出逢いは、墓場だった。

俺達にはある意味、相応ふさわしい場──。


約七年前──。

雄太が天に還って一年近くが過ぎていた。

朝から本家屋敷を脱け出して、護衛を撒き切り、たどり着いた…白沢家の菩提寺。


せめて想いを伝えたくて。手にして来た花束。

あいつの、誕生花。

でも。墓前まで行きながら。

俺は…。

どうしてもそれを…供えてやることが出来なかった。若いあいつをいたむ花束、純粋な想いが白沢家の墓の敷地内に溢れ過ぎていて。

この中にあいつが天に還ってしまった原因である俺の持ってきた、この汚れた花束なんぞ供えたって、喜ばれる筈もない。

躊躇ためらいながら引き返し、墓地の隅の枯れた花などを処理するゴミ捨て場に、俺は花を捨てようとした。


すると、


「その花、捨てるのかい」


不意に低い声が俺の耳を打った。振り返れば、一人の男。


「じゃあ、俺にくれねえか」


は?


「……なんで。仏花だぜ」


恐ろしく無愛想に答えてしまったのは仕方のないことだろう。


「仏花には見えねえな?綺麗なモンじゃねえか。気持ちのこもった香華にみえる。だが、供えられねえ飾り花なら、俺に寄越しても不都合はねえだろう?」


三十代後半だろうか。背の高い、短髪の男。

そのおもてに苦い笑いを刻んでいる。


「おれも実は墓参りだが、奇縁だなぁ、お互いに墓に参る相手に、おいそれと足の向けられる出自じゃねえみたいだなあ」

「……っ…」


改めて男を観察する。黒い上質なコート。ダークブラウンのダブルのスーツ。

静かな声とは裏腹に眼光は鋭く、隙がない。


「あんたも、か」

「ああ」

「…わかるのか」


俺が【そちら側】なのが。

聞くと。


「目だよ」


声に笑いを含ませてそう言われて。


「目?」


聞き返す。


「チンピラにも半グレにも出来ねえ、…極道おとこの目をしてる」

「!」


男は何でもないことのように聞いてくる。


「幾つだ?」

「…言いたくない」

「察するにまだ十代だろ?」

「…っ…」

「いずれにしろ、その年にしちゃ珍しい。だがその目を持ってるって事は、口に出すことも叶わねえ、夢に見ることも自分に許さねえ何かを擂り潰してきたんだろうなあ」

「…っ…。あんたに何が…っ…」

「当てずっぽうだよ、でもはずれちゃいないみたいだな?」


俺は唇を噛む。

たかが数分前にあった男に、何も言い返せなくて。


内心狂いそうな葛藤の日々が続いている頃だった。

弱みは見せたくはなかった。が。

手を引き、足を引いてくるやつは跡を絶たない。


“可哀想にな、後輩の学生とやら”

“ろくでもないのに見込まれて…。組に迷惑かかったら、どうするつもりかねえ?あの堅気崩れの半端な子供は”

“さっさと実家に尻尾巻いて帰れば良いのに…。意地だけは一丁前の糞餓鬼”


何度松下の叔父貴が絞めても、陰から繰り返し湧く、羽虫の罵詈雑言ばりぞうごん


“いらない”

“帰れ”

“気持ち悪い”


ずっと言われてきたのに。

この頃、胸が痛む。


“でも、あの半端者も分かったんじゃないのか?可愛い後輩とやらが自分のせいでタマ取られちゃよ?いい気味だ!調子に乗りやがって”

“泣き顔一つ見せやしない、へらへらした気持ち悪いガキ!”


馬鹿野郎。

お前らなんかに見せない。俺の弱さも、弱味も。

好きに言えよ!

気を張って。へらへら笑う俺の心底なんざ見せて…たまるか。


親父も、その時は親父付きの淳騎も、あえて何も発言せず。内心荒れていく俺を、見て見ぬふりしてくれていた。


そんななか、出会ったのが…紳さんだったのだ。


「その花…供えてきな」

「…っ…これは…っ…」


もう、捨てると、決めたのに。


「捨てるなら、墓参の相手の墓の敷地の中に『捨てて』こい」

「…な…」

「せっかく自分に買ってきてくれた花を、むざむざゴミ捨て場に捨てられる、天上の誰かさんの気持ちを考えるならな、どんなに目立たない隅でもいい、供えてやることだ。したくもねえのに捨てるのは負けること、逃げる事。それを見せても平気な相手の墓参に来たようには、見えねえんだがな」

「……っ…!」


一言も、言い返せなかった。

数分前に会ったばかりの、その時は名も知らず、顔も知らず、ただ同じ極道の世界に身を置く者だとしか知らぬ男の言葉が俺の心を確かにいて。


「こんなこと、知らねえ奴に言われて、戸惑うのは分かる」

「…全くだ」


ようやく返す。


「世話焼きが過ぎる。たとえ目についたところで手負いのチビなんざ放っておけばいいものを」

「…あいにくと、性分しょうぶんなんでね」

「変な…歳上おとな

「生意気だけど賢そうな、歳下こども

「…初対面の年下、誉めてんじゃねえよ。俺の事なんか、何にも知らないくせに…」


言い返せば。

一瞬、真面目まじめな顔をされた後に爆笑される。

ひとしきり笑う男。戸惑いを深める俺。

二人以外誰もいない墓場に風だけが吹き過ぎていく。


「ちょっと行ってくるから、待ってて」

「………」

「言われたことを全部胸に落とした訳じゃない、だけど」

「ああ」

「…確かに、あいつに買ってきたこの花を見えねえ声や自分のくだらねえ感傷に目眩めくらましされて捨てるのは、あいつに対してフェアじゃない」


呟けば。


「待っているのがこんな見も知らねえ失礼なオジサンでよけりゃ待ってるぜ」


男は静かな表情に戻って俺に言う。


「きっと喜ぶぜ?『本当ですか、僕もですよ』ってな」

「……っ……!」


俺が片手に持ったままの花束を見ながらの言葉に。

息が止まりそうになる。


「…綺麗な、シオンの花だ」


花言葉は、

『君を忘れない』────。



本当に一体、この男は何者だろう。

雄太の墓を、初めて一人きりで訪れたその日にあった、陰を背負いながらも、明るく笑うこの男は──。



それが須永紳二郎と、俺との出逢い。

誰も知らぬ【糸】の繋がった、あの日──。

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