一口目 ましろとこのか
結局、絞りに絞って、曲目は人気アーティストの代名詞みたいなラブソングになった。結構有名だし、アーティストを知らない人でもフレーズくらいは知ってるだろうってことで。
そうやって曲が決まって、それでも不安で気が気じゃなかったんだけど、その間、このかちゃんは心配なんて微塵もしてないかのようにけらけら笑ってた。
「ざわざわしてるけど……弾いていいかな……?」
「んー、大丈夫ですよ。曲が始まったら、どうせ、黙るでしょ」
どこにそんな確信があるのか、えらく自信満々にこのかちゃんは笑う。あはは
……本当にそうならいいんだけれど。
でもまあ、いつまでも渋ってても仕方がないので、諦めて演奏席に腰を下ろして鍵盤を少しなぞる。
ストリートピアノ何て言うから、少し荒れたものを想像していたけれど、丁寧に整備されているのが解る。ちゃんと調律もされているし、たくさん弾かれてきたからか、鍵盤やペダルも滑らかに私の意思に応えてくれる。
そうやって、軽く音の確認で指を滑らせる。そうしいると、少しずつ頭の奥が冷えてきて、息も段々と落ち着いてくる。……うん、どうにかいけそうかな。
ふと見回すと、気付けば周りは静かになっていた。誰もがじっと私が何を弾くのかを待っているみたいにしんとしている。
ちらっとこのかちゃんを見ると、静かに優しく微笑んで、私に向かってすっと頷いてきた。私はそれに小さく頷き返して、改めて鍵盤に指を乗せる。
息をゆっくり吸って、身体をそっと整える。
足で小さく拍を取ってから、すっと身体を落とすように鍵盤に指を滑らせる。
はじめは、もしできるなら、ここで弾きたいなくらいの気持ちしかなかったけれど。
いざ、ピアノの前に座って、改めて認識する。
もしかしてじゃなくて、きっとこんな機会二度とない。
命の灯が残り少ししかない私に、『次』はもう訪れない。
それでも私は臆病で最後まで、怖気づいていたのに、このかちゃんは気楽に背中を押してくれた。
それは彼女にとっては、きっと些細ななことだけど、私にとっては本当に大事な一歩で。
だから、せめてそれに応えるために、精一杯演奏しよう、私の命の灯が輝けるほんとの精一杯を。
だから、あらん限りに、弾いて歌おう。
曲に入る直前、全力疾走をする前準備みたいに、自分の中に空気を溜めて、ある一点でそれをそのまま爆発させるように指を滑車の様に動かしていく。
鍵盤をなだらかに、でも荒々しくなぞり続け、その狭間に吐ききるように声を乗せる。
音程を崩さないようにしながら、その歌詞に綴られている感情に身を任せる。
あらん限りの愛をこめて、あなたに。
感謝を。
尊敬を。
信頼を。
そして、なにより溢れるほどの愛を。
花束に込めて贈るように。
理由はどうか聞かないでと―――。
そうあらん限りの声で歌った。
※
半年前、そう、もう半年も前なんだけど。
ましろさんは一回、私が落ち込んでる時に、開店前の店で曲を弾いてくれたことがあったんだよね。
その時も想ったけれど、この人の歌はやっぱりすごい。
小さな身体を目一杯に動かして、ともすれば乱暴に振り乱すように弾いているのに、音の調和は一切乱れない。
その小さな身体のどこにそんな声が隠れていたのかわからないくらいのよく響く声。マイクもつけてないのに、ピアノに一切飲まれることなく、溢れるような歌声がすっと鼓膜を揺らしてくる。
