それは学生だからとか、少年だからとか。
神龍に迎えられたところで堅気からの参入だろうとか、ではない。
それでも。
彼は侮蔑してくる者、軽視してくるものを
彼が望む、道を。
その道の果てに何が待つのかは彼しか知らず、神龍さえ彼には利用する
「お世話になりました。女将」
「若様」
「貴女から受けた恩は忘れません」
「もったいないお言葉でございます。お身体くれぐれもお大事に」
「ありがとう」
百戦錬磨だろう女将とにこやかに話す、底知れない、だが、敬うにはあまりある器量をもつ、少年。
「お
「はい、若」
だが。
「待って!」
「文親様!」
予想はしていたけれど。
奥から、
「行かないで!」
「…………」
「行かないでよ!帰らないでっ!……一人にしないでよ!今、いま!俺を!」
普段の、先輩然とした態度の清瀧の若とは思えぬ、乱れた姿。
髪は乱れ目は泳ぎ、声はヒステリックに
確かに、正気を無くしている、姿。
龍哉様は。
彼のほうを見もしなかった。
そのまま、清瀧の若に背を向けて、戸口へ踏み出す。
「行くぞ、黒橋。女将、皆様、失礼する」
「失礼いたします、皆様方」
すると響く、少年のヒステリックな、叫び。
「行かないでよ!行くな!お前ら、何してんだよっ!止めろよ!そこの生意気な若手と!龍哉を!」
「文親様っ!」
「若っ!」
俺は歩みは止めたが背を向けたままの龍哉さんに、静かに声をかける。
「若」
振り向かずに彼は答える。
「黒橋、清瀧の護衛は動いているか?」
「…いえ、若。廊下の奥からは気配がありますが、ここに居られる、清瀧の護衛の方は動いてらっしゃいません」
「……奥の気配は何人?」
「五人ほど」
「さすがだな。俺が感じるのも五人だ」
「若」
彼はゆっくりと振り向く。
篠崎さんが息を呑んだのが、分かる。
髪を整え。涙と悲哀を封じた薄化粧。
オーダーメイドのダブルのスーツ姿は、彼をきちんと
神龍の若き次期後継としての完璧なオーラを放つのを助けている。
髪を乱し、目の下に
憔悴目に見える、清瀧の若とは、真逆の姿。
【清瀧の若様】の『後輩』などではない、凛とした神龍の若様としての誇れる、お姿だ。
龍哉様は、静かに口を開く。
「女将」
「はい」
「出禁案件だとおもいますよ」
「若様」
「たとえ一棟貸しでも。自分の組の、つまり親の持ち店でもない、ご長子側近の馴染みの店の厚情で受け入れられた身で。幾ら大きな組の若様だろうと傲慢です。ここは組本家ではないんだ。だから、配下も迷うし、護衛は動かない。配下はともかく、護衛は組本家からの派遣ですからね。駄々をこねられて
冷徹な呟き。
本当にこのお方は十六歳だろうか。
「篠崎さん」
「……神龍……組継ぎ様」
「………。…馴染みの店は何をしても良いわけじゃない。俺の養父である隆正組長にも馴染みの大料亭は幾つもあるが、とてもではないがこんな無礼は働けないし、ぶっ飛ばされます、オヤジなら」
平らかな物言い。でも、とても怖い。
「あなた個人の馴染みだというのなら、もう二度と、こちらの店の玄関板を踏めない覚悟は持たれることだ」
「……っ」
「大事な大事な若様、お心安らかにして頂く方法などお持ちだろうに」
「龍哉!」
「…先輩」
「龍哉っ!行くなよ!」
清瀧の若の声は変わらずに乱れて。
だが、龍哉さんの答えは水のように冷たく、
「紫藤先輩。あなたの言うことを、今聞く理由は俺には有りません。あなたも俺の望みを受け入れなかったのだからあなたの我がままを俺が聞く道理はさらさら無い」
「!」
「慰めたいのは山々だ。その理由だって明確なんだろう。だが俺は泣いてぐずる若様の世話にずっと慣れきってきたあなたの周りの辛抱強い方々じゃあない。狂った駄々は聞けない。勿論あなたはいつもそんな愚かなわけじゃない」
「……っ」
「でも、少なくとも…俺が…尊敬し、大事にしたいと思うのは…【今の紫藤文親】じゃない」
「!!」
「……黒橋」
「はい、若」
「よそからの声は聞かなくていい。
お前は立派な神龍本家の若手、桐生隆正の誇る精鋭。なにか事が起きた時、跡継ぎに付けて
「……龍哉様」
そこで、龍哉様は声を変える。
低く、厳しく、威嚇するように。
「たとえ紫藤先輩だろうと。
うちの精鋭を二度と、生意気な若手などと呼ぶな。他組の人間に、きちんと誠を尽くした自組の者を理不尽に
背筋が凍るような一声だった。
「………っ!」
「通夜のあの場で何もわきまえない、馬鹿二人は誰だったのか……」
「たつやっ!」
「俺とあなたの目の前で、この男は畳に頭を擦り付けて土下座して詫びた。あなたにとっては他人が自分のために頭を下げるのは当たり前の光景だろう?だがそれは本来、当前じゃない。
黒橋は厳しい事も言ったよ。突き落とし、蹴りつけるように。だが、あそこで言い過ぎぐらいに言ったからこそ、俺達は雄太に線香を手向けられた」
「そんな事……無いっ…」
清瀧の若がこの期に及んでも
不意に龍哉さんは玄関先に一歩踏み出すように戻りながら、俺の肩口を掴んだ。
「龍哉様……」
そして俺を押すようにして清瀧主従の前に。
無造作に伸ばされた指先が、俺の前髪を分けて、額を
「見ろ」
「……?」
「龍哉様……っ…」
「額に、擦ったような本当に小さな傷がある」
「…それは」
「畳じゃ、これはつかないんだよ。人に自分で土下座したのなんか、通夜のあの場が産まれて初めてだろう、おぼっちゃま?」
「……龍…」
「硬い、硬い石の上に額を押しつけなきゃ、できないんだよ。この擦り傷は」
……若。
判った、のか。いつ……。
「黒橋の覚悟を、こいつの、
……言ったこの男が一番辛いなんて気がつけもしないなら、放っておいてくれ。…むかつく」
「…龍哉っ!」
「ごめんな、黒橋。せっかく、上手く隠してたのに」
「……いえ」
「傷……きちんと水で洗ってあるか」
「…はい。手当ては終えております。ご心配ありがとうございます」
「髪が長いから、あまり目立たないけど、…すぐに、わかった」
「…龍哉様……」
「先輩」
「……たつやぁ…」
龍哉様に答える清瀧の若の声は悲しみで退行しているのか、幼い子のようだったが、濡れた執着が垣間見える。
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