編集済
本文中に言及下さりありがとうございます。光栄です。
なんというか、僕は『ヤバい』言葉に頼るコミュニケーションが言語というよりも車のクラクションのように思えてしまうことがあります。危機感はやはりあります……。なぜなら、非言語的コミュニケーションの様相を呈しているからですね……(音を出したタイミング、シチュエーションで判断する為)
敵対とかじゃなくて、我々(?)が地道に一語に頼らないスタイルを示して行けば良いのかもしれませんね。
これは服やライフスタイルなどの話と共通ですが、
『自分が良いと思うスタイルとの出会いは、このスタイルの中で生きる人と知り合うことから始まる』
と思うが故の発想です。
当然かもしれませんがもしかしたら、ヤバいを多用する人たちは、それ以外の表現に対して選択肢を持っていないのかも知れない、と思うのです。別の手段が何か身近にあり、知ることさえできれば、行かなかった道は一語乱用の方かも知れない、とも思ってしまいます。(僕はちょっと考えすぎる時がありますので……苦笑)
長文失礼しました。
ありがとうございました。
作者からの返信
上月祈 かみづきいのり さん
コメントありがとうございます!
お返事が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
「ヤバい」とか、単語での会話は、おっしゃる通りクラクションのようですよね。
反射というか。
なぜそういうふうになったのか、を
いろいろ考えています。
「ヤバい」を多用する人たちは、実は心の深いところを知られたくないんじゃないだろうか、或いは自分でも知りたくないのではないだろうか、と考えています。
広い範囲で使う言葉を多用することで、本心を隠す
みたいなニュアンスがあるのかもしれないと考えています。
LINEも単語で会話していますよね? 多くの若者は。
スタンプだったり。
そういう文化も影響しているように思います。
もう少し、考えてたいと思っています。
特定のコミュニティでの、文脈を前提とした表現ですね。
情報の発信に責任を負わない、という文化を感じます。
高校生のときは、僕も似たようなときはあったと思います。ただ、そこの使い分けというか、仲間うちでくだらない話をしているときだけにしていたような、、
僕は実会話でいい大人が普通に「やばい」を連呼していると、とても変だと思う。
言葉って言うのは「使われるべき場で使われるから生きる」モノである。「ヤバい」「超〇〇」「無理」「きっしょ」「ウケる」「エグい」、これは十代の子が使うから生きる言葉です。逆に彼らがカクヨムに来て、ここで語られている言葉を読めば「何を言っているかわからないんですけど!」となる。
平安時代には平安時代の、十代には十代の、カクヨムにはカクヨムの、それぞれ「そこで使われるから生きている言葉」があるのです。
僕は正しく美しく心打つ言葉が好きです。
逆に美しく響かない言葉を使う、似合わない言葉を使う、それって僕はとても変だし、少し恥ずかしいなって思う。
その恥ずかしくて似合わない変な言葉を使う人達のグループに所属するのが「やだなぁ」と思うから、言葉を理解出来ないのでなく理解したくない。それは全然普通の事。カクヨムでこれだけ指示されている西さんです。人の気持ちや心を理解するのはずば抜けています。でも嫌なものは嫌、それでいいと思います。
だからね、彼らや彼女らがここに来て「にゃ!」を見れば、そこに含まれるたくさんの優しさや思いやりや温かみなんか、まるで理解出来ないでしょう(笑)、くふふふふ( ;∀;)
ま、論戦になってもいいのならちゃんと自身の言葉で面白いつまらないを説明するのが良いかもですね
でも相手が良いと思ってる(と感じる)物はけちょんけちょんに貶したりせず、同意してもいいかなって部分は同意してみるといいのかも
ま、その相手が「私が気に入ってる作品を100%褒めないなんて、こいつは敵だ!」とかいうキチガiゲフン! YESかNOかだけの極端論者だったら少し距離を取った方がいいかもですががが
微笑むのが正解だと思います。
(^^;
編集済
しまこさんがヤバい! ヤバいへのこだわりが尋常ではない! 言葉への愛と悲哀に満ちている!
一つの言葉で多くの意味を持つ日本語。
多くの言葉に一つの意味を有する米スラング。
私は言葉の力を信じております。故に言葉の自由度、可能性、多様化は失われるべきではないと思っております。
問題なのは言葉、ではなく、それを使う人、新しい言葉が生まれる反面、古い言葉、使われない言葉は廃れつつあります。使われ方も同様。
それも時代の流れと言えばそうなのかも知れない。それについていかなければ、何言ってんだこの人、と云われるのは少数派、と言う事になります。
されとて、それに乗っかって時代の流れに身を任せているのは脳死と同義。鶏口と成るとも牛後と成るなかれ、流行語を発信出来るほどの牽引力があればいいのです。まあ、無理ですけど(笑)
結音さんの仰る、空気を読む便利な言葉。納得ですね。とても争いを好まない日本人らしい保守的な言葉。まさにそうだと思わざるを得ない説得力がありますね(笑)そんな日本人が良いとは言いませんが、他国から見れば、ハッキリと物を言わない、優柔不断な奥ゆかしい民族らしいですね。
まあ、もしもそこから脱却したければ、身近な少いコミュニティの中くらいは牽引するくらいの語彙力と、カリスマが必要になるのかしら? 私は面倒くさがりなので、巻き込まれない様に立ち回って、傍観者を決め込む派ですが、何か?(๑´ڡ`๑)うべなうべな♪
語彙の変遷というのは、なかなかに難しいですね。
まさに言葉は生き物と言ったところでしょうか?
最近、やっとこさで『ヤバい』をマスターできましたが、十人十色の受け止め方があるだけに、面妖この上なき状態ですね。
しまこちゃんとは違うかな。
私は空気を読みすぎる悪魔の実を食べたらしい。
ので、これもしんどい、😓。
看護師としては空気を読むことは必要なんだよ。
患者さんのかもしだすモヤモヤを察知できないとダメナース認定されるからね。
それが変に身につくと日常的に発動。
だからね、ひとりになる時間が必要なの。
誰とも会いたくないんだよね。
作者からの返信
菜の花おしたしさん
空気読み過ぎるのもつらいよね。
わたしはね、誰かと会ったあと、一気に反省会が始まるのです。
ああ、このとき、こういう発言しちゃ駄目だったんだ、とか。
そういうのがけっこうめんどくさいのです。
「あの、『ヤバい』は違う意味の『ヤバい』だったんだ」とか考える。
実のところ常に言動の理由を考えているのですが
瞬間的に分からないこともあるのです。
これは空気を読むとは違う能力かな。
「やばっ」
よく耳にしますね( >д<)、;'.・
「すごッ」とか……。
私はよく「だよねー」と言った後に「で、何が?」って聞いちゃうので、「話聞いてなかったんかい!」と言われる事が多いいです(汗)
何となく会話できていたら、良いのかもしれませんね(*>ω<*)
外人との会話なんてほとんどがそうです(笑)
単語も分からないもの……。
作者からの返信
浬ちゃん
「で、何が?」
分かるー!!! 言いたくなること、あるあるー!
ふんふんと聞いていながら、「あれ?」とか思うんだよね。
何となく会話して「やばいー」とか言えたらいいのかも。
……難しいけど(笑)。
はっ!
外国人との会話だと思えばいいのです!!!!!!
発見!
なんか分からないから、「やばっ」とか言っておけばっ。