第五編

自己中ギャルにざまぁ

 高校生男子テニス界の頂点。

 それを決める試合。その試合は見るもの全員にとって意外なものだった。

 対戦するのは楠木くすのき琢磨たくま山南やまなみ翔悟しょうご

 中学時代、絶対王者として君臨しながらも高校入学後ほどなくして足を負傷、再起不能と言われながらも二年の時を経て復活した奇跡の人、楠木くすのき琢磨たくま

 中学時代、その琢磨たくまのライバルとして知られ、琢磨たくまがいなくなったあとの高校テニス界で一年の時から王者として君臨してきた山南やまなみ翔悟しょうご

 共に順当に勝ちあがってきたふたりだが、そのふたりの対戦は山南やまなみ有利と誰もが見ていた。

 「いくら中学時代の絶対王者とは言っても、楠木くすのきには二年ものブランクがある。怪我から復帰したてでスタミナにも不安がある。その点、山南やまなみはこの二年間、王者として君臨しつづけてきた実績がある。技術、体力、精神力すべてにおいて不安はない。さすがに、山南やまなみには勝てないだろう」

 それが、大方の予想だった。ところが――。

 目の前で繰り広げられた試合はその予想を完全に覆すものだった。

 まるで、おとなと子ども。それぐらいに一方的なゲーム。琢磨たくま翔悟しょうごに一セットもとられることなく最終セットまで追い込んだのだ。

 その結果には誰もが唖然あぜんとした。

 信じられない、といった表情で見つめていた。

 それほどに驚異的な琢磨たくまの復活劇だった。

 サーブを前にポンポンとボールをコートでバウンドさせる琢磨たくま

 レシーブの姿勢をとり、その姿をにらみつける翔悟しょうご

 ふたりの姿には、はっきりとした差があった。

 琢磨たくまがあくまで静かに、表情ひとつかえることなくまだまだ余裕をもっているのに対し、翔悟しょうごは怯えていると言ってもいいほどに緊張した表情。脂汗が流れ、肩で息をしている。精神的に追い詰められているだけではなく体力的にも限界なのだ。

 その表情からははっきりと負けることへの、二年間の間、守りつづけた王者の座を奪われることへの恐怖が見てとれた。その恐怖が体を縛り、本来の動きができなくなっている。

 素人が見てさえ、いや、素人だからこそよりはっきりと『これは勝負にならない』と思える。それほどの姿のちがいだった。

 琢磨たくまはボールをつかんだ。最後のサーブを前に翔悟しょうごを見た。中学時代からのライバルの姿を。その目には哀れみさえ込められていた。

 ――山南やまなみ。お前にはガッカリしたよ。おれは、お前のことを本当にライバルだと思っていた。尊敬すべき競争相手だってな。でも、お前にとってのおれは単なる目の上のたんこぶだったんだな。おれが怪我をして表舞台から退しりぞいたあと、お前はたちまち高校王者となった。それはいい。だが、そのあとの態度はなんだ。

 ――『中学時代、楠木くすのきに勝てなかったのは、最初から高校が本番だと思っていたからだ。中学時代なんて、そのための練習。たとえ、楠木くすのきがいても、高校ではおれが勝っていた』なんて、あちこちで吹聴ふいちょうしていたな。おれだけではなく、自分が負かしてきた選手たちまでコケにする始末。

 ――そして、お前は、おれの彼女だった柚葉ゆずはと付き合いはじめた。おれが足を怪我して再起不能と言われた瞬間、おれを見限ってはなれた柚葉ゆずはを、お前は手に入れた。そして、リハビリ中のおれの前に表れては、ふたりでいる姿を見せつけていった。そのときのお前たちの表情、他人を見下すその表情、おれは忘れたことはなかったぞ。

 ――だが、山南やまなみ。おれは戻ってきた。そして、今日、お前から王者の座を奪う。お前を再び『永遠の二番手』に転落させる。それは、おれの使命。お前のように、対戦相手になんの敬意も礼儀も払わないやつをトップに居座らせておくわけにはいかないんだ。

 その思いを込めて――。

 琢磨たくまは渾身のサーブを放つ。放たれたボールは光の矢となって翔悟しょうごのコートに吸い込まれた。もはや、体力も限界に達し、敗北への恐怖で身動きとれなくなっていた翔悟しょうごには、そのサーブに反応することすらできなかった。

 サーブが決まり、琢磨たくまは一セットも与えない完封劇で勝利した。


 試合後、琢磨たくまは奇跡の復活劇を讃える観客の声援と、殺到する取材陣とに囲まれた。手をあげて観客に応え、取材に応じた。嵐のような一時いっときが過ぎてようやく一息つき、帰り支度をはじめた琢磨たくまのもとに、ひとりのギャルが走ってきた。

 相川あいかわ柚葉ゆずは。中学時代の琢磨たくまの彼女。そして――。

 怪我をした琢磨たくまを捨て、翔悟しょうごに走った女。

 「やったね、琢磨たくま! すごかったよ」

 柚葉ゆずはは、そんないきさつなどなかったことのように明るい笑顔で言った。それこそ、ずっとずっと怪我をした琢磨たくまによりそい、復活までの間、支えつづけてきた献身的な彼女であるかのように。

