一口目 ましろ—②

 結局、その後、度重なる議論、もとい私のわがままにより、お出かけ先は近所のショッピングモールになった。


 本屋を巡ったり、カフェに行ったり、出店を覗いてみたり、そういう計画であります。


 もしかしてちょっと普通すぎ? ありきたり?


 ……いや、そもそも私が普通のデートなんてしたこともないので、これで勘弁してください。一応、別の目的もなくはないんだけれど。


 私が決めた内容に、このかちゃんはにっこり笑うと、「いいですよ~」と朗らかに言ってくれた。ただ「どのタイミングでキスしよっかな~」なんて言ってるのが心臓に悪い。


 そ、そうか、いつくるかわからないキスに、心を揺さぶられながらデートすることになるんだよね。


 も、もつかなあ、私の心臓…………。


 なんて、心配をしていたのが、おおよそ三十分ほど前のこと。




 「ましろさんは、何でもおいしそうに食べますねー」


 「みゅ、むみゅ?! そ…………そうかな?」


 お昼ごろに入ったちょっとおしゃれなレストランで、口に思いっきりパスタを頬張っているときにそんなことを言われた。急すぎて思わずむせそうになるのをぐっとこらえて、口の中に残ったカルボナーラを飲み込む。チーズがたっぷりかかって、その、とても美味しい。


 「お店いるときもね、何出しても美味しそうなんで、作り甲斐があるって店長笑ってましたよ」


 そういって、このかちゃんはけらけら笑いながら、自分の分のトマトのパスタをくるくると回して口に入れている。


 「そ、そう、かな。じ、実際美味しいし……。ほんとはあんまり食べすぎちゃダメなんだけどね……」


 いつものバーで出してくれるおつまみは実際、なんでも美味しい。ちょっとジャンキー旨辛チキンも、お洒落なチーズの盛り合わせも、バーとしては変わり種のキムチのナムルもとても美味しい。……おかげでちょっと食べ過ぎちゃうけど。


 ただ私の言葉を少し不思議に感じたのか、このかちゃんこてっと首を傾げた。


 「…………? そんなぽよってるようには見えないですけどね、むしろ細くないですか?」


 「あー……その……雪女はね、消化器官が弱いから、ほんとは、あんまり食べすぎちゃだめなの。体温低くて、腸の細菌が人より上手く動いてくれないんだって。おかげですぐお腹がぐるっちゃう」


 そんな私の言葉に、このかちゃんはほえーっと、感心したように声を上げた。


 「大変ですね、あったかい物とか、消化にいいメニュー探しときましょうか?」


 「う、うう、ありがとう。優しさが染みるよ……。でもまあ、私は一杯食べてきたおかげで、雪女の中だと、比較的胃腸強い方だから……」


 あのバーでの数多の暴飲暴食が私の胃腸を確かに強くしていた。うん、その分、次の日に無茶の代償が帰ってくるがことが多いんだけど。


 「へー……今更ですけど、他にも雪女いるんですか?」


 「うん……遺伝性だから、お母さんと妹は雪女だよ。他の親戚は付き合いが無くて知らないけれど」


 そうやって、他愛もない話……というにはちょっとイレギュラーな話をしながら、このかちゃんとお昼を過ごす。


 色々と、複雑な背景のことを考えなければ、推しの店員さんとプライベートでデートしてるのは素敵な体験だった。ていうか、人生の初デートなのに、私が立てたプラン、大体食べて回る話なんだよね。


 …………食いしん坊雪女なんて想われてなかったらいいんだけど。


 なんて思考をしながら、カルボナーラを半分ほど食べ終える。うん、とっても美味しい、チーズが山ほどかかってることに定評のあるお店で、実際想像の三倍くらいチーズが乗ってきた。たしかなまんぞくかんをえている……。


 ただ、これだけ美味しいと、トマトの方も美味しかったんだろうなあなんて、気になってしまう。しかし、私の残り一年あるかもわかんない人生で、もう一度この店に来ることがあるんだろうか。


