第一〇編

イジめ生徒にざまぁ

 「もう、あたしをイジめるのはやめてっ!」

 千晶ちあきは全身の勇気を振りしぼって叫んだ。目をきつく閉じて、両手を握りしめて、体中を震わせて。

 怖いのだ。

 イジめ生徒たちに逆らうのは、途方もなく怖い。

 ――でも、やらなくちゃ。いまのままだとあたしは一生、この人たちにイジめられる。

 その思いで千晶ちあきは必死に勇気を振りしぼり、叫んでいた。

 場所は小さな木立に囲まれた夜の公園。寿命の尽きかけた暗い街灯が辺りを照らし、ガが飛んでいる。他に人影は見えない。

 その公園のなかで千晶ちあきと、五人の男女が対峙している。千晶ちあきの通う高校のクラスメートたち。そして――。

 この一年間、千晶ちあきをイジめ抜いてきた生徒たち。

 その五人は最初、キョトンとした顔で千晶ちあきを見つめていた。

 千晶ちあきがいったいなにを言ったのか理解できない。そういう表情。しかし、言葉の意味を理解したとき――。

 その五人、三人の男子とふたりの女子は声をそろえて大笑いした。

 夏の海によく似合う、楽しげで朗らかな笑い声。しかし、その実、相手をあざけり、傷つけ、侮辱するための笑い声。

 「あっはっはっ! こいつは傑作だ! お前の方からわざわざ人気のない夜の公園なんぞに呼び出して、なんの用かと思いやあ」

 「あんた、正気? そんなこと言い出すなんてさ」

 イジめ生徒たちは口々に笑いながら言う。

 千晶ちあきはそんな五人に対し、必死に自分を奮い立たせた。

 ここでやめておけばまだ間に合う。冗談ですむ。五人も笑いながら帰って、すぐに忘れるだろう。しかし――。

 これ以上言えば、もう後戻りはできない。五人のイジめ生徒も本気になる。本気で怒り、いままで以上にひどいイジめをしてくるだろう。それを承知でしかし、千晶ちあきは五人に立ち向かった。

 「そ、そうよ。もうやめて。あなたたちにイジめられるのはもういやなの。お金だって、もうないし。小学生の頃からずっと貯めてきた貯金だって、もうなくなっちゃった……」

 「だったら、親の財布からくすねてくりゃいいだろ」

 男子のひとりがあざけりながら言った。

 「そうそう。それぐらいだいじょうぶだって。あんた、なかなかいいところのお嬢さんなんでしょ。それに、ずいぶんとかわいがられているそうじゃん。少しぐらい金をくすねたって、どうってことないよ」

 「そうそう。そのに比べて、おれたちゃ親はろくでもない毒親。金もなければ、愛されもせずに育ったんだ。世の中、不公平だよなあ。そんなかわいそうなおれたちに、少しばかり幸福をわけてくれたってバチは当たらないぜ」

 「それじゃあ……」

 千晶ちあきは顔を伏せ、グッと握りしめた両拳に力を込めて言った。声の震えがなくなったのは怖くなくなったからではない。すべてをあきらめたためだ。

 「……これからもずっと、あたしをイジめるの?」

 「もちろん」

 と、イジめ生徒たちは声をそろえて言った。迷いもなく、ためらいもなく、そして、もちろん、恥じらいもないままにはっきりと。

 顔に浮かぶ笑顔は底抜けに明るくて、まるで友だち同士で楽しいハイキングを計画しているときのよう。いや、実際、この五人にとっては『楽しい計画』なのだ。自分たちに逆らえない獲物をとことんまでいたぶり、骨までしゃぶってやろうというのだから。

 「そうよ。あんたは、これからもずっとあたしたちにイジめられるの。それこそ、残る一生ね」

 「そうそう。それが、お前の運命なんだよ。あきらめな」

 「それがいやなら、さっさと死ぬことね。あんたが自殺したって、こっちは痛くもなんともないんだから」

 「なにしろ、おれたちゃ未成年。ちゃんと、法律が守ってくれるからな」

 五人のイジめ生徒はそう言って大笑いした。

 その笑い声に包まれながら千晶ちあきはたったひとり、声を振りしぼった。

 「もし……もし、自分がそんな扱いを受ける側になっても、そうやって笑ってられるの?」

 「はあん?」

 イジめ生徒たちの笑いがとまった。その目に危険な光が走った。哀れな獲物が、自分たちの気晴らしのためにイジめられ、金を調達してくることだけが使命の獲物が偉そうなことを抜かす。それが、イジめ生徒たちの逆鱗にふれたのだ。

