彼が去ったあとで、自分の身体が随分と強張っていたことに気付く。
深呼吸して、自分の周りの酸素がいつもよりも濃いような錯覚さえあった。
何者なのか───。
何度も脳に明滅する問いに心が
こんな感覚は初めてだ。
俺を猫のようだと言った彼こそ。
まるで猫のようにするりと忍び込んで。
俺の心の何処かを、確かに
「ようやく、寝たわ」
明日美姐さんが俺が作業を続ける離れの部屋に現れたのは、深夜。
結局、龍哉さんの思惑通り、夕飯は下部構成員が運んでくれて。
龍哉さんが上手く言ってくれたらしく、自室へ戻る理由を良い意味で失った俺は、この際だからと、手をつけていなかったデータの打ち込みに取りかかっていた。
「姐さん、これは…。すみません、夕食に顔も出さず…」
「あら、大丈夫よ、続けて?」
「はい、どうぞお入り下さい」
「それじゃ」
と、明日美姐さんは部屋に入ってきて。
龍哉さんが座ったのと同じソファーに同じように、座る。
「焼いたケーキや他に作ったお菓子も持ってこようかと思ったけれど、一日置いたほうが味が落ち着いて美味しいお菓子もだいぶ作ったから、やめにしたわ」
「……」
「龍哉と話したんですって?」
「…ええ」
「探すって言って、ふらりと居なくなって。帰って来たら、居なくなる前と全然表情が変わっててね。何だか、嬉しくなったのよ」
「明日美姐さん…」
「だって、あの子、少年みたいな顔して帰ってきたのよ?」
「!」
「まあ、十四なんだから、少年なんだけど。今までは子供の中に大人が入っているような感じでね。本人は無理して大人ぶってはいないみたいだけど、その方が罪深いわよね」
明日美姐さんは『誰が』罪深いかは言わなかった。でも、言わないからこそ。
「それが本当に年相応の
明日美姐さんと二人になると、色々な事を話してくれたのだと言う。
今までもぽつりぽつりとは自分に馴染んでくれているようだったけれど、そうではなくて。
まるでせき止められていた何かが
「ああ、この子の中にこんなに沢山の龍哉がまるで万華鏡のように散りばめられていたんだなあ。それを誰にも見せずに抱え込んで。あの透き通ったような冷たい眼で守っていたんだなあ……って、思ったわ。隆正さんが今日は義理事でいなかったのが可哀想。でも、あの人だったら泣いちゃうかな。結構泣き虫だから」
泣く子も黙る桐生隆正を泣き虫呼ばわりできる明日美姐さんも相当なのだが。
「話すだけ話したら、コトンって私の部屋のベッドで寝ちゃってね。そのまま、寝かせてあるの」
「そう、ですか」
「あなたの事を猫みたいって言って興奮してた」
「ええ、ご本人に、そう言われました」
「すごく好きだったんですって、その猫。亡くなってしまった時に三日間も学校を休んでしまったくらい」
「!」
そんな事、彼は…言わなかった。
「誰にも理由は言わなかったって。風邪で寒気がして、具合が悪いから、で押し通したって。両親も体調不良を
「………」
彼はきっと、『踏み込んで』欲しかっただろうに。
「でも、移るといけないから、弟達は近づけないで、ご飯は食べたい時に自分がやるから要らない。そう言っても、一日目は弟が個室の自分の部屋に鍵をかけてるのに何度も来て、離れないし。父親は帰って来ると少しでも食べれないか?開けなさいってうるさくて。
“放っておいてくれ、うるさいんだよっ!具合が悪いって言ってるのに、なんであんた達健康な人間が、心配したいっていう欲を俺が満たさないと駄目なの?”
ってドア越しに父親に怒鳴ったらしいわ。
“父さんと健人に心配する権利があるなら、俺には心配を拒否する自由があるべきだ”
って言って」
心配を拒否する自由。多分、それは。
「見当違いで押し付けがましい自己満足な心配。そう、言っていたわ。……家族っておかしなものね?」
「……」
「したい時だけする心配なんか俺は要らないって。
“構って安心したいならぬいぐるみでも抱いてりゃいい。ぬいぐるみが可哀想だけど”
…私、何も言えずに聞いていたわ」
「姐さん」
「あんな、あんな…
「…強い眼を…していました。初めて見た時の、龍哉さんは」
「黒橋?」
「強すぎる眼だった。あんな眼は見たことがないくらい」
「…そうね」
明日美姐さんが口元に浮かべる苦い、笑み。
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