緊急避難

かなり郊外の、静かな山あいに建つ品格に満ちた料亭に着いたのは深夜。

帰りたくない、と。自組の若に言われて、単純に連れていくのではない。そう予想していた通りの、たたずまい。


料亭本来の意味では使うべきもない。泊まらせる事が目的でもない。


【帰れないから】連れてきた。

篠崎さんが【帰せない】と思ったから、連れてきた。

それが、知れる。



まずは若二人が部屋へ行き、そのあと通された客室で身を整えていると。


低い、静かな声かけ。

答えれば。

篠崎さんが部屋へ入ってくる。


上座は断られたので対面で座ると。



「御二人ですが、今は身を整えられ、水分をとっていただき、落ち着かれた状態でございます。…少なくとも、龍哉様は」

「………」



それで通じる。極道おとこ同士。


「申し訳ございません、…うちの、若様が」


恐らく。文親様は私に激怒されているのだろう。

無理もない。


「…ガーメントバッグを、二つ持って参りました。片方にはスーツが。片方にはカジュアルなお洋服が入っております。もう一つ、用意致しましたスポーツバッグの中に部屋着として使ってらっしゃるジャージ上下が。

インナー、靴下小物はスポーツバッグの中に。靴の箱は、二つ。全てとなりの部屋に。若のお部屋へお願い致します。なお、こちらで厳重に検分しておりますので改めての検分は不要。神龍本家からのご伝言でございます」

「……!」


暗に余分なことはするな、させるなと釘を刺して。


「もとより私は、ここにうちの若をお送りしたまで。助かります、龍哉様をお迎えに参りますとき、迷わずに済みますので。お帰りになられますときにご連絡を頂ければ幸いでございます」

「…黒橋さん…あなたは…」

「お詫びを致します。篠崎さん。あなたのいらっしゃらないところで清瀧の若に失礼な振る舞い、自組の若の叱責に巻き込む真似を致しました。他組様の若(この場合は若様の意味)に対して権限なき無礼きわまりない真似とは思いましたが、あの場では致し方なく。…お許しください」

「……」

「発言ではなく、権限なき行動についてだけの謝罪ですが。…動揺した若い心、傷つきやすい未熟な魂には思い及ばないことでしょうが」


まっすぐに顔を上げたままで。


「堅気のあのご両親様が最大限お譲りくださり、お心を曲げて情けをかけてくださった。

…その本当のお優しさはあの場に入れて雄太様に会わせ、線香を上げ手を合わせることを許してくださった事ではない。篠崎さん、あなたならば【道理どうりとしては】お分かりの筈だ」

「…ええ…」

「若様は何と?」

「…突き飛ばされることも罵倒されることも予想していた。…ずっと待つつもりだったから、迎え入れられたあの時、とっさに動けなかった。黒橋さんが…叱ったのは、【分かる】。そうでなければ、香を手向けられなかった。…でも言い過ぎ、やり過ぎだ。

自分は良い。…でも龍哉は、龍哉には、酷すぎる。

受け入れられない。あれがたとえ…雄太のご両親をなだめるためでも…と。優しさを引き出すためでも、と」

「甘い」

「…っ」

「甘い。甘過ぎる。それに認識がずれている」

「…黒橋さん…っ…」

「しかし、仕方ないのでしょうね。まだ、子供だ。…悲しいくらいに、子供だ」

「……っ……」

「篠崎さん、清瀧の若から私の通夜の場での言動をお聞き及びならば。思うところもございましょうが。別にそれは構いません。…お詫びは致しました。許されようが許されまいが、口から出したことに言い訳は致しません」

「…申し訳ございません、黒橋さん。…あのお方は…」

「清瀧の若様には、若様なりのお哀しみがある。当事者であることに代わりはなくとも、あの方もまた卑怯ものに酷い巻き込まれ方をした」

「…………」

「存在を使われて、お前のためにこいつを殺すと言われ、雄太様を失われたのが龍哉様。龍哉様と共にいたけれど、お前の代わりにこいつを殺すと言われ自分の身代わりに、雄太様を失われたのが文親様」

「…黒橋さん!」

「殴っていただいて構いません、篠崎さん」

「…っ…。…いえ」

「ですが。ご両親様のお優しさを、私は無下にはできなかった。あの方達は。彼らをみた瞬間に通報できた。嘆きの押し売りのように雨に打たれる二人の子供とその連れを、通報できた。…大人二人は反社なのだから。…参列されるかたは堅気だ。毅然とした態度を貫くならば通報すべきで。恐らくは親戚などからは言われた筈だ。…周りからも。でも、警察は来なかった」

「……ええ」

「それこそが……ご両親が少しでも『息子のために』、お二人へと示したお優しさであり。反社の子の二人を会場へ入れるリスクは、堅気には重い」

「…はい」

「篠崎さん、私は。若様がたには謝りません」

「…黒橋さん」

「謝ることはできませんし、してはならない。それに私は、【間違えては】おりません。私があの場ですべきことは哀しみに震える雛鳥を翼の下に庇うことではなく、なぜ巣から落ちたまま、声も上げず己に負けて震えていると尾羽を蹴りつける、それだけでございましたので。…これは神龍の【躾】。清瀧様に御理解頂けるとは思いません。

他組の若様のご認識をただそうなどとも思いませんし。それはそちら様の領分。

…清瀧の若が今、私を一時的にお憎みならば、どうかそのままに」

「……っ………」

「…龍哉様には、黒橋は本家へ戻りました、と。

数日はどうか、お心休めを、と私が言っていた、と。

“今、御本家に戻られても困ります。

本家へお戻りの際は迎えに参りますが、その時までには表に取って替わり無様に泣きわめくその【獣】を、心底に押し込めいつものように眠らせて頂けますよう、黒橋、心より伏してお願いいたします。貴方様は神龍本家の後を継がれるのですから、半端な悲嘆は迷惑です”、と」

「…黒橋さん。そのまま、お伝えしてよろしいのですか」


篠崎さんは、少し、引いた顔をしている。

彼は文親さまが四歳の時から教育係を兼ねて彼に【つかえて】きたのだから、俺の言葉は傍若無人に響くのだろう。


「…一言一句、たがえずに。お願いいたします」

「…分かりました」


俺は立ち上がる。

滞在はまだ十分にも満たない。


「お暇を。龍哉様をどうぞよろしくお願いいたします」

「…お預かり…致します」

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