 …………なんて意地汚いことを考えていたからだろうか、このかちゃんがもきゅもきゅ食べているさまをじっと見ていたせいもあるだろうか。


 私の視線に気づいたこのかちゃんは、しばらく不思議そうに傾げて、なにやらくすくす笑い出す。


 「んふふ、そーいうの最初に言ってくださいよ」


 え、と思わず口を開けたところに、このかちゃんは自分の分のパスタを巻いてすっと差し出してきた。あれ、これって。


 「え、あ、ごめ。そういう意味では……」


 「ましろさん、はい、あーん」


 ただ今更弁明にするには、多分、それまでの私の視線があまりにみっともなかったんだろう。いや、実際、ちょっとおいしそうだったし。


 目の前に差し出されるトマトパスタはこっちもチーズがたっぷりかかって、熱くて蕩けて、美味しそう。


 五秒ほど葛藤した末に、潔く口を開き直した。程なくして、このかちゃんのフォークがゆっくりと私の口の中に入ってくる。


 「どーですか、お味は?」


 「…………べりーおいしいです」


 そう問われたので、年上の矜持にひびが入るのを感じながら、正直な感想を口にした。く、くう、いいように弄ばれている気がする。くやしい、でもおいしい。


 トマトの甘酸っぱさと、チーズのとろみとうま味、確かに香るガーリックの香り、そして熱々加減。くう、今日もご飯が美味しい。


 「じゃ、私もそれ欲しいです」


 そして、私がトマトのうまさに打ち震えている間に、このかちゃんは目をつぶって口を開けていた。え、と一瞬動揺してから、五秒ほどして慌てて自分のパスタをくるんで、その開いたお口にそっと差し向ける。


 その間、このかちゃんは完全に眼を閉じていて、私が差し出すものを、無防備に口を開けてただ待っている。


 なんか、これちょっと煽情的だな……。


 なんて思考をしながら、そっと震えながら彼女の口に、パスタを差し込んだ。


 差し込んだ瞬間に、このかちゃんはフォークにぱくっと食いついて、丁寧にパスタをフォークから抜き取ると満足そうに口を動かしていく。


 私が差し出したものが彼女のお腹の中に入っていくのは、なんというかちょっと変な気分になると言うか。そういえば間接キスだけど、そういうのを気にしちゃうのも子どもっぽい気がするし……。


 なんて思考をしている時点で、もう彼女の手の平の上というか。


 「おいしーですね」


 そうやってこのかちゃんが笑うだけで、もう上手く目が合わせられない。


 だ、騙されちゃ、だめ。これは私を堕とすための罠なんだから、と想ってはいるのだけど。


 ふと改めてみた笑顔はLEDライトくらい眩しくて、普段ちょっとダウナーっぽい彼女が浮かべるからこそ、より尊いものに見えてしまうと言うか。く、くそう堕ちてなるものか。


 たらだ結局その後も、私はパスタを食べ終わるまでどきどきしっぱなしだった。


 いやあ、これ大丈夫かな、こんな容赦のない推しのかわいさ攻撃、私は一か月も本当に耐えられるんだろうか。


 ぐぐぐ、と思わず胸の動悸に呻いている私をこのかちゃん、はどことなく遠い眼で眺めてた。


 あと私の年上としての威厳は本当に、あと一か月保てるんだろうか。


 もうとっくに取り返しがついてない、なんて心の中の私の心無い言葉は聞こえないふりをした。






 ※





 「あれ、ましろさん。ここのモール、ストリートピアノあるらしいですよ。折角だし見に行きませんか?」


 出店の買い食いで二人でパフェを食べてる時、このかちゃんはスマホを見ながらそう言った。私は思わずうぐってクレープをむせながら、出来るだけ不自然にならないように相槌を打つ。


 「へ、へえ……そうなんだ。うん、見るだけ、見るだけね……」


 そう言って、五分ほど歩いて、到着したモールの広場にちょこんと置かれたストリートピアノを見ておおーと二人して声を上げる。うわさに聞いてたけど、実際にあるもんだね。


 周りにはそこそこ人がいて、その真ん中で演奏者の人と、多分待機っぽい人が一人並んでる。


 ピアノはグランドとかじゃなくて、アップライトで、今演奏してるのは、最近のアニメの曲とかかな。周りの人たちはスマホで撮ったり、演奏が終わったら拍手したり。


 う、うわー、想ったよりちゃんと、コンサートって感じがする。もっと人少なくて、ピアノが置いてあるだけかと想ってたんだけど。


 なんて思考をしていたら、少し不思議そうにこのかちゃんは首を傾げた。


 「ていうか、ましろさんほんとに知らなかったんですか?」


 「え、う、うう……えと」


 思わずしどろもどろになりながら、少し目線を泳がせて、こんな態度で出てる時点でバレバレじゃんって思わず自分で突っ込んでしまった。


 「…………ましろさん?」


 「…………し、知ってました。前から興味はあったんだよね、だからこのモールを選んだのも、一応そういう理由もあったというか……」


 ほんとはずっと前に調べてて、でも来る勇気がずっとでなかったところなんだよね、ここ。今日も、正直、ちょっと見るだけーとか想ってたんだけど。


 「いいじゃないですか、行きましょーよ。ほら、そこに受付表あるみたいなんで、書いて書いて」


 私の話をきいたこのかちゃんは、楽しそうに笑みを浮かべると、私の背をどんどんと押して受付表の前まで連れてきた。それだけで周りの視線がちらっとこっちを向く、ううう、これだけでもう緊張する……。


