第七編
大魔王にざまぁ
「余の部下となれ」
「なんだって?」
大魔王の言葉に、若き勇者は眉をひそめた。
人が足を踏み入れることのない最果ての大地。
常に大魔王の魔力によって覆い尽くされ、日の差すことのない暗黒の世界。
その奥深くに築かれた大魔王の居城。そのなかの玉座の間。そこで、大魔王と勇者一行は
大魔王は黒と黄金の衣装をまとって玉座に
無数と言っていい大魔王配下の魔族たち。その魔族たちをことごとくを斬り捨て、打ち倒し、ここまでやってきた若き勇者たち。その勇者たちに大魔王が投げかけた言葉。それが、
「余の部下となれ」
その一言だった。
「正気なのか、お前?」
勇者が眉をひそめたまま尋ねた。
「お前、自分が僕たちになにをしてきたかわかっているのか? 一〇年前のあの日、お前は突如として人の世に表れ、侵略を開始した。お前の配下の魔族たちが村を、町を、都市を、王都までも襲い、焼き払い、人々を殺してまわった。
僕のいた都市もそうだった。僕は覚えている。一日だって忘れたことはない。突如として表れた魔族に襲われ、
それから一〇年。僕はお前を倒すことだけを考えて自分を鍛えあげた。精霊たちの導きを受け、神の試練を越えて、神の武器を手に入れて、ついにここまでやってきた。お前を倒す。お前を倒し、世界を魔族から解放する。そのためだけに。
僕だけじゃない。武道家も、賢者も、僧侶も、そして、僕たちをお前の前に送るために、お前の配下の魔族たちと戦い、散っていった無数の兵士たち。その誰もが、僕と同じ思いをもっていた。大魔王を倒す。大魔王を倒し、人々を魔族から解放する。ただ、それだけを思って自分の命をなげうったんだ。その多すぎる犠牲の果てにやっと、僕たちはお前と
「本気だ」
と、大魔王は勇者の言葉に対して、微妙にずれた答えをした。
「考えてみるがいい、勇者よ。余を倒したところでどうなる? たしかに、最初のうちは大魔王討伐の英雄としてもてはやされることだろう。だが、それも最初のうちだけ。人間どもは、すぐに大魔王さえ倒したきさまの力を恐れ、憎み、迫害するようになる。あらゆる手を使って、きさまを追い落とし、亡きものにしようとする。
お前に選べる道はふたつだけ。人間どもに殺されるか、自分の身を守るために人間どもを支配するか。そして、それは、お前が第二の大魔王になるということに他ならない。ならば、余の部下となって、人類を支配した方がずっと簡単ではないか。改めて言う。余の部下となれ、勇者よ。余は人間どもとはちがう。いかなる強者であれ、恐れて亡きものにしようとはせん。その力にふさわしい待遇を与えることを約束しよう」
「ふざけないで!」
もう黙っていられない!
そう叫ばんばかりの勢いで言ったのは、勇者の仲間の武道家だった。
「黙って聞いてれば勝手なことばかり! 僕は絶対に勇者を迫害なんてしない! 亡きものにしようなんてしない! 僕だけじゃない。賢者だって、僧侶だって、そんなことは絶対にしない!」
武道家の必死の叫びを大魔王はしかし、冷ややかに一刀両断にした。
「それは、そなたたちが個人的に勇者に好意をもっているからに過ぎん。だが、他の人間どもはちがう。勇者の力を恐れ、憎み、排除しようとするだけだ」
「うっ……」
武道家もさすがに押し黙った。
大魔王の言葉に真っ向から反論することができなかったからだ。
――たしかに、一理ある。
そう認めるしかなかった。
武道家だけではない。深い泉のごとき知恵と知識を誇る賢者も、慈愛の象徴とも言うべき僧侶も、真っ向から反論することはできなかった。
ただひとり、勇者その人だけが例外だった。若き勇者は堂々と胸を張り、大魔王に言い返した。
「僕の仲間たちは、個人的に僕に好意をもっているから迫害しないだけ。他の人間はちがう、か。たしかに、その通りだな。大魔王を倒した最強の勇者。そんな存在なら人々から憎まれ、死んでほしいと思われるのも当然だ」
「……勇者」
そんな悲しいことを言わないでよ。
武道家がそう言いたげな悲しい瞳で勇者を見た。しかし、口に出してはなにも言えない。言うことができない。大魔王の言葉を否定できないのと同じように、勇者の言葉を否定することもできなかったから。
我が意を得たりとばかりに大魔王はうなずいた。
「それがわかっているなら悩む必要はあるまい。余の部下となれ。そして、余と共に人間どもを、この世界を支配するのだ。そうすれば、なにものもお前を脅かすことはできなくなる。身の安全を保証されたまま、仲間と共に栄耀栄華を楽しめるようになるのだぞ」
