは対照的に。
だから、私が命を誰からも貰わないと決めたあの日から、まふゆはどことなく冷たい眼でじっと私を見てくることが多かった。
『裏切り者』って言われてるような後ろめたさがあって、結局、私は社会人になって、すぐに実家を出てしまったのだけれど。
今、目の前にいるまふゆからは、罵詈も雑言もとんでこない。
特に気にした風もなく、本当にこのかちゃんのことを見に来ただけのよう。
ぶっきらぼうなのは相変わらずだけど、こんなに落ち着いてるまふゆを見るのは、少し不思議な気分。
「…………へへ、
ようやくきたパフェにぬくみさんは眼を輝かせながら、どことなく自信なさげにこのはちゃんに向けてへらりと笑った。
あれ、でも、なんかさっき変なこと―――。
「そーなんっすか?」
「……は、はい。聞いてませんか?
だ、だからまふゆさんとも、キスさせてる時点で大丈夫だろうって、話してました……」
…………………あ。
ちょっと油断してた。
気も抜けてた。
なんかとんでもない爆弾を投げ込まれた。
その後もぬくみさんは、気の抜けた顔で、パフェを食べながら、平然ととんでもないことを言い続ける。困惑したこのかちゃんを気にした風もなく。
「………………そ……なんっすか?」
「はい、なんでも、命をつなぐ行為だから、その分とっても気持ちよくできてるらしいです……。た、たかはな先生が言うには、キス中は脳がえっちをしてる時の何倍もの快楽物質に包まれてるらしくて……。しかも、好きじゃない相手とした時には、相手の体温を奪いすぎて危ないから、ほ、ほんとに心を許した相手にしか、させられない特別な行為みたいですよ……?」
声が上手く言葉にならない、頬が熱くなって焼き切れてしまいそう。今すぐぬくみさんの喋ってることを止めたいのに、このかちゃんの顔が全然見れなくて、まともに動くこともできない。
「だから……多分、お姉さんのほうも…………」
「―――ぬくみ」
まふゆの声が短く、とても短く、ぬくみさんの言葉を堰き止める。
「まふゆさん? ど、どうしたました……?」
「……それ以上はダメ、うちの姉が憤死しちゃうから」
ぬくみさんは数秒間、不思議そうにパフェを口に含んで、顔を傾げてから、私の方をみて「あ」と短く呟いた。
…………。
………………………あの。
………………………………これは。
…………………………………………つまり。
心臓が熱い。
私が。
視界がぐるぐる回る。
あんなに。
口が渇く、息が浅くなる、涙が目尻から滲んでくる。
あんなに、キスはダメとか。四回だけとか。このかちゃんの命が――なんて宣っておきながら。
頬がもう限界なくらいに、いや、頬だけじゃなくてもう身体の全部が熱くて、熱くてどうにもならなくて。
――――――――実際は、特に嫌がることもせずに、キスされてた意味が。先生にも絶対に言わないでって念押ししていたことが。
声が。
全部。
漏れる。
全部。
溢れ出した感情が。
バレ。
恥ずかしさが。
た。
う。
う。
うにゃぁぁっぁぁっぁぁっぁっぁぁぁぁっぁっぁぁぁぁl!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
バレたバレたバレたぁ!!!
私が、あんなこと散々!! 口ではいやいやとか!! このかちゃんの命がーーとか言っときながらぁ!!
ぜん! ぜん!!
いやがってないどころかぁ!!!
身体は喜んじゃってたのがぁ!!!!
ばれ!
ばれ!
バレたぁぁぁっぁぁ!!!!!
「うにゅぎゃぁっぁぁぁぐぁぁぁぁぅうううぁぁぁぁぁんんんん!!!!!!!!!!!!!!!!」
漏れ出る声が動物じみてる、でも取り繕うこともできずにただ恥ずかしさのあまり喚き続けた。
そんな私を、このかちゃんは唖然とした表情で、ぬくみさんはあちゃーといったように頬をかいて、まふゆは少し呆れたようにため息をついて眺めてた。
27歳、秋、ましろ。いやいや言いながら、こっそり好いてたことをバラされる。
人生も残りわずかというところで、そんな初体験をしているのでありました。
「……え、えへへ。ま、また私、なんかやっちゃいました?」
「まあ……ちょうどいい薬かな」
ちなみに落ち着くのに、おおよそ40分くらいかかりましたとさ。
ああ、死にたい。今すぐ紅茶を被って、日向の雪だるまの如く溶けて消えてなくなりたい。
当然、ちょっと照れたように笑うこのかちゃんの顔はさっぱりみることができませんでした。
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