 「すごいよねえ。再起不能って言われていたのに、こんな劇的な復活勝利を飾るなんてさあ。あたしも琢磨たくまの彼女として鼻が高いよ」

 ぬけぬけと。

 まさにその言葉の見本のように言う柚葉ゆずはに対し、琢磨たくまは冷たい視線を向けた。

 「彼女? なんのことだ?」

 その言葉に――。

 柚葉ゆずはの表情が引きつった。

 「えっ? だ、だって、あたし、琢磨たくまの彼女じゃん。ほら、中学時代はあんなに仲良くて……」

 「それは、あくまで中学時代のことだろう。おれが怪我をしたとき、お前はおれを見限り、山南やまなみのもとに向かった。山南やまなみの所に行ってやるんだな。おれと君はもう無関係だ」

 柚葉ゆずはは容赦ないその言葉に凍りついた。

 そんな扱いを受けるとは夢にも思っていなかった。

 ――琢磨たくまはまだ自分のことを好きなはず。ぬけぬけと彼女のふりをすればまたすぐによりを戻せる。

 そう信じていた。それなのに……。

 その予想を裏切られ、しかも、手厳しい反撃も受けたのだ。中学時代からずっとスクールカーストの上位で男たちからチヤホヤされてきた柚葉ゆずはにとっては、人生史上最大と言ってもいい冷遇。そんな扱いを、それも元カレから受けた衝撃は計り知れない。

 それでも、柚葉ゆずはは引きつった表情のまま必死に言葉をつないだ。ここで引き下がっては『高校王者の彼女』という立場を失ってしまう。

 ――冗談じゃないわ! 他の女が琢磨たくまとくっついて、その座につくだなんて許せない。その立場はあたしだけのものよ。

 その思いがある。

 中学時代、自分から琢磨たくまに近づき、手練てれん手管てくだを駆使して彼女の座を射止めたのも、その琢磨たくまが怪我をしたあと、翔悟しょうごに乗り換えたのも、そして、いま、奇跡の復活を遂げて翔悟しょうごを破り、高校王者となった琢磨たくまのもとに戻ってきたのも、すべてそのため。自分にふさわしい『地位と名声』を求めてのこと。

 柚葉ゆずははその地位も、名声も、失うつもりもなければ、他人にゆずってやるつもりもなかった。

 ――そうよ! それは、あたしだけのものなんだから。

 その思いを込めて屈辱を呑み込み、引きつった顔に表面ばかりの愛想笑いを浮かべる。

 「や、やだな、琢磨たくま山南やまなみとのことはただの遊びで、あたしはずっと琢磨たくまのことを……」

 「はっはっ。それはつまり、都合が悪くなれば少年とのことも『遊びだった』とごまかし、他の男のもとに走るということだな。少女よ」

 冷笑と共に表れたのはメガネに白衣という出で立ちの二〇代半ばの女性だった。

 漆黒の長い髪とメガネに包まれた、理知的なくせにセクシーな顔立ちも、見るものを挑発するような胸のふくらみも、白衣から伸びた生足も、そのすべてが外見自慢のギャルの警戒心をかきたて、守勢にまわらせるのに充分なものだった。

 「な、なによ、あんた……」

 柚葉ゆずはは思わず身を引きながら言った。表情には怯えが走っている。とっさに腕を前に出し、自分の身をかばったのは防御本能の為せる業。

 それはすべて、女として完全に負けていることを認めてしまった結果。ギャルとして、スクールカーストという競争社会を生き抜いてきた柚葉ゆずはである。女同士の勝ち負けにはことのほか敏感だし、勝者には逆らわないという習性が身に染みついている。

 そんな柚葉ゆずはであるからこそ、自分が敗北を認めてしまったという事実は人生が真っ暗になるほどの屈辱だった。柚葉ゆずはは、自分にそんな屈辱を味あわせた見ず知らずの女に対して憎悪さえ覚えていた。

 そんな柚葉ゆずはに対し、白衣の美女は言った。

 上から目線。そう言われても仕方のない態度と口調で。

 「わたしは上総かずさ涼子りょうこ。少年の主治医だ」

 「主治医?」

 「そう。つまりは、このわたしこそが、少年の奇跡の復活を演出した天才スポーツドクターということだな。敬意を込めて『空前絶後の天才』と呼んでくれてかまわんぞ」

 「だから、そういう態度はやめた方がいいってあれほど……」

 嫌味なぐらい自信たっぷりに、豊かな胸のふくらみをますます見せつけるかのようにふんぞり返ってそう言う涼子りょうこに対し、琢磨たくまは苦虫を噛みつぶした表情でツッコんだ。

