部屋の中を少しだけ見渡すように首を動かしている彼を、自分の座る椅子の他にもう一つだけある一人掛けのソファーに座らせる。


「お手間を取らせて…申し訳ありません」

「いえ。俺は、遠慮もなく、まだ自分の家でもない伯父の屋敷の庭を無作法に歩き回っているうちに、迷子になって離れに迷いこんで、仕事していたあなたが見つけてくれたとでもいえば、上も下も納得するでしょう?…真実なんてお互い一ミリもさらさなくても」


酷く、意地の悪い言い方だった。年上に向けるには、とても生意気なその、口調に。


「………性質たちの悪い…」


思わず言えば。

少年は口角だけを上げて皮肉に笑い。



「それは褒め言葉にしかなりませんよ。“本当は良い子なのに”、俺はその言葉が、身が凍るほど、嫌いだ。わかりもしないくせに、まるで俺の【中】でも見たみたいに決めつける。なら、性悪、無愛想、鉄面皮。ののしりの言葉のほうがよっぽど耳慣れて気持ち良い」


俺から視線を反らさずに言い切る、十四の子供。

一体目前の少年は堅気の世界でどんな地獄を見てきたというのか。


「だからあなたの事も、俺は嫌いじゃないですよ。黒橋さん」

「!」

「初めて会った時も今までも。今日も。気持ち良いくらいに避けられてるけど、悪い気はしない。正直で良いよ」

「……」

「半端な親切を恵まれるのはもう、沢山だ。善意は悪意より、始末が悪い」


利口な子だと、思った。

恐ろしいほどに利発な、少年。もしもこの子供が神龍で何事もなく成長していったならば一体どんな青年になるのだろうと思わせるような。


「なんだろう、こいつ…って思われてるなってのは感じてたし。…見たこともない虫を見るみたいな?」

「…それは…」


さすがに組長の養子になることがほぼ決定している【坊っちゃん】に、そこまでは思わない。


「俺はあなたを見た時に近所の意地悪婆さんが飼ってた猫を思い出したよ。すっげえ気位の高い猫。婆さんが高級エサやってたんだろうな、近所の子どもが差し出すチンケなエサなんか見向きもしないし、絶対媚びない。俺、意地悪婆さんと友達ダチだったから、よく触らせてもらってたけどね。嫌々触らせてくれてんのまる分かりで面白れえわ、可愛いわ」

「意地悪婆さんが、ダチですか?」

「ああ。くっそ意地悪だったけどな。情の深い、良い婆さんだったぜ?もう、天国行っちまったけど」

「……猫は?」

「……。猫は…その、婆さんが向こうへ逝っちまう何ヵ月か前に…。婆さんが言ってた。後に残さないで良かった。心残りは少ないほうが良いんだって」

「そうですか」

「…俺に、猫がどうなったか聞いてくれたのは、あなたが初めてだよ」


まあ、この話自体、詳しくひとに話したのは初めてだけどな、と笑って。

だけど、人に媚びずいつも頭を上げていたあの存在(それが人を指すのか、猫を指すのかはその時は教えてくれなかった)に似たものを見つけたのは幸運だった、と少年は俺に言う。


「ここに来るとさ。息がつける。まあ、まだ本当に外来種みたいな存在だから、そう居心地が良いかって聞かれると微妙なラインだけど…石田にいるよりはマシだ」

「そんなにご実家は居辛いですか?」

「…はっきり聞くなあ」

「すみません、踏み込んだ事を…」

「居辛いよ、特にこの二、三ヶ月。父さんは数日おきに定時で家に帰って来ちゃ、俺を涙ながらに説得しようとするし。知らない父方の親戚は家に出入り放題。弟は父さん大好きだからあっちの味方。妹は小さいから弟や父さんにつられて泣くしね。ま、予想はしてたよ。初めてこっちへ来た時、皆に言ったけど」

「……」

「桐生に行くって言えば、大騒ぎで妨害するし。でも、あんまりうるさいから、

“そんなに騒ぐんなら俺は今すぐにでもあっちの家に居候させて貰っても構わない。俺が決めたんだ。父さんは反対するけど、母さんはやっぱり何にも言わない。賛成ではないけど反対でもないよね?それに泊まりに行くだけだろ?”

で、それ以降は、無視してる」


少し伏し目がちになって、少年は続ける。


「やれ、血縁関係だ、親子の情だ、って。こっちだって血縁関係だし、情だって深いってーの。俺みたいなひねくれた小僧、ゲラゲラ笑って引き受けてくれてるもん、明日美さん」

「…龍哉さん」

「あ、やっと名前、呼んでくれた」

「…あ…」

「やった!リリィ、あ、婆さんの猫の名前な?そいつを初めて懐かせた時とおんなじぐらいの達成感!」


無邪気に笑う少年に。

不意に凍った筈の感情を掴まれる。

─何て表情かおをして、微笑わらうんだ─。


自分の鼓動が不自然に速い事に動揺する。

だが。


「夕飯はこっちへ運ばせるよ。そのほうが気楽だろ?まだ何だか分かんないちっちぇーのと食うよりはさ?」


現れた時と同じで。

すうっと、入り込み、すうっと、退いてゆく。

その鮮やかさと、たくらまぬ、あざとさ。


返答が出来ないでいるうちに、少年は去る。

変化したのは砕けた口調と、胸を掴む笑顔。

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