それで、何より。
その声にこもる感情に呑まれてく―――。
喜びの歌は、心の底から楽しみ嬉しがるみたいに。
悲しみの歌は、全てを失ったかのように痛く苦しんで。
怒りの歌は、心を燃やすように叫んで喚いて。
そして愛の歌は―――。
まるで、本当に隣に愛する人がいて、その人に精一杯、想いの限りを伝えようとするみたいで。
そんな、溢れるような感情に、零れるほどの想いに、湛えるような心に。
気づいたら呑まれてる。
ちらっと周りを見回せば、案の定、大半の観客は呆然としたようにましろさんの曲に聞き入っていた。録画しようとしてる人すら、スマホを持つ手がだらんとしてるのに気づいてない。
ほら、言ったでしょましろさん。どうせ、みんな黙るって。
普段、お酒を飲みながら、ノリと勢いで弾きながらやいのやいの言いながら過ごす夜の演奏も好きだけど。
この人の、本気の演奏はやっぱりほんとに素敵だよねえ。
なんて独り言ちていたら、間奏の合間にましろさんがちらっとこっちを向いていた。
え、って思わず声が零れるけど、必死に何かを目で訴えるみたいにしてる。口もパクパク動いてて、何かを伝えようとしているような―――。
…………んー。
……………………。
まさか……。
『このかちゃん、コーラス!』
っていう風に言われてる? いや、あの口の動きはそうだよね。
…………まじか。
しばらくどうしようかと迷っていたけれど、言ってる間に曲は進行してコーラスパートに近づいてる。
いや、この演奏に私一人のコーラスは荷が重い…………。
なんて想ってはいるんですけど。
まあ、ましろさんがお望みなら、仕方ないっすか。
『コーラス、いくよ!』
「 」
ましろさんと眼を合わせて、声を重ねる。
私の声、低くて掠れがちなんだけど、ましろさんの声と重なると少しはマシに聞こえるかな。
周りの観客が一瞬ちょっと驚いたようにざわっとした。
そりゃあ、急にコーラス始まったらびびるよね……。
…………いや、逆にこれはチャンスか?
私はちらっと一番手前の元気そうな子に、視線を合わせて軽く両手を広げてみる。
ほら、君も歌うんだぜって。
ましろさんもそれを察してか、ちょっと曲を転調させて緩めてくれる。ゆっくりと歌いやすいように。
小さな子どもは最初、少し戸惑って首を傾げて見えたけれど、やがて意を決すると、小さな声で口ずさみ始めた。親御さんらしき人が、その子にわざわざスマホで歌詞をみせてあげてくれているし。うしし、良い感じ。
そのまま、ちょっとずついろんな人に視線を向ける。
みんな最初は少し戸惑って、でも段々と小さく口を開く音が辺りを満たしてく。
最後にましろさんに目を向けていたら、ましろさんはどこかちょっと泣きそうな顔で私を見ていた。
それからましろさんは、勢いよく鍵盤を掻き鳴らす。最後のサビだよってみんなにそう知らせるみたいに。
ふっと、息を吸う音が、一瞬、たくさんの人と重なった。
瞬間、静寂が満ちる。
そうして、あらんかぎりの声を重ねた。
愛をこめて、どうかあなたへ、花束を。
※
歌い―――切った。
息を吐くだけで身体が震える。
指先から、足先まで情けなく笑ってる。
やりきった―――んだよね?