 もちろん、涼子りょうこはそんなことは気にしない。相変わらず、嫌味なほどに自信たっぷりの表情でつづけた。

 「いや、実際、この二年間は楽しかったぞ。少女よ。君がまだ知らない少年の体の隅々まで観察し、さわらせてもらったからな」

 「なっ……!」

 「単なる診察とリハビリだろう。誤解を招くような言い方はしないでくれ」

 琢磨たくまはさすがにうんざりした様子だったが、涼子りょうこは気にしない。メガネなどを指先でいじりながらニンマリした視線を琢磨たくまに向ける。

 「誤解と言うことはないだろう。わたしが、君の体の隅々までこの手で扱ってきたのは事実なのだからな」

 「な、なによ、それ。犯罪じゃない! いいおとなが高校生を……」

 叫ぶ柚葉ゆずはに対し、涼子りょうこは高らかに笑ってみせる。それこそ、特撮ヒーロー番組に出てくる悪の美女幹部のごとくに。

 「はっはっ。残念だったな、少女よ。君のことは少年から聞いている。少年を見限るのが早すぎたな。医学の進歩を信じず、再起不能と思い込んだがゆえに選択を誤った。医学を信じ、少年を信じ、支えつづけていれば、君も少年と共に世界という舞台に立てたのにな」

 涼子りょうこはそう言い放って柚葉ゆずはを絶句させたあと、さらにつづけた。

 「少年にはそれだけの潜在能力、圧倒的な才能がある。君が少年を捨てて選んだ、あの山南やまなみとかいう小僧とは比べものにならないほどのな。世界を相手に戦える本物の逸材だよ。そこに、わたしが加わる。空前絶後の超天才スポーツドクター上総かずさ涼子りょうこがな。

 わたしが主治医としてついている限り、再発など決してさせん。これから先、少年はわたしと共に世界に向かい、世界を舞台に戦う。君はそれを指をくわえて見ているわけだ。はっはっ。つくづく、人生の選択は重要だな」

 涼子りょうこは容赦なく言い放ちながらわらう、わらう。柚葉ゆずは想像すらしたことのない屈辱に表情を引きつらせ、身をワナワナと震わせている。

 「もういい」

 琢磨たくまがため息をつきながら言った。手をあげて涼子りょうこを制した。それから、柚葉ゆずはを見た」

 「相川あいかわさん」

 と、琢磨たくま柚葉ゆずはのことを『赤の他人』として呼んだ。

 「君には感謝している」

 「えっ?」

 「あの頃のおれは、まだまだ子どもだったからな。人を見る目がなかった。君に告白されたときも、中身なんて気にもしないで外見だけでOKした。君はおれが好きだったわけじゃない。ただ、『テニス界の絶対王者の彼女』という立場がほしいだけだったなんて思いもしなかった」

 「た、琢磨たくま……」

 「君が怪我をしたおれから離れて山南やまなみに走ったとき、そのことを思い知らされた。おかげで、自分のバカさかげんを知ることができた。その経験がなければ、おれはいまでも他人の中身を見ようとしないバカのままだったろう。だから、君には感謝している。ありがとう」

 琢磨たくまはそう言って頭をさげた。それから、付け加えた。

 「では、さようなら。もう二度と君と関わることはない。君のおかげで、付き合う相手は中身を見て選ぶべきだとわかったからな。君は他の誰かと幸せになってくれ」

 そう言い放ってから、琢磨たくま涼子りょうこを見た。

 「行こう、ドク。試合後の検査をしてもらわないといけないからな」

 「おお、そうだな。少年。わたしと君とはいまや一蓮いちれん托生たくしょう。君の体のことはわたしに任せておけ」

 「……セクハラはするなよ」

 その言葉を残し――。

 琢磨たくま涼子りょうこはふたりして並んで去って行った。あとには、かつてない屈辱に身を震わせる柚葉ゆずはだけが残された。


 「はっはっはっ。いやあ、愉快ゆかい」

 帰り道、涼子りょうこは高らかに笑いながらそう言った。

 「よくやったぞ、少年。これで君は、いわゆる『ざまぁ』と『もう遅い』を同時にやってのけたわけだ。さぞかし、気分が良いだろうな」

 「どうでもいいさ。そんなことは」

 琢磨たくまは興味なさそうに答えた。

 「おれの相手は山南やまなみじゃない。世界だ。おれはこれから世界に出て一流プレイヤーたちと戦うんだ。山南やまなみ相川あいかわのことなんて気にしてはいられない」

 「はっはっ。いいぞ、少年! その意気だ。それでこそ、主治医として付き合う甲斐があると言うものだ」

 涼子りょうこは愉快そうに笑いながら琢磨たくまの背中をバシバシ叩く。その痛みともうひとつ、別の理由によって琢磨たくまは思いきり顔をしかめた。

 「それより、ドク。いつも言っているだろう。『少年』はやめてくれ。おれは楠木くすのき琢磨たくまなんだ」

 「はっはっ。なにを言うか。高校生の少年を、少年と呼んでなにが悪い」

 涼子りょうこは悪びれもせずにそう言ってのける。琢磨たくまは内心で舌打ちした。

 ――ちっ。いいさ。そうやって子ども扱いしてろよ。だけど、おれは子どもじゃない。世界と戦おうというプレイヤーなんだ。おれは必ず世界に出る。そして、頂点に立ってみせる。そうして……必ず、あんたを振り向かせてやる。

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