一口目 ましろ—①
このかちゃんは常連の贔屓目ぬきにしても素敵な女の子だ。ちょっと飄々とした雰囲気で、どんなことを言ってもさらっと反応してくれるというか。
ぱっと見はちょっと軽めなんだけれど、話してても決して適当に聞いてるわけじゃなくて、ああちゃんと聞いてくれてるな、って不思議な安心感をいつもくれる。
私がちょっと暗いこと言っても、明るい話題で返してくれるし、どんな話をしても最後には楽しそうにけらけら笑ってくれる。
ちょっとダウナーっぽいお洒落も、少しブリーチがかかったロングヘアも、私より20センチくらい高いすらっとしたスタイルも何もかも私の好みで。
正直、半年前に店に来てから、ちょっとした推しだったりするんだけれど。まあ、その優しさがビジネスなことは重々承知なわけですが。
そんな彼女はいつも通り飄々とした振る舞いで、にへっと力の抜けた笑みを浮かべながら。
「キスをする権利をください」
なんて―――言ってきた。
「―――はへ?」
何を言ってるんだろう、この子は―――?
「あ、じょ、冗談だよね? もう―――」
「え? 本気ですけど?」
そう言ったこのかちゃんの表情は普段通り、あどけなくてなのにどこか底知れない微笑みを浮かべてて。
「そ、そんなの、ダメに決まってるでしょ、あなたの命が―――」
「はい、だから『ずっと』なんて言いません。期間限定、回数制限付きで構いません。それなら、ましろさんが吸い過ぎることもないでしょ?」
そう言って笑うこのかちゃんはいつも通り、飄々と笑みを浮かべてて。
「そうですね、じゃあ、十回とか、どうですか? 期限は半年くらい」
「そ、そんなにだめだよ、何か月分も命吸っちゃうかも――」
「じゃあ、七回。三か月」
「だめ、だめ。だめもっと、短く、三回とか、四回とか―――」
「はい、わかりました。
「え、あ、うん―――」
う、うん、四回くらいなら、そんなに沢山吸わないはず―――だけど。
あれ、いつの間にか、キスは許すながれになってるような。
っていうか、このかちゃんまるで、最初っから十回もできないことなんてわかってたみたいじゃなかったかな。
も、もしかして―――乗せられた?
なんて想う頃には、もう何もかもが遅くって。
このかちゃんはどこかへろっとした笑顔を浮かべたまま、細めた目で私を見ていた。
「じゃ、四回だけキスしますね。約束ですよ? ましろさん」
そうしてその笑顔で、その表情で、そう問われてしまえば、私は後ろめたさもあって頷くことしか出来なかくて。
慌てる私をよそに、君は穏やかで、なのにどこか底知れない黒い瞳でじっと私を覗いてた。
な、なんかとんでもないことになってない?
※
「というわけで、ましろさん」
「は、はひ!」
「準備はいいですか?」
「は、ふ、は、わ! は、はい!!」
そういったこのかちゃんの言葉に、身体が思わずカチコチになる。氷みたいに固まって動けないのに、バクバクと心臓が鳴って、身体が熱くなっているのだけはわかる。
っていうか、多分、今物理的に、私人生で一番熱が高い。インフルエンザでもこんなに熱が出た記憶がない。
ああ、耳の奥で血管が脈打ってるのが解る、喉がからからでしかたないのに、身体の中はどんどん熱くなる。
え、い、今からキスするんだよね?!
よ、四回も? いや一気にはしないのかな。で、でも今からキス!!?? ていうか、私最初にした時の記憶がほとんどないから、実質ファーストキスなんだけど?!
あわわと口から漏れ出る声が抑えられない、年上なのにこんなに情けなく、動揺してみっともないのに、さっぱり気持ちが抑えられない。このかちゃんはすって立ち上がると、さりげなく私の隣にすとんと腰を下ろしてきた。
ち、近い。肩が触れてちょっとあったかい、あ、ていうか人の体温をこんなに心地いいって感じたの初めてかも。
ていうか、ど、どのタイミングでするんだろ、私からした方がいいのかな、それとも待った方がいいのかな。こ、このかちゃん、明らかに経験者なんだよね、お、お任せがベストかな?!
人の命を吸うっていうとんでも罪深い行為のはずなのに、脳がパニックになってそれどころじゃない、身体が熱くて、普段の倍血液が流れてる気さえする。普通の人は、いつもこんなに血が流れて平気なのかな。
なんて思考をしている間に、ふと横を向くと想っていた倍は近い位置にこのかちゃんの顔があった。鼻立ちがすらっと整っててとってもきれい、ていうか鼻がそのまま掠めそうで、ちょっと息も顔にかかってるっていうか。
身長差があるから少し見降ろされてて、逆光になってるのが、このかちゃんのダウナーな雰囲気とマッチしてて、これ想ったよりやばいかも。
と、とりあえず、眼を閉じろ! このまま近くで見つめ続けたら、恥ずかしさで憤死するに決まってる! よし閉じた! あれ、でもこれってつまりいつでもウェルカムな体勢なんじゃ? 誘ってるみたいになってる!? あ、あ、そ、そんなつもりじゃ。
なんて思考をしていると。
唇にふみっと何かが触れた。
き、き、キスしちゃった!! は、はじめて、わ、わたしほんとに!!
胸が沸き立つ、身体が動揺と感動で震えあがってる。
だけど。
キスし、し、しちゃ…………あれ?
違和感?
