プロローグ ましろ

 私が『生き方』を決めた時。


 お母さんはじっと何かに耐える様に目をつぶって。


 妹は何か言いたげな冷たい瞳で私を見ていた。


 多分、誰の賛成も得られていない、そんな決断。


 でも、誰一人として私に無理強いはしなかった。


 あなたの人生なのだから、あなたの好きなように生きなさいと。


 でも、できることなら、あなたには私たちより長生きして欲しいと想ってると。


 そんな言葉を聴いて尚。


 私は今日に至るまで『生き方』を変えてこなかった。


 そんな選択を後悔したことは、多分ない。


 だって、誰かを犠牲にしてまで生き延びていくような人生なら、歩みたくはないって。


 そう想っていた、でも時々不安になって、やっぱりこんな人生でどこかで間違えてしまったのかなって想えてしまう時はあった。


 そして、いざ終わりが近づいてきたら、怖くて、不安で堪らない夜が来て、何度も何度も涙を零したけれど。


 きっと、この生き方は、この選択は間違いじゃないんだと、そう想って生きてきた。

 

 そう想って生きてきたけど――。


 胸の奥に宿る寂しさだけは、どうにもできないままだった。


 そんな寂しさを今日も私は、ピアノを弾く指に乗せていた。


 全部全部、歌になってしまえばいいと。


 そんなことを願いながら。




 ※



 目を覚ました時に、あれって一つ違和感を抱く。


 いつも通りの朝なら、まず頭痛から始まる。それからお腹も痛くなって、しばらくトイレに引きこもるのが私の朝の日課なわけなんだけど。


 ………………痛くない。いや、昨日飲み過ぎた分のぼんやりとした感じは残っているけれど。


 それを差し引いても、なんか妙に身体が軽い。こんなに身体が軽いのは、子どもの時以来じゃないかってくらい、重さも痛みもこわばりも何もない。


 首を傾げて肩を回していたら、視界の端にふっと人影が写ってた。


 うぇ?! え? 誰?!


 なんて思考をすること、おおよそ十秒。


 その人影が私のベッドに突っ伏すようにしていること。それと小さなすーすーという寝息を立てていること。そして、昨日見たばかりの顔のことにはたと気が付く。


 あ、このかちゃんだ。よく行くバーのかわいい店員さん。昨日も行って、そのまま飲み潰れちゃったのか、私。


 それでその後、送ってきてくれたのかな。昨日の帰り際の記憶はかなり朧気だから自信ない。特に私は、眠る前後の記憶が曖昧になりがちだから、正直さっぱり想い出せない。


 うう……しっかりご迷惑をおかけしてしまったみたい。まさか送ってもらうまでになっていたとは、支払いとか大丈夫かな……?


 そんな風にうんうん唸っていたら、程なくして、もぞもぞとこのかちゃんが身体を起こし始めた。私が起きて唸っていたから、そのせいで目が覚めてしまったみたい。


 申し訳なーいとも想うけど、もしかすると、このかちゃんも用事があるかもしれないし早めに起こしてあげた方がいいのかも。


 軽く肩をぽんぽんと叩いて、彼女の眠りをゆっくりと覚ましていく。


 このかちゃんと私の関係は、行きつけのバーの店員さんとそのお客。


 それ以上の関係なんてない。でもそんな私にも、朗らかで軽やかで明るい、そんな可愛い店員さんだ。ちょっとダウナーなギャルというか、そういう雰囲気が私にはないものすぎて、憧れてしまうのは秘密だけど。


 そんな彼女の肩を少し叩いて。



 違和感。



 このかちゃんの首筋にそっと私の指が触れた。


 しまった―――と想って、一瞬指を引きかけて。だけどその必要がないことに、すぐ気が付いた。


 あれ、普段、他人と触れ合う時に感じる、焼けるような熱さが―――ない。


 もしかして、想ったよりまずい? まさか昨日、私を送ってる間に身体冷やしちゃってる?


 慌てて身体を揺さぶってみるけれど、このかちゃんはむずっているだけで、身体をほとんど動かさない。


 まずい、まずい、まずい。


 大慌てで、いつも使っている業務用の体温計を彼女の服の中に差し込んだ。緊急事態だから、ごめんなさい。


 そうやって、少し震えてる私に、業務用の体温計は瞬時に温度を叩きだす。



 ――—36.2度。



 …………あれ。


 普通、だよね。朝ならむしろちょっと高いくらい?