しかし、勇者は、そんな大魔王の言葉を笑い飛ばした。
「なるほどね。たしかに、お前の言葉には一理ある。だけどね、大魔王。ひとつ、忘れていることがある。お前の言った言葉自体に、それ以外の道があることをね」
「なんだと?」
「僕の仲間が僕を迫害しないのは個人的に好意をもっているから。お前はそう言った。だったら。すべての人間に好かれればいい。世界中のすべての人間に、僕の友だちとなってもらえばいい。そうすれば、誰も僕を恐れたり、亡きものにしようなんて思わなくなる。
ありがとう、大魔王。お前のおかげでこの戦いに勝ったあと、やることができた。僕たちはお前を倒したあと、世界中をまわってすべての人と友だちになる!」
おおっ、と、三人の仲間が声をあげた。
「愚かな。そんなことができるつもりか」
「できるかどうかじゃない。やるんだ。やり遂げるんだ」
大魔王の言葉に対し、勇者は胸を張って言い返した。それから、挑発するように意地の悪い笑顔を向けた。
「って、お前にそんなことがわかるわけがなかったな。友だちがひとりもいないお前になんてな!」
「なんだと⁉」
大魔王が叫んだ。純粋な怒りの叫びだった。その声だけで居城が揺れ、大地が震える。それほどの怒りだった。
それを見て、勇者はさらに
「はははっ! そこまで怒るなんて、図星だったみたいだな! ひょっとして、魔界くんだりから人間界までやってきたのも、魔界で誰にも相手にされなくてさびしかったからか? 人間を襲うのも、かまってほしいからか? とんだツンデレだな、この大ボッチ王!」
「きさまあっ!」
今度こそ――。
大魔王の正真正銘の怒りが噴きだし、世界を揺るがした。
「この大魔王に向かってその暴言! 許さぬ、決して許さぬぞ! 八つ裂きにして、人間どもに見せつけてくれるわ!」
「こっちの台詞だ! きっちり、あの世に送ってやるから地獄で友だち一〇〇人、作ってこい!」
勇者はそう叫ぶと、運命を共にする三人の仲間たちに向かって叫んだ。
「行くぞ、みんな! いまこそ、魔族に殺された人々の無念を晴らすんだ!」
「おおっ!」
「はい!」
「もちろん!」
武道家が、賢者が、僧侶が、口々に叫ぶ。
怒れる大魔王と怒れる勇者たち。ふたつの怒りがぶつかり、ここに大魔王と勇者たちの戦いがはじまった。
……それはいったい、どれだけの間つづいていたのか。
ほんの一瞬の間に、もてる力すべてを叩きつけた瞬間の戦いだったようにも思える。
一〇〇年もの間、死力を尽くして戦いつづけていたようにも思える。
大魔王の住み処であった城は、すでに跡形もないほどの
大魔王と勇者。
その両者はなおも立っていた。
戦いつづけていた。
勇者の三人の仲間、武道家、賢者、僧侶はすでに限界に達していた。傷つき、疲れ、すべての力を失い、その場にくず折れている。生きてはいるが、ただそれだけ。戦うことはおろか、もはや、動くことさえできはしない。勇者の最後の一太刀が大魔王を倒してくれることを信じて、その結果を見守っているだけ。
もし……もしも、勇者が敗れれば、自分たちの命もない。
だが、それは、大魔王も同じ。残された力はあとわずか。この一撃で勇者を倒せなければ、大魔王こそが倒される。命を奪われる。天地魔界に恐れるものなしと自負してきた最強の大魔王が、人間
それは、大魔王の誇りが許さないことだった。
「ふっ、だが……」
大魔王は笑った。
この
「余をここまで追い詰めた、きさまらの強さは認めないわけにはいかんな。人間
「お前こそな。練習相手になってくれる友だちひとりいない大ボッチ王のくせに、ここまでの強さを手に入れるなんて、さすがだよ」
「きさまあっ! まだほざくか⁉」
「何度でも言ってやる! くやしかったら『ボッチだって幸せだもん』ぐらい言ってみろ、このツンデレ大ボッチ王!」
「許さん、絶対に許さん! 我が全力をもって、くびり殺してくれる!」
「殺すのは僕だ、大ボッチ王!」
その叫びと共に――。
大魔王が、
勇者が、
残された力を振りしぼって最後の一撃を放つ。
「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド!」
「魔斬光殺法・極!」
大魔王と勇者の最大の奥義。
ふたりは防御を捨て、命を捨て、残された最後の力をその一撃に叩き込んだ。
勝つために。
相手を倒すために。
――ちがう!