でも、なんか。
触れる感触がちょっと想像の唇にしては固いような、小さいような、そのまま、その何かに唇をさわさわと撫でられているような。ちょっとくすぐったくて、お腹から背中のあたりがむずむずしてしまう。
………………。
ちらっと片目だけ、こっそりと窺うように開けてみた。
このかちゃんと眼があった。………………さっきと大して変わらない位置で。
代わりにさっきから私の唇に触れてるものは…………。
「ましろさん、唇つやつやですね。ノーリップでこれですか?」
このかちゃんの人差し指が、ちょんちょんと私が差し出すようにしている唇を、突っつくみたいに撫でていた…………。
「………………」
無言で身体をそっと引く。
顎を下げて、きっと端から見たら、物欲しそうに出していた唇をそっと元に戻す。気づけば両手は、祈るみたいに握られて、手足は緊張で小刻みに震えてる。
これが27の処女があられもなくキス待ちしている様であった。
少し息を吐いてから、私はゆっくりと頭を下げる。
「――――後生だから、忘れてください」
そのまま地面にたたきつけんばかりに頭を擦りつけた。
ましろ、本日二回目の土下座になります、人生初土下座から一時間足らずで連続土下座記録を更新することとなりました。可能なら今すぐ腹を切ってあの世に行きたい。
「ははは、いえ、むしろかわいかったですよ。写真撮ってなくて残念なくらい」
「ほんとに恥ずかしさで爆死しちゃうから、勘弁してください」
キスはダメとか、命は吸わないとか散々言っといて、いざキスされるかもとなったらこの体たらく。私の10年以上にわたる覚悟はなんだったんだといわんばかりの、腑抜けっぷり。妹に知られたら、ただでさえ嫌われてるのに、ゴミムシを見るような目で見られてしまう。
ああ、さっきとは別の感覚で身体が熱い、なんか情けなくて涙が出てくる。うう、きっと今日一日でこのかちゃんに、目一杯幻滅されてるに違いない。ちょっと頼れる人生経験豊富な年上ムーブを、昨日までは元気にかましていたはずなのに。
なんて想いながら、ちらっと頭上を窺うけれど、このかちゃんはいつも通りにへっとした笑みを浮かべて、邪気のない表情でけらけら笑っていた。ああ、やっぱり天使。さっきこの天使にしっかりからかわれた気もするけれど、それでも天使。
「それより、デートの計画立てましょ? お誕生日デート。あ、ていうか今日予定空いてます? 昨日酔っぱらいながら大声で言ってた気もするけど」
「あ、はい、空いてます。………………ん?」
そう、誕生日ですけど一切予定はありません。これがアラサー独身OLの実態よ。いや、それにしても、なんか聞き慣れない単語が混じっていた気が。
「どーしたました? ましろさん」
「でぇ……と?」
心の中の武士が、剣妙さに首を傾げた。確かそのような言葉が当世では流行っているとかいないとか。
「はい、デートです。私も、今日空いてるんで、どこ行きましょっか。お店予約とかとれるかな、何食べたいです?」
「え、あのき、キスするのでは…………?」
そこにデートなんて素敵なオプション果たして含まれていたんでしょうか……?
ただ、そんな私の疑念をよそに、このかちゃんは儚げな雰囲気でにっこり微笑んだ。あ、美人、目の保養。
「もちろん―――しますよ? でも、ただすっとやって終わりじゃあ、味気ないし、
そう言ってこのかちゃんは、ゆっくりと私の肩に頭をこてんと載せてきた。それだけで私の胸はどきっと跳ねる。息遣いが、首元に当たって、へんなむずがゆさが身体中を満たしてく。
「ましろさんの気持ちも尊重しますよ、誰かの命を削らないこと。そのために自分を犠牲にすること、それは凄く立派だと想いますけど――――」
君の声が、私の耳元に近い場所で、優しく耳をくすぐるように囁かれる。
「私は—――ましろさんにはできるだけ生きてて欲しいので」
う、あ、う、とか声にならない音だけが、口元から漏れていく、反応すらうまくできない。
「だから、このキスの権利、使えるあいだに、あなたの心を変えてみます。理想は、私のことを好きにさせて死にたくないなって想ってもらうことですね」
こ、こんなこと、なんで私なんかの身に起きてるんだろう。ちょっと都合良すぎない?
「だからね、ましろさん、これはゲームみたいなものなんです。四回、たった四回のキスの間に、私があなたを堕とせるかのそういうゲーム」
くすって耳元で笑う声がする。普段、飄々としている彼女から響いてくるとは想えない、深くじんわりとした蠱惑的な声の震え。
「だから、ほんとに死にたいなら、頑張って耐えてくださいね、ましろさん」
そういうと君はすっと私のそばか離れると、いつもどおりにへっと笑った。
まるで何事もなかったかのように、まるで当たり前の話をするみたいに。
「というわけで、デートどうしましょっか? ましろさんは何処行きたいですー? 急だし、今日は近場ですかね……ってましろさん?」
ただ、まあ、私の心臓はちょっとその落差には耐えきれていなかったもので。
あ―――、ダメ。
なんて想った瞬間にはもう遅くって。
回りすぎた血が頭をふらつかせて、そのままべとって情けなく床に倒れ込んだ。
し、死ぬ。寿命なんか待たなくても、ドキドキの過剰摂取で死ぬ。
意識の遠く向こうで、このかちゃんが慌てて、私のことを呼ぶ声がするけれど。
もう、ダメです。お姉さんはちょっとしばらく情緒の揺さぶりが激しすぎて、立ち直ることができましぇん。
拝啓、父、母、妹へ。リア充はどうしてこんなに刺激に当たり前に耐えられるのですか、それともこのかちゃんの攻撃力が高すぎるんですか。
結局その後、三十分ほど、このかちゃんに介抱されることになったのでした。
「で、デートは何処に行きましょっか?」
でもやっぱり、今日で私の心臓は限界かもしれないなあなんて、そんなことを想う秋も盛りのころでした。
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