それから、三ヶ月後のある日。
「黒橋さん、今日、また『坊っちゃん』、いらっしゃるみたいですよ」
「…へえ」
事務室でPC作業をしていた俺に声をかけたのは大谷という十代の構成員だった。
「姐さんがケーキ焼くから来るか?って聞いたら、行くっ!て即答だったそうですよ?」
翠さんは家庭的だと聞く。自分の家でもケーキくらい出るだろうに。
定期的に龍哉さんは桐生の本家に顔を出すようになっていた。
「泊まりか?」
「そうみたいっす」
「ふうん」
「…それで朝から少し皆が浮かれてるのか?」
「っていうか、明日美姐さんがテンション高くなってまして。台所で大騒ぎっす」
「そうか」
「それでちょっとうるさいけど、辛抱してくれって。明日美姐さんからの伝言っす」
「わかった。お気になさらないように、って伝えてくれるか?…何かあったら、声をかけろ」
「はい!」
明日美姐さんは俺に日頃から勿体無いほどの気を使って下さる。十代半ばから俺を知っているからかもしれない。
俺は大谷の姿がドアの向こうに消えると作業を再開する。
組執行部が直接関わっている裏の稼ぎと表の利潤をきちんとPCでデータ化し、ベースを作り、他の舎弟などの、二次、三次団体を通して上がってくる上納金もまたきちんと数値化し、振り分けて組の利益を目に見える形で落としこんでゆく自分なりの事務作業。
面倒くさいと言われているこの作業が何故か俺は苦にならず、いつの間にか一手に引き受ける形になっている。
組の武闘派といわれている者達からは【上】に気に入られているから楽な仕事を回してもらえているとか、
だが俺からしてみれば
低レベルの陰口を真に受けて喧嘩を売る気も買う気もないから、完全無視を貫いている。言いたいものは言えばいい。
それにしても。
そんなに自分の『家』は、彼が身を置く世界は、【生き辛い】のだろうか。
こちらを訪ねる頻度が増すたびに活力を取り戻していくかのような眼の光、逆に自宅に帰る日に玄関を出た後、何かを押し込めるかのように失われる同じ眼のそれを、何度か目の当たりにして、俺は知っている。
何故か、気になって。
我知らず観察するうちに、気づいてしまった。
十四の少年の心に何が
知りたい、と、この三ヶ月、消極的にでも思うようになった自分の心に少し苛つきを覚え始めている。
いくら組長や姐に恩や義理立てがあっても、自分は自分以外の誰かの、しかも年下で先行きもまだ未定の少年の動向に左右されるような、ほんの少しでも興味を持つような、そんな人間ではなかった筈だ。養子だ、次期若頭だと言われても現段階ではまだ、ただの堅気の、しかも中学生だ。
だが。
現に今。
自分は先ほどまで淀みなく流暢に叩いていたPCのキーにかかる指を止めてしまっている。
あの強い瞳の少年に向かって流れ、動き始めてしまった思考の代わりに。
「随分と静かな場所ですね」
数時間後。
背中からかけられた声は、まだ、大人になりきらぬ少年のものだった。
本家の離れにある資料室。
ほとんど倉庫と化していたそこを整え、本家に上がる財源、【表】から【裏】までの事務資料を管理、収納する部屋にしたのは自分だが、結局、利用するのも自分一人だった。
母屋から離れているせいか、ここはいつも静かで。
考えごとをしたい時、いつの間にか来てしまう、そんな場所になっていた。
「……ここを…どうして…」
振り返り、思わず、声が
何故、『彼』がここにいるのだろう。
「明日美さんが、探していました。もうすぐ夕食だからと。…でも、自分の部屋にはいないようだと皆も探していて」
「それで、ここを誰かに聞きましたか」
そう、聞くと。
少年は首を振る。
「いいえ。庭に、出て。あたりを見回していたら、離れの部屋の窓のカーテンが一つだけ引かれていたので、…何となく」
確かに。資料室のカーテンは俺が来た時に引いた。
しかし、それだけで?
すると。
目の前の少年は。
「…俺には、弟と妹がいて弟は五つ、妹は七つ、離れていて…可愛いけど。特に妹はなついてくれてもいるけど。存在にまとわりつかれるのが、無性に迷惑な時があるから」
「!」
何でもないことのようにそう言って。
部屋に入ろうともせず、廊下に立っている。
少しだけ開いた扉の隙間から背を向けてPC作業に没頭する自分を見られていたのだろうと考えると
【存在にまとわりつかれる】。
それはなんという的確な表現だったろう。
どうぞ、と
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