絶望の叫びがもう一度文親様から上がるけれど。

へたり込んだ土間から彼は立ち上がれない。


「菅生さんとおっしゃいましたか」

「はい、黒橋さん」

「あなたは、若の【状態】は?」

「……承知しております、半ばから山像に合流して守らせて頂いておりました」

「…そうですか。菅生さん」

「はい」

「私がここに残らせていただいたのは若が言えないことを申し上げるため」

「………」


言いながら、俺は清瀧主従の側に立つ菅生さんに向き直る。


「あの方は誇り高い。ボロボロに傷ついてなお自由に向かい飛翔する翼の、切り裂かれた直後の傷口に触れられることも治されることも嫌い、見せることすら、忌避する」

「……黒橋さん」

「私は生意気な若手で。あの方とは歳も違う。役もまだついてはおらず、あの方の教育係ですらない。神龍にそういう係はございませんから。あの方をからの外側から眺め下ろすだけならば、あの方と十四で出会ってからこれ迄の私の二年と、清瀧の若様とうちの若との一年、付き合いならば、さしたる長さの違いは無いかもしれない」

「……っ」


十七の子供の歯ぎしりが聞こえるけれど。


「私はうちの若がどんなに清瀧の若を愛され、大切にされても、決して未来永劫、清瀧の若には見せない【顔】を知っている。それは私共の関係性には関わりない」

「!」

「【自分しか知らない顔】はあなたの専売特許・・・・ではない、清瀧の若様?」

「…そん……な…っ……そんな…」

「どのみち、清瀧ご本家様のご決定、下ったからにはお従い頂くしか有りませんし。私どもは退かせて頂きますし」


フッと俺は薄く笑んでみせる。

笑みは酷くこの場にそぐわなかったけれど。


「菅生さん、うちの若の部屋の中の様子を、教えて差し上げて下さいますか。…あの方は自分が居ないならば私が少しだけ意趣を返しても許してくださるでしょう。あの方はこのお二人のためにしなくていい怪我をしたのですから」


菅生さんには丁寧に、清瀧主従にはきつい言い方を変えはしなかった。


「……はい。今は若につけられた護衛ではなく、本家宜圭様の護衛になりきらせて頂きます」


菅生さんは俺にうなずき。


「有り難うございます」


俺は菅生さんに頭を下げる。


「菅生っ!…裏切るのか!」


清瀧の若の声は鋭かったけれど。


「……ふすま越しに、こちらの胸が…引き絞られてえぐられるような慟哭が…啜り泣きが…後輩様のお名を呼ぶ声が、朝まで…繰り返し。でもそれだけじゃない。襖は哀しみも、身体の苦しみも覆い隠せるほど厚くない」


つむがれた菅生さんの言葉は静かだけれど震えていて。

有無を言わせぬ迫力があった。


「…菅生……っ…」

「えづく声。室内の洗面所に、お手洗いに行かれる音が静かな廊下まで響いていた」


呟く声に、こもる熱。


「何度、何度…っ!お声をかけ、部屋に入ってしまいたかったか。他組の若様であろうとも、あのお悲しみをお慰めしたかったか」

「……っ…」

「ですが、私達は入らなかった」

「………?」

「入れなかった。【あなたがた】は……聞いていないから…慰めようなどと、言えるんだ」

「………」

「……っ…」

「菅生さん、有り難うございます」

「声一つおかけしなかった。それは約定でもありましたが。お声をかけられるようなものではなかった。何度も何度も、扉の開け閉めの音が響き。嘔吐えづかれる苦しげなお声……」

「…そんな」

「暖かな柔らかい布団の敷かれた寝室などで神龍の若は休まれていない。朝までずっと苦しんでらしたのだから。若様、若様のお部屋に、若様のまえに…神龍の若が姿をあらわしてくださったのは…せめてものお優しさ、そして神龍の次期様としての、【矜持きょうじ】。幼いながらの極道おとこの意地でしょう」

「…そ…んなっ…」

「やはり。……あとでケアをしておきます」

「お願い申し上げます、黒橋さん」

「はい、あなたの優しいお心もお伝えしておきます」

「黒橋さん……」

「お疑いならば後で配下の皆様に改めさせるとよろしい、篠崎さん。野暮の極みですし、もうその時間すらないでしょうがね」

「黒橋…さん…」

「私にハンドサインを口頭で送らざるを得ないほどあなたは傷ついた少年を追い詰めた。善意という砂糖衣で包んだにぶさでね。私は今だけはあなた方を軽蔑する、心から。我が組の宝を、そしてその宝を影から支えようと見えぬところで動いてくださった女将を馬鹿にし、こちらに心を砕いて下さる本家護衛にすら抗う、あなた方を」

「……」

「……!」

「清瀧の若?あなた、わかってましたか?迎えに来いと女将に言伝ことづてした時に【若の言った言葉の意味】を」

「黒橋さん!若に、そこまで!」

「笑止。自分達のしたことは棚上げか。安静を願い、部屋へ戻る事を望んだ少年を拒んで頑なに自分達の居室に軟禁しようとした、あなたがたが。自分の判断を放り捨て、若様の意志だけを尊重した、篠崎さん、あなたが、言えた義理か」

「……っつ…」

「親指を中に入れて他の四本で覆うように握る。それを何度も閉じたり開いたりする。それはね、【加害者・・・が側にいるときに第三者に救いを求めるハンドサイン】なんですよ。【たすけて】という、ね」

「!!」


清瀧の若が目を見開く。


「どうしようもなかった。世話を焼きたいと言っている目の前の二人は自覚無いままに完全に正気を無くしている。壊れている。消耗は激しい。部屋からは出してもらえない。気分が悪いと言っているのに。あの方にこんな悲しい方法で女将に救いを求めさせて、自らの皮膚に歯を立てさせた。軟禁?監禁?さかい目は組の考え一つ。組の次期を軽視して謹慎で済んで、よろしゅうございますね、篠崎さん」


俺は酷く冷たく、言い捨てる。


「【他組の次期後継】という言葉の意味をもう一度考えられるとよろしい。それがどんな組にも等しい意味、価値なのかも。私共の後継はたとえ清瀧という大きな組からであろうと、あなどられるいわれはない」

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