 「面白いことを言うじゃねえか。お前がおれたちをどうにかしようってのか? そんなこと、できるわけねえだろ」

 「そういうこと。そんな悪いこと言う子には、お仕置きしてやらなくちゃね。一生、あたしらに逆らえないよう礼儀ってものを教えてやるわ」

 そう言って――。

 イジめ生徒たちはニタニタ笑いながら千晶ちあきに近づいた。そのとき――。

 「なるほど。お前たちは人をイジめるのが好きなわけだ」

 声とともにひとりの男が表れた。歳の頃は二〇代半ば。外見はとくに悪いというわけではないが、希少価値を主張するほどのこともない。人混みのなかにいれば、とくに目立つこともなく埋もれてしまいそうなそんな男。

 ただ、その身には危険なフェロモンめいた匂いをまとっていた。乙女を救う白馬の騎士……と言うには、その表情は少々、皮肉が効きすぎていたが。

 「な、なによ、あんた……」

 五人のイジめ生徒は一瞬、怯んだように見えた。しかし、それもほんの一瞬。すぐにもとのふてぶてしい表情に戻った。

 いきなり、見知らぬおとなが表れて怯えたものの、すぐに自分たちは未成年であり、法律が守ってくれることを思い出したのだ。

 ――おとなぶって良識なんぞを振りまわすつもりなら、こいつも一緒にしつけてやる。

 五人ともにそう思っていた。

 おとなの男とは言え相手はひとり。こちらは五人。身長も体格も人並みで、とくに強そうには見えない。いたぶってやるぐらい簡単だ。おとなを金づるにできればいままで以上に豪勢に遊べる……。

 そんな思いを巡らせる五人に対し、男は言った。

 「言ってみれば、引っ越し屋かな」

 「ひ、引っ越し屋だあ?」

 「ああ。その通りだ。お前たちを新居に案内するためにやってきた」

 「な、なに言ってんだよ。お前、頭おかしいんじゃないか?」

 「お前たちは人をイジめるのが好きなんだろう? だから、好きなだけイジめができる場所に引っ越しさせてやろうというのさ。南海の孤島に、そのためのコミューンを用意した。世界中から、お前たちのようなイジめ好きな人間が集まる場所さ。

 いいところだぞ。気候は一年中、温暖で、バナナやタロイモも植えてある。食うには困らない。わずらわしい法律なんてものはなにもない。なにをしてもかまわない。近頃はやりのスローライフを満喫できる場所さ。

 そこでは、いくら人をイジめようと誰も問題にはしない。なにしろ、同じイジめ好きの人間ばかりが集まる場所なんだからな。好きなだけ人をイジめて、幸せに暮らしてくれ」

 お前たちがイジめられる側になるかも知れないがな。

 男はそう言って笑った。

 五人のイジめ生徒たちの表情がかわった。自分に理解できない薄気味悪い相手を見る目付きになっていた。

 「な、なに言ってんのよ、あんた。本当に、頭おかしいんじゃないの?」

 女子のひとりがそう言った。しかし、そんなことを言っていられたのもそのときが最後だった。。

 男が指を鳴らすと木立の陰から一目で『その筋』とわかる男たちが姿を表したからだ。体格といい、獰猛どうもう面構つらがまえといい、イジめ生徒たちが何人、束になってもかなうはずのない男たち。

 そんな男たちを前にして、イジめ生徒たちもようやくシャレや冗談ではすまないことに気がついた。顔を青くして、息を呑んだ。小便をもらさなかっただけまだましと言えたかも知れない。

 「ま、まさか……本当に?」

 「本当さ」

 男は無慈悲なぐらいはっきりとそう言いきった。

 「お前たちはこれから一生、その島で暮らすんだ。よかったな。大好きなイジめを思う存分できる暮らしができて。いやいや、感謝ならいくらしてくれてもかまわないぞ」

 「ま、まてよ! 裁判もなしにそんなことが……」

 自分たちはルールを守らないくせに法律には守って欲しいという、その身勝手で幼稚な言い分を、男はせせら笑った。

 「おいおい、なにを言っている。これは刑罰じゃない。ただ、お前たちが幸せに暮らせる場所に移してやろうと言うんだ。親切だよ。親切をするのに裁判なんて七面倒なことが必要なわけがないだろう」

