龍の矜持《きょうじ》

女将から急報を貰い、駆けつけた時。

龍哉さんの部屋の前にいたのは、料亭の屈強な男衆二人だった。


清瀧の影もない、その事に心のうちで女将に深く、感謝する。


近づけば、連絡を受けていたのか、一礼して二人とも場を去ってくれる。


女将の人柄が口で言わずとも伝わるような、教育だ。


「龍哉様、黒橋参りました」

「……入れ」

「失礼致します」


襖を開けて入れば。


卓の前に座る、幼き後継。

いや、幼き、誇り高き、後継か。


蒼白な顔色を隠せてはいなかったし。

来るまでに何度かメールで入った連絡の通り、右手に巻かれた白い包帯が痛々しい。


「お怪我は」

「皮が破れただけだ。そこそこ力を入れては噛んだがな」

「見せていただいても?」

「…仕方ない」


持参した荷物を、部屋の隅において、龍哉さんの前に戻り、包帯をとき、ガーゼを外す。


クッキリと刻まれた歯型。

だが確かに、肉を食い破るような感じではない。裂傷に近い。

これならば血は出るがダメージはそれほどはない。


「あの二人には思い切り噛んだように見えてるだろうし、そう思わせたが、すぐにお絞りで押さえちまったから、判っちゃいねえだろ」

「……ご無理を」


薬が塗ってあるのが明らかなので、ガーゼを元のように患部にかぶせて包帯を巻き直す。


「篠崎が…見た目より【飛んで】た。まあ、大事な若様の一大事いちだいじだからな。仕方がないが。何を言ってもふすまの前をどきやしないし最終手段だった。…許せ」

「女将の連絡で。口頭ハンドサインを聞いた時は心臓がさすがに跳ねましたが」

「…悪い」

「女将さんもかなり慌てていらっしゃいましたよ。口調を落ち着かせるのに苦労していらした」

「すぐに分かって貰えたから助かった」

「清瀧のお二人は」

「篠崎はさすがに分かってた。先輩は分かって無かった。キョトンとしてたよ」

「でしょうね。…箱入りですから」

「俺は箱入りじゃなくてバラ売りみたいなもんだけど。今日ぐらい箱入りじゃなくて安心したのは初めてだな」

「……うちの大事な後継にそんな事を言わせている時点で、罪深いですよ。バラ売りはバラ売りでも貴方は高級品のオーダーメイドです」

「…ありがと、…帰るか」

「お着替えを」

「ああ」


藍色のジャージの上下は日常龍哉様が部屋着とされているものだが、室温調整がされているだろう客室内でも、山あいの低気温は忍び込むもの。薄手には違いなく、帰るならば早く着替えさせて差し上げたかった。


「一人で大丈夫ですか?…手」

「……過保護」

「数日間は過保護にさせなさい。バッグ、どちらにしますか」

「どっちがどっち」

「握り手が黒いほうがカジュアル」

「やっぱり。確かめてなかったけど」

「握り手がダークブラウンのほうがスーツ」

「ダークブラウンにする。……ダブル?」

「貴方の歳からすると少し時期が早過ぎですが一、二着はと隆正様がご用意を」

「有り難い」

「シングルのほうがスマートですがカジュアルラインの私服を持ってまいりました関係上、スーツがシングルでは路線かぶりです」


ダブルは前ボタンが二列、シングルは一列であることからきた名称だが。

ダブルはフォーマル、シングルはややカジュアルに見られる。


「だな、色は」

「ダークネイビーにシルバーラインですね」

「シャツは?」

「チャコールグレー、ネクタイは黒」

「……敢えて真っ黒にしないのがお前の良いところだよ、黒橋」

「…有り難うございます。ジャストサイズ、タイトなスタイルのものですので、年齢不相応には見えないかと。胸を張って帰りましょう、若」

「ああ、着替えてくる」

「それでは」


俺は部屋の隅へ。

荷物の中から、ポーチを取り出して若に渡す。


「これは?」

「整髪用のワックスが入っております」

「……他は」

「全体、目元補正用に全てメンズ用のコンシーラー、ファンデーション、フェイスパウダー、独自判断ですが色味合わせは大丈夫かと」

「……」

「オールインワンローションのミニサイズで保湿されてからお願い致します」

「…わかった」


真顔のままの冷静なやり取り。

何をしている?

何故、と外野は聞くだろうけれど。


「これは【貴方】に立ち戻る、手順。心を補強して目に見える【よろい】」

「……ああ」

「帰るときは、連れてこられた、悲しみに暮れた十六歳の少年ではなく、哀しみを矜持きょうじよろう、誇り高き次期後継で帰りましょう」

「……うん」


言葉少なく、返す龍哉さんの声が濡れてきているのに気づきながら、気づかないふりで。





十数分後。


荷物をまとめ。

俺と龍哉さんは料亭の一棟の玄関口へと来ていた。


女将と数名の男衆。

そして。

清瀧の護衛が数名。


皆、声もなく、俺と黒橋を見ている。


「若が大変お世話になりました、女将。後日、御礼は神龍のほうより」

「するべき事をさせて頂いたまで、お気を使われませんよう」


三和土たたきに立つ俺と龍哉さんに女将は丁寧に頭を下げる。


「整えられたものを確認させていただきました。お心づくし、すぐにわかりました」

「そう言って頂けますと…励みになります。有り難うございます」


龍哉さんは俺と女将の会話の間も真っ直ぐに顔を上げて立っている。


きちんと、髪を整え。

目元まわりを少し厚く、全体には薄くファンデーションを施し、目の下にできたクマをコンシーラーで消し。フェイスパウダーをはたき。

これは。単なるメイクではない。

いわゆる、戦化粧のようなものだ。今の彼には。

相手に隙を見せず、己の鎧となるもの。

櫛をきちんと入れて、後ろへ整え撫でつけた髪。


龍哉さんは自分を生意気で強情な面構えだと言い張るが、充分以上に整っている、美形なのだけれど。


涙にやつれ、哀しみに打ちひしがれた姿で来たからこそ、たとえ非情と思われようと何時もよりも優れた姿でここを出ていかなければならない。清瀧にその姿を見せねばならない。

それが【上】に伝わるかいなかではなく、場にいるもの、これからも触れ合うかもしれない者達に、舐めて掛かったら痛い目を見るぞという威勢を張って帰らなければならないのだ。

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