龍哉様は泣いてはいない。

けれど。訥々とつとつと紡がれる呟きの中の哀切が、涙よりも多くを、語る。


「…雄太が消えた原因に【俺の位置】が少しでもあるならば、俺は誇りを捨てる訳にはいかなかった。たとえ、それがまだ認められない、聞かれもしない、遠吠えでも」

「若」


「誇りを手放すことを、…きっと…雄太は望まない…から…っ…」

「…ええ」

「……黒橋、……俺は………」

「……若」

「……くやしい」

「………」

「悔しい…悔しい…悔しい…悔しいぃっ…!」


まるで布地をビリビリと手で無理矢理に引き裂くかのように荒々しく、生々なまなましい…少年の哀しみ。


ドクドクと見えない血が溢れて、その匂いで息もできないような……。


哀しみを抑えきろうと足掻く、今の龍哉様を支配しているのは。


悔しさ、なのだろう。

哀しみと憎悪を凌駕りょうがして余りあるほどの悔しさ。


それは、俺との、昨日の電話でもらした、雄太様を奪われた悔しさとは別のもの。


出自と若さで、上からではなく、下に侮蔑される。

軽く見られる。本人にその意識なくとも、それを感じ取ってしまう、聡さが。龍哉様を苦しめる。



本来ならばこの歳の少年が持ち得よう筈もない高い、矜持。


自分はまだ、【届かない】。

己が目指す到達に至る、最初の分岐にすら、まだ遥かに。


だから、清らかな花は枯れ、毒花に好かれ。


美しい花は弱り。

でもそこでともに地に伏し、萎れることを龍哉様という【華】は望まず。


なぜ共に弱らないのだと。

同情という善意で覆った同調圧力に傷つき。


突発的とはいえ、自分が幼い時から守り育てた雛を恐ろしく禍々まがまがしい【事件】に巻き込まれて。錯乱した教育係。


もちろん、彼の価値観が全て間違いとは言えないけれど。

少なくとも、龍哉様には【侮辱や毒以外】ではあり得なかったというだけだ。


もっとも、彼はそれをこれから知るだろう。

傷つき震え狂う愛しい雛と、こんな時につかの間でも引き離されて。


本家で謹慎処分を受けて。


自分の至らなさを。

頭を垂れて付き従うだけでは翼を腐らせ、花を枯らすだけだと。

思い知るのだ。


清瀧の若が幼い時から十数年、側についているのならば、同じ対応を続け、若様としてかしずきたいのは、当然なのだろう。


神龍とは違う清瀧。

同じ三代続きになるだろう、極道組織。


規模的にはあちらが多少なりとも大きいが。

神龍とて、決して小さくはない。


大きな、大きな、清瀧カゴ──。

文親様は、そこに若様として生まれ、坊っちゃんとして育った、御曹子おんぞうし

極道の水だけで栽培された、温室の、薔薇。


内部で色々と、とは【聞いて】はいても激しい雷雨にも、草をぎ倒す強風にも強い守り、大きな組の傘のもとかばわれて来ただろう、箱入り様。


言うならばおのれもまた。

神龍古参の生え抜きに一応生を受け。

任侠の世界しか知らずに生きてきた。



自分も。

組の長の息子に産まれた。

守り庇われたことを忘れては居ない。

自分にも確かに庇護は、在った。


けれど、傘は破れた。守りは散った。

それを恨みに思えずに、今は生きている。


己をいたずらに情け深い眼で見て。

温かく翼の下に庇おうとされるほど、心は冷えてゆく。

息詰まる。

けれど、表に出すほど、子供でもない。

父が命を、捨てた時に、己も…幼いあの日々を、捨てたのだろう。


あの自分にとってさえ歳上の側付きとの、【差】。

それは。

一度でも地に叩きつけられ、翼を砕かれたことの、あるか無しか。


全く。


主従の似た者同士というものは。


運転席で前だけを見つめたまま、俺の片頬が、薄く歪む。苦笑というには、苦すぎるそれが、心に痛い。


バックミラーに写る、少年は力尽きたように座席の背もたれに身を預け、意識を落としたようだった。


不謹慎だけれど、少し、ほっとする。

彼が安心して意識を落とせる相手が、自分で有ることに。


あの、清瀧の次期様では無かった事に。


ああ、なんて、俺は人でなしなのだろうか。

それでも仄暗ほのぐらい歓びは、宿につくまで胸に湧くことを止めなかった────。

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