なんか途中から合唱みたいになってきて、その瞬間の高揚が今まで感じたこともなくって、熱に浮かされる様に弾ききった記憶しかない。
今も熱で浮かされたように、視界が歪んでる。あ、ていうか、結構やばいかも。
身体がふらつく、ぐわんぐわんと全部が回るみたいに見える。
息が乱れる。ていうか、あ。
前かがみになってた身体を支えていた腕が、ぐらっと揺れた。
倒れる―――。
「だいじょーぶですか」
――――――。
そう想った瞬間に、肩がそれとなく支えられる。
ゆっくり振り返ったら、いつも通りやんわりとした笑みを浮かべたこのかちゃんの顔がそこにはあった。
その顔を見て、まだ視界がぐるぐるするけれど、思わず笑顔を浮かべてみる。
「う、うひひ……。な、なんとかなった……かなあ?」
そんな私の言葉に、このかちゃんは静かに眼を閉じるとゆっくりと頷いてくれた。
「はい、さいこーでした」
そんな言葉に安心したら、余計に体勢が崩れて、それを抱きかかえるようにこのかちゃんに受け止められる。
ああ、あったかい。普段は熱くて他人に触れるのも難しいけれど、今はこのかちゃんから体温を貰った後だから、この暖かさが心地いい。
「ましろさん、立てます?」
「…………ごめん、ムリかも」
苦笑い気味にそう言うと、このかちゃんはすっと私の身体の下に潜り込んで、そのままお姫様抱っこみたいな形で担がれる。……うう、背が高いっていいなあ。
「よっと」
「……このかちゃん、絶対女の子にモテるでしょ」
「はは、まっさかあ」
どうやったらこんなナチュラルに乙女心をくすぐるムーブができるんだ。なんて嘆きはよそに、ずり落ちないようにどうにかこのかちゃんの首にしがみつく。
そのまま抱きかかえるようにそっと椅子から降ろされて、ピアノから離れようとしたところで、ふと周りを見回した。
…………なんか凄い人だかりできてるような?
そういえば合唱してくれた時、結構の人が歌ってくれてたもんねえ。あれ、楽しかった。なんかあの一瞬だけ、みんなの心が一つになったみたいな、不思議な感じがした。
そんな瞬間を想い出してすこしほくそ笑んでいたら、人ごみからとことことこっちに向かってくる影があった。
親子連れ……かな?
その子ども……小さな女の子は私の所までくると、何かを言おうと必死に口を動かしていた。でも、うまく声は出てこない、自分の気持ちをうまく言葉にできないのかな。
このかちゃんに軽く視線を向けて、少し降ろしてもらって、ゆっくりとしゃがみこむみたいにその子に視線をそっと合わせた。少女はしばらくあたふたしていたけれど、すっと私になにかを差し出した。
…………なんだろう。折り紙?
恐る恐るその手から折り紙を受け取って、それが花びらの形をした折り紙のことに気が付いた。
「くれるの……?」
「う、うん!」
そういって少女は顔を真っ赤にして、そのまま親御さんの後ろに隠れてしまった。あらあら、これはまた随分と可愛らしい報酬を貰ってしまった。ぎゅっと握られていたせいか、気持ちほんのり暖かい。
ピンク色のその折り紙でできた花びらを受け取って、私は小さく微笑んで、その少女にありがとうって言って手を振った。親御さんの陰から、その子も小さく手を振り返してくれた。
そのまま立ち上がろうと身体を起こして、それでもまだうまく立てなくて、結局このかちゃんに抱き留められるみたいに受け止めてもらう。
「…………貰っちゃった」
「そーですね、ちょっと妬けちゃいますけど」
「んー、このかちゃんも欲しかった?」
そういって、このかちゃんに折角もらった折り紙をすっと見せてみた。このかちゃんは優しく笑って、軽く首を横に振った。
「いーえ? だって、それ花じゃないですか」
「…………? うん、花だねえ」
「さっき歌ってたの、愛を花束にかえて贈る歌でしょう?」
このかちゃんは、いつもの飄々とした表情のままそう言った。私はその言葉の意味を考えて、ああとなってから改めて折り紙の花を見る。
なるほど、これはあの子が私にくれた愛の証ともいえるのか。
「なるほど、素敵だね」
「でしょ、だからちょっと嫉妬しますよ」
「あはは、でもそれもビジネス的な優しさなんでしょー?」
なんて軽く笑ってみたけれど、返事はない。
ん? と思ってこのかちゃんの顔を伺おうとするけれど、視界がぼやけてうまく伺えない。
どうしたのかな、このかちゃん。
なんて思った次の瞬間に。
「へえ、そういうこと言っちゃうんだあ」
唇を塞がれていた。
柔らかくて、熱くて、湿った何かに。
まるで彼女の唇みたいな何かに。
声すら上げる間もないままに。
口づけをされていた。
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