すると、文親様が。


「篠崎!ふざけるな、この…女…」


ヒステリックに、声を上げるが。女将は。


「申し上げる気はございませんでしたが、清瀧組長様、会長様には私より、ご連絡、ご挨拶、差し上げております。大事なご子息様をお預かり致しますので。

篠崎様に分かりましたと申し受けました後、すぐに。

いちいちあなた様には申し上げませんでしたよ。

私にも伝手もあれば、篠崎様の預かり知らぬご縁もございます。

組長様、会長様からは、

『あれは錯乱するだろう。数日の身の置き所があれば安心した』、と。御一任を頂きました」


固く、抑揚よくようの消えた彼女の声音。


「ですが、私どもにも誇りがございます。何もたけ界隈かいわいのお客様は清瀧様だけでなし。有事あれば言えよ?とお言葉頂いているその道のお客様は、両手に余りますのよ?

『この女』などと、【小僧風情】に言われるのは心外でございます。何ほどのものか。睨まれる筋合いも悪口雑言される言われもございませんので」

「!」

「世の中にはたとえ十代半ばであろうと物わきまえた方はいらっしゃいますのに」

「女将」


龍哉様の背に眼を走らせる、女将。


「お付き合いのなか、おわきまえ有りと判断させて頂いたからこそ、今回の件、お引き受けも致しましたが。まだまだ私の目も完全ではございませんね」

「女将…っ…」

「なんでございましょう、篠崎さま」

「せめて…せめて明日まで…」

「篠崎様。私どもでは無理でございます」

「女将!」

「たとえご本家様、ご別宅様にお知らせし、お任せを受けましても、あれはあの時のこと。今のお二人の乱れ姿をご報告致しましたなら、速やかにそこを去れと、ご本家、別宅様なら申されます」


毅然と女将は言う。


「持ち店の、我がままが効く場所の女将さんと、私共を混同なさっては困ります。創業百数十年、自らの誇りに劣る商いを受け入れるくらいならば、身の危うさなどいといはしない。たかが十代の箱入り様の脅しに屈するなど、有り得ません。どうか夜までにはお引き取りを」

「……女将」

「篠崎様。持ち店のお店に退かれて下さい。優しい慰めと温かみのある同意。清瀧様のお坊っちゃんの絶対的な味方のいらっしゃいますところで、お坊っちゃんの正気が返られるのを待たれるが得策でございます」

「……」

「私を見る坊ちゃんの眼。帰ろうとなさる神龍の若様を手助けする私は敵なのでしょう。これが若様の正気のお姿とは……あなたとて、私が知る篠崎様ではない。お金は頂きません。清瀧様からはビタ一文。私共の誇りに関わります。お引き取りを。そして、出来ますれば、ここまでのご縁と言うことでお願い申し上げます」

「……っ!」


そこで。


「承知致しました、女将」


もう一人の声。

あれは篠崎さんを押しとどめたあと、また今まで寡黙だった護衛の一人の……。



「篠崎、お前が判断を下せないなら俺がする。菅生すがお、【玄月くろつき】に連絡を。あそこなら必ず受けてくれる。外へいけ!」

「はい、今すぐ。すぐに戻ります!」


菅生と呼ばれた護衛が男衆の案内で外へ出てゆく。


山像やまがたさん!」

「山像!」


清瀧主従が、悲痛な声を出す。


「黙れ、篠崎。

お前が今、若様の側付きでも。

今、お前は無役むやくだ。

教育係兼側近しか望まないお前を組長様、会長さまはお許し下さっているが。役の有る無しでいうなら、宜圭よしきよ様(現清瀧組長)付き護衛隊長のこの山像やまがた紀陽としはるのほうが【上】だ。若様、これは事実でございますので若様の御意見は聞きません」

「……っ……」

「仁義だけで引き受けてくださった堅気の老舗の女将さんに牙を向くような事、それをやすやすと許す様な事を…。この山像、情けなくて、情けなくて……宜圭様、会長様、そして女将さんに、もうしわけなくて…」

「山像!お前っ!」

「文親様、だまらっしゃい!」

「!!」

「申し訳ございません!神龍の若様!」

「………」

「私は…昨日の夜、交代で不寝番をしておりました。神龍の若のお部屋の」

「……交代の、不寝番。じゃ…知ってる?」

「……はい」


山像という護衛が、悲痛な表情で答えると、龍哉様の物言いが変わる。


「そういえば、いないな?しつこく部屋にきた護衛」

「……護衛は四人来ておりましたが。今は二人、別室で待機させております」

「…そうか、…あなたか」

「…はい」

「謝ることはないよ。有り難う、心配させただろうけど。あなたは約束を守ってくれた。信頼に価する」


龍哉様の声がはっきり分かるほどに優しくなる。


「神龍の若様……」

「龍哉様」

「黒橋、この人は部屋から何が聞こえてきても、部屋に入らないでいてくれた。声一つかけないでいてくれた」

「…それは」

「とても助かった」

「山像さん、戻りました!」

「菅生!」


外へ出ていた菅生と呼ばれた護衛が戻ってきた。


「玄月から迎えの車を出して頂きました。一時間ほどで到着予定です」

「良くやった!」

「嫌だ!俺は!」

「…本家からの、ご命令をお伝え致します。『玄月への移動は決定事項だ、組に養われる身で通らぬ我がままがあると知れ。そこにお前の狂乱は影響せず、お前の意思も介在しない』」

「あぁあぁあぁ!」

「『尚、篠崎はしばらく謹慎とする。本家に戻れ。玄月への同行不可』」

「!」


菅生と呼ばれた護衛はきちんと【仕事】をしたのだろう。

本家に連絡をしてから持ち店の予約。本家護衛としての正しい順番。


「『神龍と清瀧は会長同士の友誼ゆうぎ(友としての情愛)で結ばれる仲。今回、不心得者が絡めた哀しき縁、誰が一番辛いのか。狂いゆくならば【己の部屋】の中だけで狂え、未熟者』、と。宜圭様が」

「父さん…っ…」

「『お前の知る慰めだけが慰めだと泣き叫ぶならば他所様にとって、お前こそご迷惑』、『そして篠崎。帰宅を望む神龍の若を再三再四引き留めようとした、だと?だいたい、そこに他組の若をお連れするのも特例。ならば、わきまえあっての特例だろう。お前を信じて任せたものを。我が主可愛さに目を曇らせ、他所様の、しかも神龍会長のお孫さんに失礼をしていいなどと誰が命じた。堅気の商いにご迷惑をかけるな』」

「……宜圭様…っ」


「それでは私共はお暇致します」

「黒橋様」

「女将、見送りはここまでで」


愁嘆場。

誰一人、眉根を寄せていない者の居ない、修羅場。


けれどもう、これ以上は。


「山像様でしたか」

「はい」

「誠に申し訳ございませんがあなたを任侠おとこと見込んで、お頼みしたい。駐車場に青いBMWを止めてありますので、うちの若様をご案内し、私が行きますまで、付いていて頂けますか。鍵をお預けいたします」

「…黒橋様」

「お願い申し上げます。若、よろしいですか」

「ああ。この人なら、良い。…黒橋、早く来いよ」

「畏まりました」

「それでは、神龍の若、参りましょう」

「はい」


若と山像さんが玄関から、去ってゆく。


「あぁあぁっ!」

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