第二編

浮気義妹にざまぁ

 立花りっか貴之たかゆきは顔を真っ青にして立ち尽くしていた。

 当たり前だ。荒事や、ましてや、闇の世界などとは縁のないごく普通の男子大学生と女子高生。そのふたりがいま、人気のない古い倉庫のなかで、暴力の気配をむき出しにしたヤクザの群れに囲まれているのだ。

 そして、ヤクザのなかには貴之たかゆきの火遊びの相手である女性、美桜みおがいた。散々に殴られ、顔をはらし、口と鼻から血を流した状態で。これで恐怖に震えていなかったらその方がおかしい。

 「し、知らなかった、知らなかったんです……」

 貴之たかゆきが震える声で、それでも必死になって言った。

 「か、かのが、あなたの、その……あ、愛人だなんて……知らなかったんです!」

 許してください!

 と、貴之たかゆきは恥も外聞もなく這いつくばった。泣きじゃくって、土下座して、なんとか許してもらおうと平謝りにあやまった。たしかにみっともない姿ではあった。しかし、この場合では唯一の正解でもあったろう。だが――。

 ヤクザの群れを束ねる年配の男は、そんな貴之たかゆきの態度に感銘を受けたりはしなかった。

 「知らなかった、か」

 一般の人間には一生、聞く機会もないだろうドスの利いた声。荒事のなかを生き抜いてきた男の声が、這いつくばる貴之たかゆきの背中に降りかかった。

 「そりゃあそうだろう。お前さんみたいなかたぎの大学生が、ヤクザの組長の女に手を出したりするわけがねえ。だがな」

 と、年配の男は小さな目の奥に剣呑けんのんな輝きを灯した。

 「あいにく、それじゃあすまんのだよ。おれたちゃあ、舐められたらおしまいの商売なんだ。どこぞの兄ちゃんに女を寝取られて、それでなにもしないとあっちゃあメンツが立たないんでな。落とし前はつけてもらわないとな」

 「あたしは関係ない……!」

 立花りっかは恐怖のあまり、真っ青を通りこして白くなった顔色で叫んだ。

 「あたしはその人のことなんて知らない! だから、だから……」

 あたしだけは許して!

 その叫びをしかし、ヤクザの組長は当然のごとくに踏みにじった。

 「そこは、連帯責任ってやつだなあ。お嬢ちゃんはその兄ちゃんの恋人なんだろう? だったら、付き合ってもらわないとなあ」

 「ぼ、僕たちをどうするんです……?」

 貴之たかゆきが震える声で尋ねた。組長を見上げる目は慈悲を求めてすがりつき、パンツはもらした小便でじっとりと濡れている。

 組長は貴之たかゆきの声に対し、直接には答えなかった。それよりもっと恐ろしいかも知れない答え方をした。

 「そいつは、知らない方が身のためだな」

 そして、立花りっか貴之たかゆきはヤクザたちに腕をつかまれ、車に乗せられた……。


 立花りっか貴之たかゆきを乗せた車が夜の闇のなかに消えていく。

 行人ゆきと志織しおりは、そのありさまを少しはなれた物陰から見つめていた。

 「……やっと、終わった」

 雪とはそっと呟いた。半ば、独り言のように志織しおりに向かって言った。

 「ありがとうございます、志織しおり先輩。これで、気が晴れましたよ」

 どういたしまして、と、志織しおりは答えた。それから、付け加えた。

 「でも、本当によかったの? かわいい義妹なんでしょう? 結婚まで考えていた。それなのに、ここまでしてよかったの?」

 「なにをいまさら」

 行人ゆきとはありったけの忌々しさを込めて吐き捨てた。

 「そりゃあ、立花りっかはかわいい妹でしたよ。親の再婚で、あいつが妹になったのは五歳のとき。おれは七歳。本当にかわいくて、そんな妹ができたのが嬉しくて、なんでもしてやりたかった。事実、なんでもしてやった。『疲れた』と言えばいつでもおぶってやった。ほしいものがあると言えば、バイトをして買ってやった。おれは本当に立花りっかが好きだったんです。立花りっかもおれのことを好きになってくれた。いつだって『お兄、お兄』って、おれのあとをついてまわっていたんです。だから、おれは、立花りっかと結婚する気になった。両親を説得して認めてもらおう。そう思っていたんです。ところが……」

 行人ゆきとは地面に向かって思いきり唾を吐き捨てた。吐き捨てたその唾を、靴の底で何度もなんども踏みにじった。まるで、その唾が義妹である立花りっかそのものであるかのように。

 ――なんで、あんなやつを好きになったんだ!

 ――なんで、あいつの正体を見抜けなかったんだ!