 「や、やっぱ自信ないよー、緊張するし……」


 思わずそうやって泣きごとを吐いてみたら、このかちゃんのちょっと呆れた視線が返ってきた。


 「いや、いっつもバーでノリノリで弾いてるじゃないですか、ていうかもともとピアニストだったんでしょ? こーいうの慣れてるんじゃないですか?」


 「そ、それは……。ピアニストって言ってもほとんど配信だったから……。それに、お店ではお酒はいってるから、ちょっとハイになってるし。それにほら、さっきの人も凄く上手だったし、私なんか……」


 そう、結局、普段の私にそんな勇気はない。だから今日の今日まで、ここで演奏したことなんてなかったんだよね。実は何回かチラ見して、結局弾かずに帰ったことも何回もあったっけ。


 うう、我ながら情けない。というか受付表の前にいるだけで人に見られるから、それだけでもういたたまれなくなってくる。ああ、ごめんなさい私なんかがこんなとこにいて。


 なんて思考をしていると、後ろでこのかちゃんの小さなため息が聞こえてきた。


 あ、呆れられたかなって思わず不安になって、後ろを窺うと、ちょっと静かな表情のこのかちゃんがそこにいた。


 「だいじょーぶです、ましろさんが上手なのは私が保証しますから」


 「で、でもう…………」


 そう言葉を濁した時。


 ふと、このかちゃんと眼があった。


 とてもとても静かな瞳、私のことだけをじっと見つめているような。


 「ましろさん、覚えてます? 半年くらい前、開店前に一回、弾いてくれたことあったじゃないですか?」


 そうやって、いつかであった頃の記憶をたどるみたいな。


 「あの時、私ほんとうに感動したんですよ。だから、大丈夫です。ましろさんの演奏は恥ずかしい物じゃないし、笑う奴がいたら私が蹴っ飛ばしてやりますから」


 そんな瞳で私のことをじっと見ていた。


 ああ、うう。


 …………このかちゃんにこういう風にお願いされると弱いんだよなあ。


 迷う。惑う。


 ……でも、正直、もう答えは半分決まっていると言うか。


 ま、まあ正直ね?


 幸いというか、今日は、誰かさんのお陰で身体は力に満ち溢れているわけで。


 さっきのパスタもパフェも美味しかったし。調子は正直、すこぶるいいし。


 私も老い先短いし、これを逃すと、もう二度と出来ないかもしれないし。


 ……なんて言い訳を一杯して、私は軽く息を吐いて頷いた。


 「……一曲だけだよ?」


 決して、決して、このかちゃんの真剣な表情に堕とされたとか、半年前のこと覚えててくれたこととかに絆されたとか、そういうことではないのです。……ないのですよ?


 そして私の言葉に、君はまあそれはわかりやすいくらい、嬉しそうに表情を和らげた。


 「ましろさんのそういうとこ好きですよ」


 とかさらっと言ってくるし。


 そうやって話している間に、気付けば前の人の演奏が終わってた。拍手の音を聴きながら、嬉しそうに私の頬に寄ってくる君の頭を息を吐きながら抱き留める。



 はあ、仕方ない、覚悟決めるか。



 そもそもは私がやりたいって想ってたことなわけだし。



 気合を入れて、やりきるしかないんだよ。



 そう、どうせ老い先短い奴の演奏なんだ。



 好きなようにやってやろう。



 やれるだけやってやろう。



 よーし、いつでもかかってこーい。



 周りを見て自分の番なことを確認してから、私はピアノにどかっと座り込む。



 それだけで周囲の視線をピリピリと感じるけれど、今見られてるのはそれだけじゃない。



 このかちゃんだって見てるのだ、推しが見てるぞ、やれるぞ私!



 よし、よし! よし!!!



 いくぞ!



 そう、真っすぐ気合を入れて――――。





 「…………やば、なに演奏しよ。こ、このかちゃん、なんかない?!」


 頭が真っ白になっていた。


 「あらら〜…………」




 開始までの選曲にちょっと時間がかかったのは……内緒だぜ。

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