篠崎さんを残して部屋を出て。
玄関へと向かい。
女将を呼んで貰って。
数日には余る分の金額を渡す。
何も言わず、彼女は受け取り。
俺はそれに感謝して、車に戻る。
車を出して、暫く走らせ。
人気のない、サービスエリアの隅の駐車エリアへ車を止める。
そしてようやく。
「申し訳ございません、若。【私】は…貴方を蹴りつけ、突き落とし、踏みにじらねばなりません。【俺】が出来ないことも【私】はしなければならない。貴方は負けた心を
呟きは暗い車内に転がり、誰も聞くことはない。
謝れば、楽だった。
篠崎さんの言葉を聞き、御二人に会い。
こちらでも未だ弱く降り続く、冷たい雨の中、内庭のぬかるみの中に
無礼を詫びること。それが他者から見た最善。
俺以外なら、しただろう。想いが
けれど。あの店に向かう車内で。
思い返した若き後継の、傷つき、ひび割れた剥き出しの、あの眼───。
俺が、残された側の地獄が分かるのかと断じた瞬間の苦しげな顔と眼差し。
だが、一瞬、彼の眼に浮かび、俺に伝わった、別の想い。
…敢えて無視せざるを得なかった、
それを想い、汲むために。
謝るわけにはいかなかった。
硬い石の玄関についた両の掌は微かな痛みを伝え、前髪で隠した額には恐らく擦り傷が出来ているだろう。
雄太様のご両親には多分気づかれていた。
本気のぶつかり合いだったのだ。自分の身など構わない。
でも同じ頭を、今、若き後継に下げてはいけない。
決して───。
気持ちを入れ替えて、
エンジンを入れようとしたとき。
内ポケットに入れたスマホが震えた。
通信の相手を確認して、少しの迷いを胸に、通話をタップする。
「…どうしましたか、……若」
聞こえてきたのは、静かな、若い声。
「……明後日には戻る。…迎えにきて」
とても落ち着いた、声だった。
「今は…お一人ですか?」
「…一人にしてもらった。少し、先輩が興奮し過ぎてる」
「…お食事は」
「俺は、食った。…吐いても、入れないよりはましだし。…身体が心に負けてるだけだ。…いくら俺でもこれには【今は負ける】。先輩は茶以外は無理だ。…可哀想に」
「若」
「明日、一日貰う」
「…若」
「篠崎さんから聞いた。大丈夫、伝言を聞いたのは俺だけだから。先輩はお前が帰ったって事実に、今の龍哉を一人にするのかって、余計激怒して。部屋を分けてもらった。そうなってから聞いたから。先輩は興奮し過ぎで鎮静剤打たれて、今は寝てるみたい」
「…申し訳ございません」
「良い」
「…若」
「……お前は間違えてはいない。先輩があの通夜の場で、俺と居たばっかりに【聞いちまった】のはハプニングだ」
「…龍哉様」
「もともと…俺は…一人で行く気だった」
龍哉さんの出した声は、いつもよりも、低い。
「…はい」
「…本当は…あの場だけには…俺一人で行きたかった」
「……………」
「途中で先輩に追い付かれてすがられて。感傷に喰われた。悔しくて。悔しくて。悔しくて。
雄太を面白半分に奪われた悔しさと怒りが哀しみよりも深かった。先輩は…気づいていなかった。篠崎さんも。でも、お前は…気づいてたろ」
「刻むように怒っておられた…貴方は」
「…ああ。…でもな、やっぱりあいつをみたら。俺はまだ呆れるくらいガキだった。一瞬でぐちゃぐちゃになった。包帯だらけのあいつ、真っ白なあいつの…顔…もう…開かない
「………」
それはそうだろう。
俺の言っていることが、求めていることが、無理なもので、無体な話なのだ。
十六の若者に、それも自分のせいで後輩が殺されたということが分かっている状態で。それが間もない状態で。
わざと侮り、さげてみせ。
普通なら、それだけで、
「びっくりするぐらい無様で、子どもで………。それがどんなに…雄太のご両親を……。俺の涙に価値はない。俺の慟哭に意味はない。そんな事をしても、あの…雄太の…微笑みは、声は…二度と…」
戻り、還らないと。
通話の先の声が、詰まる。
「俺はおかしい、黒橋」
「若」
「…哀しいだろうと。
「若………」
「俺の気持ちは今、全部は自分でも掴みきれないし、言って良いものでもない。でも、お前が間違えてはいないことだけは、俺は【分かってる】。それだけ、言いたかった」
「…っ…」
「お前は俺を
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