この辺りで。静かすぎるほどに静かだった場がざわざわし始める。

俺の顔からは一切の表情がきえている。

今までの俺を直接見知る者、噂で知っている者。

そのどちらもが、知らないだろう【顔】。


「神龍組次期後継、若頭、桐生龍哉。この両胸と背に染め抜かれた代紋に組の誇りと仁義、己が組の裾野すそのに至るまでの責をって、この場にお邪魔させて頂いている。俺はともかく、この代紋に湯でも茶でも掛けようとしたってことは」


低く、恫喝する。


「先代、当代、次代。全ての神龍上層部、執行部、組長舎弟の方々、二次、三次に至るまで敵に回して、一生追われる覚悟もあっての行動だろう?名前も知らない下衆?」

「…ひっ!そんな…そんな…だって…義伯父おじさんが、今日来たばっかのぽっと出の若造に…騙されてるって…だから…っ!」

「…へえ?」


すると、あの場にいた上席の方々がみんな必死に首を振っているのが見える。ありゃ、シロだな。


「俺なんか…親族席にもつかせてもらえないのに」

「知らねえよ」

「知り合いの組長の息子ってだけで若造が」


は?

まさかそれだけで?


え?

あ?もしかしてこいつもあれか?

御園生の馬鹿な兄妹、淳騎の伯父の二度と日の目を見ることなく、片方は消え、片方は沈んだあの二人のご同類?

でもこいつ、あれらより馬鹿だろ?

ここがどういう場で、どういう人種が集まるか分かってるだろうに。

いや、分かるのと理解するのは別物なのか?

それとも……。


「とりあえずはお話聞こうかな?」

「…やっ…やだっ!…茶はかかんなかったんだから良いだろ?そこの手下がかぶったんだから未遂だろ?…俺は…悪くないっ!…俺は…樋山の…」

「お前がどこの誰かなんてどうでもいいって。ってか、お前、義伯父さんって言ってるけど、樋山組長の」

「…龍哉くん、違うほうで呼んでいい」


絶妙タイミングでかかる、声。


「『王照きみてるさん』の顔、見てみろ?あの冷たい表情かお。ありゃ、【もう駄目】な顔だよ。俺も持ってる【顔】だ」

「っつうか、勘弁ならないのは俺らも同じなんだけど?」


背中から。

聞き覚えのある声もする。


たっちゃんに何してくれてんのかな?」

「おう、国東?平気か?おつきってのは大変だな。でもよくやった」

「石塚さん、麻生さん」


「おい、そこの無紋。お前、塚田の若頭カシラの親しい縁繋がりに因縁あやつけて、天下の往来、無事に歩けると思ってねえだろうな?」

「歩かせねえな?樋山の組長オヤッサンには申し訳ねえが」


振り返れば。

翼星会塚田組若頭、石塚いしづか邦宏くにひろと。

塚田組若頭補佐、麻生あそう信爾しんじ


「翼星会の。何だ?知り合いか?龍哉くんと」

「樋山組長。この度はお招き頂きまして。組長名代として参りました。組長もだいぶ体調は良くなったんですが」

「無理は禁物だ。補佐と来てくれたんなら正式だからな。それより…」

「龍ちゃんとは数年前から。新店構えるたんびに花だして祝儀持って来てくれる。律儀で義理堅い、本当に健気けなげ極道おとこですよ?」


褒めすぎな気がする。

そしていつもにまして過保護。

補佐連を身近くに寄せてない俺の両側を挟むようにしてガードに回ってくれて、馬鹿から距離を置くように自分達の立つ通路側に肩を抱くようにして引き寄せ、四、五メートル離してくれる。


淳騎はあからさまにほっとしてる。

他は少し驚いてる。

あ、そういえば。

親父や、松下の叔父貴も。塚田と顔見知りなのは知ってるけど二人との繋がりの深さまでは教えてなかった気が…。


「龍ちゃん、平気か」


さっき目で挨拶した時も気遣ってくれてたのに。

優しいな。二人とも。


「石塚さん、有り難うございます」

「本当に湯、かかってないか?ったく、ひどい事しやがるぜ?無知は怖いよな、本当に。うちの若頭の可愛い弟分みたいな龍ちゃんに熱湯ぶっかけようとするなんざ」

「麻生さん」

「俺は出来ねえ。絶対出来ねえ。あー、怖い怖い」


俺を軽く覗きこむようにして、声に出さず、誰にも見えないように口を動かす麻生さん。


『清瀧の坊ん、こわい』


って。

石塚さんはニヤニヤしてる。


二人ともワルいなあ。

ま、ワルさじゃ、俺も人の事は言えねえが。


「黒橋」

「はい、後継」

「…お前、今からちょっとこのお兄さん連れて別室行って『お話』してこいや?…すみません、王照さん、お部屋かして頂けますか?」

「構わんよ?普通の部屋でいいのか?」


普通の部屋でいいのか?

って(笑)。

そうねー!ここ極道の屋敷だもんね!

普通じゃない部屋あるもんね!

おい、親父、笑うのやめてやれや、肩揺れてるけど(笑)。


「やだ、やだ!…ふっ…ふざけんな、俺になんかするんなら、お前も殺してやるぅ!」


だけども無知な馬鹿は怖い。どっから掠め取ってきたのか、小さな果物ナイフを袖から掴み出して。

ぶるぶる震えながらダッと向かってくる。

とはいえ、リミッターは外れてるから。ブンブンと得物を振り回している人間を同テーブルの親戚筋の初老の馬鹿どもがとめられる筈もなく。

瞬間、塚田の二人が前に出ようとしたが、俺は二人の間をすり抜けて、ナイフには構わず男の手首を掴み、手技だけで男の身体をひっくり返すように床に叩きつける。


「…がっ…ぐぅぅっ……」


ナイフは手首を掴んだ瞬間に床に落ちていたから男は無様に床に転がり、泡を吹いて昏倒している。


「黒橋っ」

「…承知っ」


男に近寄りながら、襟元のネクタイをもう外していた淳騎は素早く意識無い男の手首を腰の後ろで拘束し。


周りに頭を下げると男を抱えて退出して行く。


「…珍しいな、黒橋が」

「親父」

「…お前を残して場を離れるとはな」


静まりかえった場を割くように。

親父の呟きが響く。


「塚田の双璧そうへきがいるからでしょう?」

「…龍ちゃん」

「龍ちゃん」


塚田の二人を見れば、何てまあ、嬉しそうな顔して。


「黒橋が何の躊躇ためらいもなく、俺を預けて安心できる歳上ってのは限られますよ。特に他組ではね」

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