 その怒りを、くやしさを、爆発させた動作だった。

 「あいつはそんなおれを裏切り、浮気していたんだ! それも、中学の頃から何度もなんども。おれの知らないところで、あいつは他の男と……」

 「そして、とうとう、君の高校の先輩である貴之たかゆきと浮気しているところを見てしまった」

 「そうです」

 行人ゆきと志織しおりの言葉にうなずいた。

 「おれはすぐに立花りっかを問い詰めましたよ。ところが、あいつときたら……」

 ――あのときのことは一生、忘れない。

 行人ゆきとはそう思う。

 問い詰める行人ゆきとに対し、立花りっかは悪びれもせずにケロッとした様子で言ってのけたのだ。

 「あたし、なにも悪いことなんてしてないよ」と。

 「あたし、お兄のこと、好きだよ。お兄と結婚する気でいる。でも、だからって、他の人を好きになっちゃいけないなんておかしいじゃん。『好き』っていう気持ちは自由なんだからさ」

 「お前……!」

 行人ゆきと立花りっかの言い草に激昂げっこうした。我を忘れてつかみかかった。立花りっかは悲鳴をあげた。その悲鳴を聞きつけた両親がやってきて行人ゆきとを取り押さえた。

 「なんてやつだ! 義理とはいえ、妹を襲うなんて」

 「見損なったわ、そんな男だったなんて」

 義妹を襲ったと勘違いされて、その場で、身ひとつで家から追い出された。噂はすぐに広まり、行人ゆきとは家のみならず近所にも、学校にも、居場所をなくしてしまった。

 ふう、と、行人ゆきとは息をついた。

 「……まったく。いっそのこと『兄妹なのに、なに言ってんの。キモい!』とか言われていた方がマシでしたよ。ところがあいつは、おれのことを好きだと言いながら平気で浮気していた。これからもずっと浮気する。そう言ったも同然でしたよ。だから、おれは決めたんです。絶対に、あいつを破滅させてやるって」

 ――あのときのおれの思いからすれば、この復讐だってまだ生温い。

 それが、行人ゆきとの偽らざる本心だった。

 「だから、わたしと組んで復讐した」

 「そうです。志織しおり先輩には感謝しています。身ひとつで家を追い出され、金もなく、行く当てもない。そんなおれを自分のアパートに住まわせてくれたのは先輩ですからね。今回の件だって、先輩が計画してくれたことだし……」

 ヤクザの組長の愛人をそれとなく貴之たかゆきに引き合わせる。女好きで浮気者の貴之たかゆきのこと。きれいな女と見れば見境なく手を出すにちがいない。

 それが、志織しおりの立てた計画。そして、実際にその通りとなった。貴之たかゆきはあっさりと女に手を出し、今夜の結末を迎えた。同じく浮気相手である立花りっかと共に。

 志織しおりはパタパタと片手を振ってみせた。

 「いいのよ。わたしはわたしで貴之たかゆきの浮気には腹を立てていたんだから。復讐したかったのはわたし。わたしはただ、君を復讐の共犯として引きずり込んだ。それだけのこと。君としてはむしろ、わたしを恨むべきじゃない? こんな犯罪まがいのことに引きずり込まれたって」

 「そして、その復讐も終わった」

 「ええ。そうね」

 「と言うことは、おれたちの関係も終わり。そういうことですよね?」

 「そうね」

 と、志織しおりはうなずいた。

 行人ゆきとはうつむきながら鼻の頭などをかいてみせた。少し、ためらってから言った。

 「その……先輩」

 「なに?」

 「もう少し、関係をつづけてみませんか? というかぶっちゃけ、おれと正式に付き合ってくれませんか?」

 行人ゆきとはうつむいていた顔をあげた。まっすぐに志織しおりの顔を見ながら言った。

 「先輩となら人生をやり直せる。そんな気がするんです」

 「共犯だから?」

 「そうじゃなくて! 先輩は大切な人に裏切られる痛みを知っている。その痛みが深いからこそ、こんな復讐を計画した。だから、そんな先輩なら決しておれを裏切ったりしない。そう信じられるんです。だから、先輩と人生を共にしたい。お願いです、志織しおり先輩。おれと付き合ってください」

 行人ゆきとはそう言って頭をさげる。そんな行人ゆきとに対し、志織しおりは『ふうん』と言いたげな態度を見せた。

 「まあ、それも良いけど。でも、君ってまだまだ頼りないし。もっと頼りがいのあるおとなの男になったら考えもいいかなあ」

 「本当ですね⁉ なら、なってみせますよ。先輩が心から頼れるおとなの男にね」

 「ふふ。楽しみにしてるわ」

 志織しおりは優しく微笑んだ。行人ゆきとの腕に自分の腕を絡ませた。そして、ふたりは夜の闇のなかに歩いていった。闇の向こうの光さす未来に向かって。

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