桶屋の罪状

@SBTmoya

第1話 「カール・ギブソンがシュートを止めると、日本は国際社会から一歩遠のく。」1


もしゃ、もしゃ、もしゃもしゃ・・・


もしゃもしゃ、もしゃもしゃ、もしゃもしゃ、もしゃ・・・


もしゃ・・・



「(もしゃ、もしゃ・・・)君は、風が吹くおと桶屋が儲かるのがなぜか知ってるかね。」


新宿区のオフィスビル、その狭い個室の窓を背にしたデスクから、元院邦明は個室の入口のパイプ椅子に腰掛けている背広の青年に問いかけた。

13時だというのに、向かいのビルのせいで部屋全体が薄暗い。

個室の外は大勢の人間が出入りしていて、時々工具のやかましい音が鳴り響き、しかし個室にはデスクとパイプ椅子以外何もないところが、

まるで取ってつけたような空間のように感じさせる。

背広の青年は、少し考えた後、


「確か・・・風が吹いたことによって、猫が減り、鼠が増えて、その鼠が桶を齧るからだと記憶してます。」


「(もしゃ・・・もしゃ・・・)その通りだ。(もしゃ・・・)だが、違う説もある。

 (ガサ、もしゃもしゃもしゃ・・・)それはただ単に風が桶を飛ばしてしまうからだという説だ。しかしだからと言って・・・

 どのみち桶屋が儲かることに変わりはない。」


「はぁ。」


「つまりだ、重要なのは事象が起こったプロセスではなく、おきてしまった事実と、原因ということだ。」


背広の青年、庄司孝介は刑事になって5年になる。

順調にキャリアを積んできた庄司だが、ある日突然辞令が降る。


庄司くん、悪いが明日からピィ事案対策課に異動してもらう。


P事案・・・ですか?


違う。ピィ事案だ。


・・・何が違うんだという言葉を飲み込んだまま、庄司はピィ事案なるものが全くわからず、今日この個室にやってきた。


「仮に君が、板金屋だったとする。」


元院は、先ほどから庄司を見ず、ピィ事案の説明をしている。

庄司は外の工具の音で元院の声を聞き逃さぬよう、顔を近づけて話を聞く。


「ある日、桶屋が突然儲かる。(ガサガサ・・・・もしゃもしゃもしゃ・・・)君は不思議に思うだろう。

 なぜ、突然桶屋の調子が良くなったのか。そして自分も桶屋にあやかるために、原因を考えるだろう。

 じっくり桶屋を観察し・・・(もしゃもしゃもしゃ・・・)いつもとどこが違うのか・・・(もしゃもしゃ・・・・)

 考える。しかし、まさか、原因が風だったと、君は気づけるだろうか?」


「わかりません。」


「君には、その風を探しあてる仕事をしてもらいたいのだ。以上が、ピィ事案対策課の主な職務となる。」


「えっと、いくつか質問が・・・」


「その前に、君は今とても不安に思っていることだろう。(もしゃもしゃもしゃ・・・)

