龍哭《りゅうこく》──誇り高き涙

車が発進し、敷地内を出て、山道を走り始めてから。


「大変だった、おもったよりも」


小さな声が、後ろから聞こえてきた。


「……龍哉様」

「苦しかった」

「龍哉様…っ」

「あの人に…せめて…無責任にはなりたくない。そうおもったけれど。…経験値が、足りねえんだな」

「龍哉様」

「まだ、ガキだ、俺は」


弱音を吐いたようには思えぬ、静かな、声。


「正気だろうが、そうでなかろうが。まだ、俺じゃあ【誰も】動かせやしない」

「………」

「そんな事無い、と言わないところが、黒橋の良いとこだ」

「…右端の」

「ん?」

「貴方の座るシートの右端の下に黒い保冷ボックスがあります」

「あ、ホントだ」

「中に経口補水液と水のペットボトルが。お好きなほうを、宿につくまでに二本は飲んで下さい。経口補水液は飲んでいて味が変わったら止めて。水は必ず。

サービスエリアには都度寄りますので」

「…ん」

「水分をとって、眼を閉じていれば、少しは休まります。外部刺激を遮断するのは有効ですよ」


目を閉じる代わりにラジオでもかけましょうかと言えば。


「ああ」


と短く、答えがかえる。


前を向いたまま、片手の指先で押したラジオのスイッチ。

流れ出る洋楽の、少し陰鬱なメロディ。


「変えましょうか」

「これでいい」

「……分かりました」


しばらくの沈黙。

後ろからペットボトルを取り出し開けて、嚥下する音が響く。


「…飲んだ…つもりだったけど、足りなかったんだな。美味い」

「…そうですか。経口補水液のほうですか?」

「ああ」

「……脱水症状、出てますね。通常、余り運動もしていない状態で口にすると美味しいとは感じないものですから。……一応、何か違和感、味覚変化を感じるまではゆっくりとお飲みください」

「……水分は……切らさないようにはしたんだが。…だいぶ興奮もしたからな。…それでも、お前がさっき、くる前にもゆっくりとは…」

「龍哉様…」

「少し…話していて…いいか?」

「……はい」

「寝たくなったら、寝る」

「……はい」


寝ろ、と言われたところで。

眠りに辿り着けることなど無い事を双方が、知っているのだ。

優しい茶番に乗る振りを、お互いにしながら。


「ずっと…考えていた」

「………」

「考えても仕方の無い事を。ずっと」

「…若」

「俺が…【若】なんかじゃなかったら…雄太は、死ななかったのか。………ずっと、ずっと…」

「若…」


およそ少年の出すような声音ではない、昏い呟きが聞こえる。


「だけど、それは違う」

「……若」

「確かに、一因は在ったんだろう」

「若」

一冬アイツは、俺が神龍の若だったから、俺を【見つけた】んだろうから」

「!」

「だけど、…朝まで何度も…何度も…何度も、何度も…っ…」

「龍哉様…」

「浮かんできた雄太の笑顔…仕草。声。短くても、雄太が俺に刻んでくれた想い出が…【違う】って…」

「……龍哉様…」

「『極道者の息子に親の知らぬうちに懐いて、むごく殺されるくらいなら、人を疑う心を、教えておけば良かった』、雄太の父さんの言った言葉は間違っていない。俺は外れ者、反社の子、望んで血に還った異分子。言われなくとも忘れないし、言われて当然。でも、…雄太は…『桐生先輩は…桐生先輩ですよ』って…。馬鹿だよな、忘れてたぐらいの、小さな言葉を…今になって脳が拾いやがる…。ご両親の前で、無様をさらした、俺が…」

「…続けて」

「……言える事じゃないけど。俺は…望みを叶えて血に還った。その先で…雄太に逢った。だから、俺は神龍の若である事を、逃げに使っちゃ、いけない」

「……若」

「だからこそ…俺は…」

「……」

「俺だけの為に…雄太が死んだという真実を、胸に落とさなきゃ、いけなかった」

「…焦ってはいけない。それは一朝一夕に出来る事じゃなく、していいものでもない」

「…うん」

「貴方が、…壊れてしまう」

「……」

「龍哉様。何年も何年も、かかるのです」

「でも、意識は持たなきゃ、俺は立てない」

「……っ」

「昨日の今日で、薄っぺらい子供の、考えだとは思うけれど。事実も、真実も、変わらない。納得するには時間がかかるだろう。こんな立派な事を言ったって。でも、事実は、真実は。嘆きとごちゃまぜにして放り出して目を背けても、変わらないんだよ」

「…龍哉様」

「もう、いない。無邪気に俺だけに笑いかけてくれた雄太は」

「龍哉様」

「先輩の知らない雄太は」

「……」

「先輩は俺が可愛がるから、雄太を可愛がってた」

「…龍哉様」

「ひっどい言いぐさ。これは言えない。ろくでもない、八つ当たりだ」


また、声が昏さを帯びる。


「雄太は…俺がいたから、殺られたんだよ。お父さんの言ってたことは間違って無い…だけど…それは俺が、極道だからじゃ無い」

「龍哉様っ!」


ハンドルを握る指先の震えを、必死に抑える。


「俺が俺だったから。俺が俺として【存在している】から。俺がするべきだったのは『…極道者の息子の俺』に懐かせないようにすることじゃなく、極道だろうが、堅気だろうが…あんな化物みたいな人間を惹き付ける、【おんなじバケモノみたいな異常者モンスターのオレ】に近寄らないように雄太を突き放すことだった」

「………」

「…心配するな、今は、それも…この混乱した頭と口から出る殆どが…感傷だって自覚してる。俺が喚こうが叫ぼうが吐こうが、雄太は戻らない」

「…若」

「それなのに…。【可哀想だ、可哀想だ】って清瀧あいつらは言う。本当に可哀想なのは俺じゃあないのに。なぁ、黒橋」

「……っ」

「多分、雄太はもう煙になって空の上。まだ…十五だ。あいつが、いったいナニをした?俺に親しく話しかけ、俺に無邪気に笑いかけただけだ。それだけだ。でも、雄太はもう、歳をとらない。永遠に、俺の胸の片隅で、十五のまま、生きるんだ。…笑顔のままで」

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