文親様の側近、篠崎さんは若が戻られるまでお待ちします、と頑なに車の外に立ち、動きはしなかった。


会場から少し離れた人目につかない駐車場で今もまだ冷たい雨に打たれているだろう。


俺は雄太様のご両親へ向き直る。

そして。

膝をつき、両手を畳につけて、額を畳に擦り付ける。


「!」

「!」

「…黒橋!」

「…黒橋さん…」

「本当に、本当に申し訳ございません、立派なことを申しても羽根もえ揃わぬ雛鳥ひなどり、問答無用の門前払い、貫き通してしかるべき御不幸の中、お心曲げてまで最後のご挨拶、赦して下さいましたものを。私のような外れ者がついて参りまして、神聖な会場の畳の上を汚すとは知りながら。

私の監督不行き届きでございます。どうか御許しください」

「……黒橋、さんとおっしゃったかしら」

「…はい」

「私たちも、大人げないことをしました」

「いえ」

「黒橋さん?」

「ご列席の皆々様の前で毅然とお怒りを示されたお二方に非があろうはずは有りません」


俺はいまだうずくまる二人を見ずに続ける。


「本来であれば、我々のようなものにご子息様の痛々しいお姿、見られることすら、ご家族様のお心えぐる行為。日を改めてご両親のお心をほどいてから、白沢家をひっそりとお訪ねするのが筋。自らの心のままに一般の方々の前に身を現し、醜態をさらすなど、愚挙にほかなりません。…ですが」

「……」

「止める者を振り払い、せめて、と送る車も間に合わぬほどの勢いで屋敷を飛び出され、制止しきることもかなわなかった私どもにも非がございます。どうか、お恨みは龍哉様、文親様だけでなく、この黒橋にも向けてくださいませ」

「…黒橋さん」


と、そこで。

雄太さんの母親に代わって、父親が黙していた口を開く。


「あなたは、直接関わりがないでしょう?雄太とは」

「御本人様とは、一度送迎の時に目礼を交わした程度。お話したことはございません」

「ならば、あなたがこの若者達と共に責を負う必要はない。それとも、組長の子供と、組員の…固い、キズナとやらですか?」


きつい、いいかた。

でも、仕方ない。


「いえ。私は…本家桐生隆正様付きの側仕え見習い。龍哉さんは学生ゆえまだ側つきは居らず、龍哉さん付きの当番の護衛がおります。いつも私がついているわけではございません。ですが言葉は交わさずとも私はご子息様がどんなに心優しい、暖かい方なのか存じております。『今日は雄太が』、『今日は雄太が』。学校から帰ると、母である明日美さまに明るい声で報告される声を時折聞き、私にも話してくださる時がありましたから」

「…だから?だから、赦してくれとでも?!」

「あなた…」

「そいつらは生きてる!雄太は死んだ!そうだよ、死んだんだ!」

「…はい」

「そいつらのせいで…あんな…酷い…」

「はい」

「馬鹿に…してるのかっ!」

「私の父は私が十四のとき、朝に笑って出かけ、夕には物言わぬ冷たきむくろとなって、帰って参りました。兄分である隆正様を守って死んだ。勿論、これは血腥ちなまぐさい影の世界の話だ。心優しい純粋な少年の死とは同じ天秤に乗せるのも、烏滸おこがましい」

「……っ…」

「だからなんだと言われれば一言もない。未来ある若者の非業と、極道者がいつかは辿るかもしれなかった野ざらしの死に様。比べられるわけもない」


あの人の死を、さも、他人事かのように。語る自分の心はどこにあるのか。自分でも、知れない。


「検死もろくにされずに…息子は…っ」


そう。

今見てとってもこれ程の痛々しい惨状ならば、検死にはもっと日数がかかる。事件性があるこのような場合にすんなりとご遺体が家族に還される。…そこには探られたくない者の意図と、探ることをよしとしない者の思惑が絡み合う…。


「あなた……」

「…っ…う…っ……うっ……」


胸をえぐるような慟哭どうこく


「自分の息子にしておくのが、もったいないくらい、良い子だった。素直で、明るくて、太陽のような、人懐ひとなつこい…」

「………」

「だが、極道者の息子に親の知らぬうちに懐いて、むごく殺されるくらいなら、人を疑う心を、教えておけば良かった…っ…!」


父親の血を吐くような、悲嘆。


「まだ…まだ…十五だったんだ…。これからあの子の人生は花開いて…上の学校へも行っただろう、就職しただろう、恋をして素敵な人と結ばれて…結婚して子を持ったかも知れない…っ…。全部、全部…絶ちきられた…そいつらの…せいで……っ…」

「あなた…っ…」

「見てみろ!雄太を!!」


父親が、棺の中の我が子の、物言わぬ亡骸を震える指で差し示す。


「目立った傷がついていないのは、顔だけなんです…っ…。むごい…酷い…」


母の口から零れる、悲嘆。


「お前らなんかに…説明してやる気もない。親の俺達が、どんなに、心裂かれ、血を流し…っ!…お前らなんかに…お前らなんかに…っ…」


父の、血を吐くような叫び。


「……ゆうっ…」


床にうずくまる龍哉さんの口から洩れる小さな、慟哭。

父親の言葉は息子よりわずか一つ、二つ上の少年の心を切り裂くには余りあるやいばだったのだろう。正しい主張であるからこその鋭い刃……。


けれど。


「泣く資格が貴方にありますか?龍哉さん」


俺の口からでたのは冷たい、冷徹すぎる一言。


「…黒…橋…っ…」

「男ならば、しゃんと立ってお線香を上げ、故人のご冥福をお祈りし、誠をご家族に示してこそ、詫びを言うことも泣くことも許されるのです。

認められるか認められないかではない。

誰の為に死んだかなど…。

自分のせいだ。自分達のせいだと、あなた方が言うのは命の重みの前には小僧の感傷にしか過ぎない。

人が死ぬということは…そういう事だ。

在り続ける筈の日常を奪われた者の苦しみを…たかだか十数年生きただけの若者にさかしげに言われたところで痛みを増すだけ。本当に、分かるのか?…愛しいものの命が消えて、この先二度と会うことも笑いあうことも、喜びを悲しみを、苦しみを、愛を。分かちあうことが叶わなくなった側の地獄が、あなたがた、若造に」

「…黒…橋…っ…………」

「……っ…………っ……」

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