誇り高き……

そして案の定、十七時半に来た、女将は。

部屋に入ることも忘れて、開けた襖に手をかけたまま、正座で茫然自失となった。


それはそうだろう。

完全に布団を片付けて。

座椅子の背面に一枚座布団を入れ、座面にもう一枚座布団という状態ながら、龍哉様はノーネクタイということ以外は完璧な服装で座っていて。


少なくとも、昨日まで意識もあいまいで、いまも心身が憔悴し、安静の必要な半病人には見えない。

薄化粧をしているせいもあるが。


男性用基礎下地クリーム等々を使用し薄くはあるが作りこんだ化粧でも、完全には色味を取り戻せてはいない蒼白さが悲しいけれど。


涼やかな目元。

唇にはリップグロスで、少しだけ赤みが入れられた。唇だけには体調が反映してしまうから。


「お入りを、おかみ」

「……っ」

「……女将?」

「………。失礼いたします」


女将が戸惑いながらも部屋の中に進み、若と対面に座ると。彼は丁寧に頭を下げる。

十六とは思えない、礼儀あるその姿。


「ご心配をおかけ致しました。体調管理不足で、ご挨拶が遅れましたが、しばらくお世話になります。桐生龍哉です」

「…桐生様」

「おかみ。黒橋の手配でこちら様に引き受けて頂き。感謝しています。…聞いておりますが、温かいご配慮でわざわざ足をお運び頂き、有難うございます。本当は私がお部屋にうかがうべきでしたが」

「…なぜ?…あなた様は…先程お目を覚まされたばかり……」


やはり女将の口からは【常識】が出るが。


「それは。私の事情・・

「!」

「体調。心情。ご心配、御迷惑をおかけしておりますが、それは私の通すべき仁義にはなんの関係もありません。年齢すら、関係無い。私には。きちんとお引き受け頂きながら、余分な御迷惑をもかけたなら、挨拶をするのは、私。お世話になるならば余計に」

「……黒橋さまが…おっしゃいました事は……本当でしたのね」

「黒橋は聡いので」

「………」


珍しい。女将が気圧けおされている。


「私は、子供扱いしてくれるな、と申し上げているわけではない。

私は充分に未熟で、至らなくて、惨めで、無様な十六歳の子供です」

「……若様」

「ですが、私が。秘密裏にであろうと、神龍の血に連なる一族の末席、組継ぎの【桐生龍哉】としてこちらにお世話になるからにはそれだけではない面も当然忘れてはならない」

「…若様……」

「私は、そちら様には歳上に連れてこられた、静養が必要な弱々しい若様に見えていても。

組の精鋭になり得る若手の采配をきちんと受け入れ、療養を了承してこちらに若手ともどもお世話になる【上】なのです。

ですから、見苦しくないよう身なりも変えさせて頂いた。それが私の矜持です」

矜持きょうじ……あなたのような若いお方から聞きますには、いささか、古い言葉ですわね」


女将の声音には微かに、意味がわかっているのかと疑うような想いが混じっている。

だが。


「…そうですか」


龍哉様は心持ちあごを上げるようにして、静かに口を開く。


「私はこの気持ちこそ、これからの自分に必要だと思っています。自尊や自負は揺れるもの。けれど、自らの尊厳を追い求めるために持つ、この【心】ならば誇りをあらわす【おもい】と言える」

「……!」

「矜持というのは、歳を重ねているから、必ずしも持ち合わせているものではないし、若造だから持ち合わせないものでもない」

「…若様……」

「生意気を言わせて頂きました。申し訳ありません。ですが最初に筋を通させて頂き、ご理解いただければ会長、組長に恥をかかせることはありません」

「黒橋さま……」


少し、震えが入り始めた女将の声に俺は控えめに言葉を継ぐ。


「この方はこういうお方です。言わされているわけではないし、浅薄な考えを口にし、行動しているわけでもない。

私もまだこの方を二年程しか、存じ上げませんがあらゆる事について、その『見た目』で【はかれるおかた】でない事だけは確かでございます」

「黒橋を叱らないであげてください。この男は【下】としてこれ以上無いほど優れている。私が言い出す前に貴女に伝えてくれた。私のせいで叱られてしまったのは可哀想でした」

「……若様」

「少しづつ回復していくかとは思いますが、数日はお手間をかけるとも思います。黒橋が付いてくれているので、ほとんどは彼に任せますが」

「若様……」

「客として、ご無礼なきよう、きちんと振る舞えるように精進致しますので」

「…畏まりました……お心置きなく、ご療養を」

「有難う」

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