 「で、でも……!」

 女子のひとりが叫んだ。

 「あたしたちは未成年なのよ! 親の許可もなしに、そんなこと……」

 五人のイジめ生徒は最後の砦にすがりついた。しかし、男は最後の砦もあっさりと粉砕した。

 「安心しろ。親の同意は得ている」

 男は五枚の紙片を取り出した。そこには確かに五人のイジめ生徒の親たちによる署名がなされていた。

 「お前たちのしてきたことを顔写真と実名入りで公表すると言ったら快く同意してくれたよ。よかったな。我が子の旅立ちを応援してくれる親で。幸せだぞ。お前たちは」

 その言葉を最後に――。

 『その筋』の男たちが五人のイジめ生徒に近づいた。その身をつかみ、問答無用で引きずっていく。大きくて黒い外国製の車に向かって。今度こそ――。

 五人のイジめ生徒は自分の運命を悟った。青いのを通りこして真っ白になった顔で叫んだ。

 「や、やめて、許して! もうしない、もうしないからあっ! 千晶ちあき、いえ、千晶ちあきさん、あんたからも頼んで! 許してって……」

 イジめ生徒たちは必死に叫ぶ。哀願する。そんな姿に男は失笑した。その口から出る言葉はただひとつ。

 「もう遅い」


 五人のイジめ生徒たちが連れ去られ、静けさを取り戻した夜の公園。街灯に照らされ、ガの飛んでいるそのなかで、千晶ちあきと男のふたりだけがたたずんでいた。

 「あの……」

 千晶ちあきが男に向かって声をかけた。体ごと頭をさげた。

 「ありがとうございました。なにもかも、あなたのおかげです。自殺しようとしていたあたしをとめて、あの人たちに立ち向かう勇気をくれた。その上、あの人たちから解放までしてくれて……。本当にありがとうございます」

 「ああ。ありがとう」

 「えっ?」

 男の答えに、千晶ちあきはキョトンとした表情になった。なんで自分が『ありがとう』と言われるのか。それは、自分が、自分だけが言うべき言葉のはずなのに。

 男は、同じように思われたことがいままでにあるのだろう。聞かれるまでもなく、自分から説明した。

 「礼に対しては礼で返すことにしている。恩に着せるのは性に合わないし、『気にするな』ではそっけない。そこで『ありがとう』だ。『こちらの思いを受けとってくれて、ありがとう』と言うところだな。良かれと思ってやったことでも、相手がそう受けとってくれるとは限らないからな」

 「は、はあ……」

 千晶ちあきは思いがけない言葉に、わかったようなわからないような表情を浮かべた。

 「いずれにせよ、君が気にする必要はないと言うことだ。別に、君ひとりのためにやったことじゃない。おれの目的は『すべての人間が幸せに生きる世界』を作ることだからな」

 「すべての人が……」

 いまどき、五歳児だって本気にしたりしないだろうことを言われて、千晶ちあきは今度こそキョトンとしていた。

 男は千晶ちあきのそんな反応に対して、笑うでもなく、恥じらうでもなく、真剣な表情で答えた。その姿はどこからどう見ても、本気で目標を追っている人間のものだった。

 「幸せでない人間はまわりを巻き込む。そんなやつのせいで、おれの身近な人間が不幸な目に遭ったらたまらないからな。先手を打って、すべての人間が幸せに暮らす世界を作ることにした。覚えておけ。幸せな人間はまわりを幸せにし、不幸な人間はまわりも不幸にする。だからこそ、人間は幸せでなければならない。幸せになることは人間の権利ではない。唯一の根源的な義務だ」

 「幸せになる義務……」

 千晶ちあきは、その意味するところがはっきりとわからないままに繰り返した。

 「連中に言ったのも別に、皮肉や嫌味というわけじゃない。正真正銘、本心だ。ルールを守りたくない人間は確かにいるんだ。だったら、そんな人間は最初からルールのない世界で暮らしてもらえばいい。イジめだろうと、犯罪だろうと、同好の士同士でやり合う分には誰の迷惑にもならないからな。

 いま、おれたちは、そのための場所を世界中に作っている。ルールを守る人間はルールのある世界で、ルールを守りたくない人間はルールのない世界で、それぞれ別々に、幸せに暮らせる世界を実現するために。もし、君にそんな世界を実現したいという気持ちがあるなら、おれの所にこい。同じ目的をもつ仲間はいつでも歓迎する」

 その一言を残し、男は歩きだした。数歩行ってから立ちどまり、振り返った。

 「そうそう。連中に巻きあげられた金は親から取り戻しておいた。イジめられた傷まではおれにはどうしようもないが、『助けてくれる相手はいる』ということだけは忘れないようにな」

 男はそう言い残し、今度こそ歩き去ろうとした。その背に向かい、千晶ちあきはあわてて声をかけた。

 「あ、あの、あなたの名前は……!」

 男は体ごと振り返った。笑みを浮かべた。年頃の女子であれば誰であれドキリとしてしまう。そんな笑い方だった。

 そして、男は下手なシェークスピア俳優のように大仰な身振りで答えた。

 「地球進化史上、最強の知性。またの名を、藍条あいじょう森也しんやと申します」

 その一言を残し――。

 男は、闇のなかへと姿を消した。


 千晶ちあきは夜の公園にひとり、たたずんでいた。

 男の消えたあとをいつまでも見つめながら。

 「藍条あいじょう……森也しんや

 その名を呟く千晶ちあきの心に、いままでに感じたことのない感情、しかし、はっきりとどう呼べばいいのかわかる感情が芽生えていた。

 千晶ちあきはうなずいた。そこにいたのはもはや、イジめの標的にされる哀れな女子生徒などではない。自分の生きるべき道、自分のたどり着くべき場所を見出した、ひとりの人間だった。

 千晶ちあきは胸の前でギュッと拳を握りしめた。

 「きっと……きっと、あの人にふさわしい人間になる。そして、いつか必ず、あの人のもとに行く」

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