 ……私、普通の体温ってあんまりわかんないけど。


 とりあえずほっと胸をなでおろしてから、改めて首を傾げる。


 それにしても、おっかしいなあ。さっきは確実に、いつも他人に触るより圧倒的に冷たく感じたのに。っていうか、そもそも私体温低すぎるから、誰に触れても焼ける様に熱くて仕方がないのに。


 そうやって、首を傾げながら、なんとはなしに、その体温計を自分に向けてみる。脇に挟んで、少し待ったらいつもの聞き慣れた音を立てて、体温計は私の体温を知らせてくれた。




 ――――――――35.8度。


 


 ………………?



 測り直す。35.7度……。



 測り直す。35.8度…………。



 測り直す。36.0度―――――。



 ―――? 故障? いや、それにしても。


 

 そう想いながら、なんとはなしに、いつも考えるときの癖で自分の唇に手を当てて―――。



 



 あ―—。



 『私ね、雪女なんだ』



 あ――――。



 『雪女はね、平均寿命が27歳までなの。短命なのだ』



 あ—―――あ―――――ああああああ!!



 『あと、ほんとはね、最後にキスしてみたかったかも―――』



 ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!



 その瞬間に全部がぶわりと蘇る。



 眼をつむる間際の記憶、暗い部屋の中、そんな風にこのかちゃんに、ぼやいた果てに。



 君の―――。



 顔が――――。



 私の―――――――――――。




 「えぇええええええ???!!!!!」




 ぐちゃぐちゃになった頭を抱えて叫ぶ。土曜の朝、まだ全てが静まり返った時間の中、ご近所迷惑な声が私の喉から迸る。


 


 わ、わ、私?! やっちゃった?! 酔っぱらって!!??



 こんな年下の子に?! 手を!!??? ていうか、キスを!!???



 「こ、このかちゃん! このかちゃん!! 起きて!! わ、私達――――」



 何もわかんないまま、大慌てで、このかちゃんの肩を揺らした。



 がくがくと揺れた頭でようやくこのかちゃんは、ゆっくりと眼が覚め始める。


 

 あ、あ、でもなんて言ったらいいんだろ? き、キスしたとか、もし私の勘違いだったらどうしよう。で、でも聞かなきゃ、聞かないと大変なことをしてしまったかもしれないんだし――――。



 「このかちゃん、私達、もしかして……き、キスとかしちゃってる?!」



 大慌てで、結局口から出たのは何の捻りもない直球の言葉。



 そんな私の言葉に、このかちゃんは軽く欠伸をかみ殺すと、寝ぼけ眼のとろんとした瞳でこっちを見て、あやふやな表情でにんまり笑った。



 「





 ――――。





 ――――――――――――――――。





 あ、終わった。




 

 ずっと、ずっと―――27年間。誰の迷惑にもならずに生きてきたのに、誰の命だって犠牲にせずに生きてきたのに。



 なのに、私は、よりにもよって、こんなこんなタイミングで―――。



 悲しくも晴れ晴れしい、こんな誕生日の日に。



 




 ……………。



 ―――もう、私にできることはもう一つしかない。



 「あの、ましろさん…………?」



 私はそっとベッドから降りると、彼女の隣に膝をついて、そっとゆっくり頭を下げた床に着くほどにべったりと。



 「なんで、その土下座……してるんですか?」



 「もう、……もう! ……それくらいしかできることがないからかな!!」



 拝啓、親愛なる父、母、妹へ。



 あれだけ人の命を吸わないと啖呵を切っていたましろは、一夜の過ちで年下の女の子と口づけをしてしまいました。



 これは腹でも切ったら許されるのでしょうか……?



 あと、土下座ってなんかもう、本当に心まで申し訳ない感情でいっぱいになるんだなって。



 風が少し心地いい、秋も深まる朝の頃。



 27歳にして、人生初の土下座の味を知るましろなのでした。



 ちなみに、何故か顔を上げると、私の目の前でこのかちゃんも同じように土下座してました。



 なんで…………?

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