勇者は、勇者だけが心にそう叫んだ。
――勝つためじゃない、倒すためじゃない。世界を、人々を守るためだ!
そして、大魔王の力が、勇者の剣が振るわれた。天地が震え、悲鳴をあげるようなその刹那。ほんの一瞬。髪の毛、一本分もないようなわずかな差。しかし、たしかに勇者の剣が先に大魔王に届いていた。鍛えにきたえた勇者の剣技が、大魔王の首を
「うっ……」
「おおおおおおッ!」
大魔王の首が叫んだ。それは怒りの
叫びと共に大魔王の首は飛んだ。勇者めがけて。牙の生えた口を開き、勇者の頭に噛みつこうと、いや、噛み砕こうとした。
勇者はとっさに左手をあげて頭をかばった。大魔王の首が勇者の左腕に食らいつき、噛み砕いた。肉が裂かれ、骨の砕ける音がして、大量の血が噴き出した。大魔王の一噛みで――。
勇者の左腕は切断され、噛み砕かれていた。
「勇者!」
仲間たちが声をそろえて叫んだ。
「うわああっ!」
勇者が叫んだ。
残された最後の力を振りしぼった絶叫だった。
その叫びと共に右手に握られた剣が自分の左腕を噛み砕いた大魔王の首に叩きつけられた。その眉間に。さしもの、首だけで空を飛んだ大魔王の執念もそこまでだった。目の光は失われ、大地に落ちた。その口に勇者の左腕の残骸をくわえたまま。
「……さすがだよ、大魔王」
勇者はそう呟くと大魔王の首に近づいた。かがみ込み、語りかけた。
「強かった。本当に強かったよ」
「うん」
と、武道家もうなずいた。
「たしかに、強かったよ。一対一で戦ってたら勝負にもなんにもならなかったね。全員、簡単に殺されていたよ」
「その通りです」
賢者も口をそろえた。
「でも、大魔王はひとり。僕たちは四人でした」
すると、僧侶も胸を張って叫んだ。
「そうよ! 僕たちの絆が大魔王を倒したのよ!」
「ああ、その通りだ」
仲間たちの言葉に――。
勇者も心からうなずいた。
「僕たちは四人。そして、僕たちの後ろにはすべての人間の魂があった。それなのに、お前はひとり。それが勝負をわけた。あの世でもう一度やり直すつもりなら、まずは友だちを作ることからはじめるんだな」
勇者はそう言って、見開かれたままの大魔王の目をそっと閉ざした。
すべてを懸けて戦った強敵に対する、せめてもの礼儀だった。
勇者は立ちあがった。天を仰いだ。大魔王の魔力がら解放された空はいまや太陽が輝き、青空が広がり、鳥たちが飛んでいた。その事実を確かめるように勇者は大きく息を吸った。そして、言った。
「さあ、帰ろう! 勇者の凱旋だ!」
帰り道、賢者がポツリと呟いた。
「僕たちは大魔王を倒しました。ですが、それは、僕たちが人類最大の脅威になったと言うことでもあります」
「そうね」
と、僧侶もうなずいた。
「たしかに、大魔王より強い勇者一行なんて、他の人たちから見たら恐怖以外の何物でもないものね。大魔王の言ったとおり、僕たち全員、迫害対象になっちゃったのかもね」
「なに言ってるの!」
叫んだのは、いつも元気な武道家だった。
「勇者が言ったじゃない。みんなに好かれれば、世界中の人と友だちになれば、恐れられることも、迫害されることもないって。僕たちはこれから世界中の人と友だちになるために行動するんだ。そうでしょ、勇者」
「それなんだけど……」
と、勇者は言葉を
武道家が一瞬、不安そうに表情を曇らせた。だが、勇者の口から出た言葉は、
「もっと良いことを思いついたんだ」
「もっと良いこと?」
「そう。いっそのこと好かれるよりも愛される、友だちよりも恋人になる方がいいと思うんだ」
「恋人になる⁉」
「そう。世界中の人と愛しあい、恋人になる。いっそのこと、世界中の人々を愛でつなぎ、すべての人を恋人同士にしてしまうんだ。そうすれば、誰にも恐れられずにすむ」
「素敵です! もし、それができれば、人と人の争いもなくなりますね」
「いいわね。なんと言っても僕たちは大魔王を倒した最強勇者の一行。人に愛される魅力には事欠かないものね」
「そうだね! 僕たちみんなで世界を旅して、世界中の人と恋人になろう!」
「そうだ。大魔王との戦いは終わった。これからは世界を旅して、世界中の人間という人間と恋人になるんだ。すべての人間を口説いて、口説いて、口説き落とすぞおっ!」
「おおっ!」
勇者の叫びに――。
三人の仲間たちも腕を突きあげ、
いま、ここに、大魔王を
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