 その不安の原因はこうだ。

 なぜ、目の前に座っている上司であろう人物が、職務内容を説明しながら、食パンを手でこねて紙粘土のようなものを作っているのか。」


元院は、ようやく数斤は使ったのだろうわざわざパン生地に戻した食パンをこねる手を止めた。デスクは、パンの耳とパン屑まみれになっている。


「ごめんなさい。個人的な理由ですが実家が大麦畑をやっているものでして。なんでそんなことをするのですか?」


そう言われると元院は、初めて庄司を見て、にやりと笑った。


「それは、実に個人的な質問だね。だが仮に、

 私はこの紙粘土状のパン生地でもって家を建てるつもりなんだ。と答えたら、君は納得するかね?」


「・・・おっしゃってる意味が・・・」


「要は、君が今から入り込もうとしている世界の実態は、こういった不条理に満ちているということだ。」


「不条理?」


「ここからは仕事の本題に移ろう。ますはこの動画を見てほしい。」


元院は、脂肪でパンパンになった窮屈なシャツのポケットからスマート・フォンを取り出し、

庄司に手渡した。




その映像は、おそらく高校野球の試合を、バックネット裏から撮影したものだった。

大きな大会ではないのか、観客が少ない。


投手が、数回首をふる。その表情がよく見える。

サインがようやく決まり、投手が右打者のインコース目掛けてストレートを投げた。

打者は、反応できずに体をのけぞらせた。


おそらく問題となったのであろう場面は、次の瞬間に起こった。


キャッチャーがボールをキャッチした刹那、

球審がストライクのポーズをとるが、声が出ない。

球審が慌てて何度かその仕草を繰り返す、やはり声が出ない。キャッチャーは思わず振り向く。

結局球審は一言も発せないまま、アウトのジェスチャーを出した。会場が少しざわつく。


動画が止まった。


元院はデスクから3枚の紙を取り出し、庄司に手渡した。


1枚目は埼玉県にある脳神経内科のカルテである。


内容はこうだ。


日付、令和7年、4月7日

患者、新山弘。29歳独身。

公務員。


症状、

ここ1週間ほど、突然名詞が出てこなくなることが多発し、会話に支障が出る。

回数は1日に数回の頻度で起こるため、健忘症の疑いありと自ら診察を受ける。

具体的にどんな名詞が出てこないのかというと、人の名前はすぐ出てくるが、果物の名前、花の名前が多い気がするとのこと。



医師は患者にいくつかテストをした。

まず、患者は、自分の名前、住所、生年月日、は問題なく答えられたものの、血液型が答えられなかった。

次に医師は、

身近にあるものでテストをしてみた。

患者は、パソコンは答えられたものの、シャーペン、ボールペンといったものは、理解はできているように見受けられるも、それを答えられないようだった。


次に医師は、何枚かの果物の画像を見せた。

患者は、りんご、みかん、スイカは答えられたものの、パイナップル、グレープフルーツ、バナナが答えられなかった。

特記すべきは、

医師が『新山さんこれはパイナップルですよ』と教えると、患者は、『そう、それです!』と答えるものの、

次の瞬間にはまた、パイナップルが答えられないようだったことである。


医師は軽度の脳梗塞と診断した。


2枚目は、埼玉県にある心療内科のカルテである。


2025年、4月3日

患者、遠山順子、

1983年生まれ、

2日前から突然混乱状態になることがあり、人に会うのが怖い。

原因はわからない。

どの瞬間に混乱状態になるか訪ねてみたところ、

どうやらカラオケで歌っている最中に最初の混乱が突然起きて、喋ることが困難になったという。

歌手名も、曲名も、答えられない。


医師はストレスによるパニック障害と診断。


3枚目は、また埼玉県の脳神経内科のカルテだった。

日付、

令和7年、7月10日

患者、里崎 大樹 16歳高校生。


症状、部活中、頭を打った時からか、

うまく喋れない時が多々ある。

医師が喋れない時はどういう時か尋ねると、

友達と喋ってる時が多い。特に、

「ゲーム」「アイドル」「SNS」などの単語が喋れない。(診察中も単語を口にできなかった。)


医師は、頭を打ったことによる言語野の障害の可能性と診断。




「これはほんの一部だ。似たような言語野の生涯を訴える人間が、都内、埼玉県を中心に12件は確認されている。

 どう思うね。」


庄司がカルテを読み終わると、元院は訪ねた。


「よくわかりませんが・・・英単語が出てこないということですか?」


庄司が答えると、元院は嬉しそうな表情を浮かべた。


「よくできた。それを踏まえてつぎはこれをみてほしい。」


そういって元院はデスクからもう一枚紙を庄司に手渡す。


それは全て英語で書かれてあった。どうやらアメリカの精神科のカルテのようだ。


患者、

アンソニー・ルークス。69歳。


患者は言語野に障害があるようで、診断は筆談によって行われた。

医師の見解では、患者には医師の言っていることを、聞けて理解する能力はあるものの、

それを言葉にすることができないようだ。


症状が起きたのは2週間前、日本に観光中に突然言葉が喋られなくなったとのことである。




元院はすでに汗まみれの額を手で拭った。


「仮にこれがウイルスによるものだとして、君はこのウイルスを知っているか?」


「いえ、検討もつきません。」


「私もだ。もしこれがウイルスだとしたら、埼玉県発祥のウイルスという事になるだろう。そうなると、日本はどうなる?」


「仮にウイルスがなんらかの形で他人に伝染するようなら、

 コロナウイルスなど比較にならない程の騒ぎになり、国の危機になり得る・・・と思います。しかし、自分は医学の権威ではありません。

 どうしてこの話を自分に?」


「それはな、これがウイルスではないことだけは確かだからだ。」


じゃあ今の時間はなんだったんだ、と庄司が思う隙もなく、

元院が、デスクから3枚のレントゲン写真を庄司に手渡した。それはカルテに記してあった三人の脳のCTスキャンである。


「患者たちの身体検査は、脳は愚かどこも健常者そのものだった。言語野に障害が出るほどだ。CTで何か出そうなものだろう。それが、出なかった。

 それと、カルテの1枚目をよく読んでみたまえ。」


「・・・ ・・・ 新山氏は、パソコンを喋れてますね。」


「そうだ。PCをパソコンなんて英語圏では呼ばないからな。律儀に日本語として認識されたのだろう。

 2枚目の遠山氏も、『カラオケ』を発音できている。」


「それでいうなら、なぜシャーペン、ボールペンは出てこなかったんでしょうか。」


「『ボール』と『ペン』が英語だからだと思うが、君はどう思う?

 ともかく厳格に線引きされた上で英語だけ取り除かれている。ウイルスにこんなマネできるかね。

 器用に英語だけ喋られなくするなんて、もしできるとしたらそれは、我々と同じ人間ぐらいだろう。」


「・・・人為的な、つまりテロ行為の可能性があると?」


「その可能性も含めて、調査してほしい。」


「テロ・・・どこかの地区大会でですか?」


元院は大きくため息をついて、再びパンをこねだした。


「君に不条理と言ったのは、そういうことだよ。」

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