一度区切り。もう一度息を深く吸い。


「龍哉様は、神龍をおこされた龍三郎様が本家を離れられたご長女に頭をお下げになって、ご自分の一字を与えられたお方です。堅気で十四まで過ごされようと桐生の血に望んで還られた神龍会長の掛け替えの無い宝を、他組の若の【側近ごとき】に軽く見られる筋合いは無い。私が通夜の場で致し方なくお二人を叱らねばならなかったことをお恨みにお思いならば、謝りましょう、清瀧の若様?生意気な他組の【若手ごとき】が知ったような口を叩きまして申し訳ございませんでした」


一息で言い切り。


「お二人ともその心臓に手をお当てになり、忠義と誠を。人に対する本当のじん(思いやり、情け、いつくしみ)、ことわりを思い出されるとよろしい。それまで神龍は清瀧の若きご主従とのゆかり、遠くへだてさせて頂く。

若様もこれは言われたはず。

若のご意向は神龍を動かすに足る。子供のワガママでは無くね」

「…っ!」

「哀しみはお察しするが、お心のくもり、過ぎたるは迷惑千万。失礼する。菅生さん、会長、組長さまに宜しくお伝えをお願い申し上げる、失礼いたします」

「承知致しました」


清瀧の若き主従以外に頭を下げ、玄関を出て、車に向かう。




駐車場の奥まで歩く。

昨夜の雨はもう、止んでいたけれど。

凍てつくような寒さがさいなむ。

龍哉様にはコートは無しだが暖かなものを着ていただいたが。


停められたBMWのカラーはタンザナイトブルー。


深い藍青。

澄んだ冬の空気のなか、それはすがしく、そこにった。


「有り難うございます、山像さん」


車の側にたたずんでいた山像さんに声をかける。


「黒橋さん、若様には中に入って頂きお待ち頂きましたがよろしかったですか」

「はい」

「駐車場についた際には、“外で待ちたい”とおっしゃったのですが、お顔色が…」

「有り難うございます、山像さん」

「…うちの若が本当に…ご迷惑を。しても仕方がない言い訳は致しませんが」


篠崎さんよりも年長だろう彼が、二十代に幾年か足を踏み入れただけの俺に躊躇いなく、その頭を下げる。


「いいえ。あなたはうちの若を護って下さいました」

「!」

「幼き矜持を。それが傷ついた幼鳥をどんなに慰めたか…」

「……若様は…いておられた…泣いていたのではない…あれは…そんな…生易なまやさしい…」


若は俺に泣かないと言ったけれど。魂のうめきを止められるわけもない。


「………山像さん…」

「誰も入らぬ、部屋の中だからこそ…でも恐らく…」


微かにでも人の気配のする場で。

魂の嘆きを全て開放できる、筈もない。


「……山像さん」

「本当は、扉の前を離れて…若をお一人にして差し上げたかった。けれど篠崎に神龍の若は扉前の護衛をお許しになった。うちの若は鎮静剤でオトされましたが、その前より正気を無くしていて…私どもが形だけでも扉前に居なければ、意識戻り次第、突撃されたでしょう。神龍の若が扉前の護衛まで撥ねつけないで下さった意味もわからず」

「…………」

「神龍の若はお優しい。きちんとうちの若を立ててくださろうとした。無様をさらしているのはこちらなのに」

「…それは」

「黒橋さん」


山像さんはもう一度俺に礼をする。

必要はないと言ってやりたかったけれど。受けることで休まる相手の心の事も考えずにはいられなくて。あの主従の心は受けられなくても、せめて目の前の男の心は汲んでやりたかった。


「私は篠崎よりも年長ですから。私も若様を赤ん坊の時からお側で見てきています。若様なりのお哀しみ、お苦しみも知り得る立場に有り、立場上側付き程立ち入るわけにいかなくとも、お見守りしてきたつもりです」

「山像さん」

「文親様の混乱も、錯乱も…自組の組長のご長子ならば庇うのが責務なのかもしれない。けれど」

「………」

「私は宜圭様の護衛。側付きと同じ目線ではいけないのです」

「…山像さん」

「降りかかった火の粉とはいえ、清瀧の今回の立場はあくまでももらい火。私達の世界とて、名の元に殺傷が起きることはあっても、これが…年端のいかない少年が巻き込まれて仕方無しとは思えない。ましてや神龍の若は当事者。私どもの辛さとは、全く【違う】」

「………っ…」

「だからこそ、あの方は一度お一人になって、それを…」

「棘のついたまま、磨かずに角の立ったまま。喉が引き裂け臓腑のえぐれるのも構わずに飲み込む為に一人を望まれたのです。それをたった十六歳で覚悟なされる龍哉様のご器量、ご覚悟を……あなたと、菅生さん、女将にだけでも認知していただけるのならば、隆正様の名代として、この黒橋、嬉しく思います」


俺は山像さんに深く一礼する。


「また、落ち着きましたらご連絡を」

「それでは」


と。

俺と山像さんは個人的な番号のやり取りをする。それは自然なもので。

組を超えた、人間関係が結ばれた一瞬。


山像さんは俺に礼をすると、店の玄関の方へ戻ってゆき。


俺は。

運転席の方へ歩き、中に身体を滑り込ませる。

かけられていた暖房が、心まで温めるようだった。


「龍哉様」

「ん」

「すぐに、向かいます」

「…ん」


どこに行くかを少年は問わず、俺も言わない。

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