episode4~衝動~
episode4~衝動~
そろそろ本格的に防寒具が必要となってきた。
コートもマフラーも手袋も。
でも走っていくうちに体がポカポカと暖かくなっていくので、いつものジャージと軍手だけつけて家を出た。
カラカラに枯れた落ち葉を蹴飛ばして鉄橋下へ向かって河川敷を走る。
日が落ちかけていて、今まさにきれいな空になっている。
足が早くなる。
太陽が落ちる前にあの人と一緒にこの空を見たくなってきたのだ。
「珠恵子さん!!」
ファーのついたコートにニット帽をかぶっている可愛らしいその人が鉄橋下で座っていた。
「早くない?寒いのに。」
「珠恵子さんこそ…15分は早いですよ。」
「…まぁ、たまたま、ね。」
鼻が赤くなっている。
まだ冬になりきっていないとはいえ、水辺の近くで待ち合わせをするのは寒い。
次からは違う場所で会おうかな…
そこで初めて気付いた。
…俺、珠恵子さんとは、この鉄橋下以外で会ったことない…。
そもそも珠恵子さんのことをよく知らない。
彼女と言葉を交わし始めて1ヶ月。
それが短いか長いかはよくわからない。
しかしその1ヶ月が密のあるものではなかったことはわかる。
ただ一度、まだ出会って間もない頃、珠恵子さんが何故かひどく酔って泣いていた夜があった。
何かあったのだろうが、ビビりの俺は何も聞き出せず、ただ抱き締めただけだった。
次の日からは何事もなかったかのように過ごしたので、ただ毎日が過ぎていった。
「珠恵子さんって、どこらへんに住んでるんですか!?」
「へ?何よ、いきなり…」
俺の突然の質問に当たり前のように不信感を出した珠恵子さん。
だけど特にそれに対しての答えももらえず「まっ、座りなよ」と隣に促された。
ただ俺はもっと珠恵子さんのことが知りたくなっただけである。
「キョウは、そんな格好で寒くないの?」
「はい!走ってきたんで!!」
急いだせいで汗をかき、それが引いてきて今は汗ばんで火照った体が逆に少し冷たくなっているのは内緒だ。
彼女に心配かけるわけにはいかない。
珠恵子さんが急に顔を近付けてきた。
「でもキョウの唇、乾燥して荒れてるよ?大丈夫?」
「…ッッ!!!」
自分の手の甲で唇を拭い、思わず後退った。
この人は
「え?何?ごめん?そんなビックリした?」
更に無自覚だ。
「…いえ、すみません。なんでもないです。」
心の中で自分に喝を入れ、もう一度座り直して珠恵子さんを見た。
…珠恵子さんの唇、俺と違って荒れてないよな。
なんか塗ってんのかな。
その口は自分の手を暖めるように息を吐いた。
「いや、マジ寒いって!そろそろ手袋も欲しいかも。」
「あ…します?俺の軍手。」
「ふはっ!!ははは。軍手って!!!いらないよ!!!」
何故か笑われた。
あ…ていうか今、俺が珠恵子さんの手を暖めるのって…アリ?
そんなセクハラな考えを自分でしといて、勝手に緊張してきた。
やめておこう。
でも珠恵子さんがまたあの時見たいに酔っ払って甘えてくれないだろうかと不謹慎なことを時たま思う。
「そういや珠恵子さん!!」
「ん?」
「今日はお酒飲まないんですね?」
「…失礼な。いつも呑んでる酔っ払いみたいな言い方して。」
「…すみません。」
「…来る前に一杯飲んだけど。」
「…飲んでるんじゃないすか。」
ニヤッと笑う珠恵子さんに俺も笑うしかなかった。
この人はお酒強そうだから、毎回泥酔はしないか。
「あ!!あと俺、試合の日程決まりました!!」
「ふーん。いつ?」
「来月の11日。土曜日です。」
「へー…夜?」
「はい!!!あの…来てくれますか?」
「…気が向いたらね。」
「…」
それは珠恵子さんのお得意の言葉だった。
そして彼女は本当に気紛れだから厄介だ。
はじめの頃は、そう言って毎日の誘いも1週間に1度しか顔を出さなかった。
最近になってようやく…
そこで俺は(…あれ?)と気付いた。
「日が落ちるのも早くなったね…じゃ、そろそろ帰るわ!!」
「珠恵子さん!!」
「…ん?」
「明日は?会えますか?」
「キョウは何時に走るの?」
「朝と夕方走ればいいんで、珠恵子さんに合わせます!!」
「うーん…じゃあ10時は?」
珠恵子さんの返答にやっぱり…と俺は確信を持った。
「…あれですね。」
「んん?」
「最近すっかり毎日会うようになりましたね?」
「…」
もしかして…
「珠恵子さんも俺に会いたくなってきましたか?」
そういって悪戯に笑った。
はじめの頃は俺ばっか焦ってたみたいだけど、今や珠恵子さんも特に嫌がる様子もなくこの1、2週間は毎日会っている。
嬉しさあまりに思わず珠恵子さんのように悪戯めいた冗談を言ってみた。
怒るかな…と思ったけど、珠恵子さんは三角座りの自分の膝に自分の顔を埋めていた。
「……いーじゃん。別に。」
曇った小さな声だったけどはっきりと聞こえた。
顔を隠しているが帽子と髪の隙間から見える彼女の耳と頬が赤い。
待て。
まてまてまて。
これは可愛すぎだろ?
年上であることも忘れ、頭を撫でてやりたかった。
もっと珠恵子さんの近くに寄りたいと思った。
そんな衝動に駆られる。
でも自分で仕掛けた冗談に自分も真っ赤になり、まさかの共倒れをしてしまった俺は何も出来ずにただ見ていただけだった。
でも
珠恵子さんは
きっと試合に
来てくれる。
そんな気がした。
◇◇◇◇
【無事に家に着きましたか?
風邪ひかないように
体暖めてください。
あと試合のチケットは
明日持ってきます。】
一通りの筋トレを済ませたあと、遅すぎる帰宅確認の文章を打ち、送って、自分のベッドに体を投げた。
…多分、返事ないけど。
静かな自分の部屋にいると自然と今日のことを振り返る。
笑う顔。
荒れてない桃色の唇。
小さな手。
帽子の下の大きな目。
赤い…耳。
こうして思い返すとあまり知らないと思っていた珠恵子さんの様々を知っていることに気付いた。
お酒を飲む横顔
あたりめを食べる背中
眉をひそめたり
拗ねたり
笑ったり…
酔っ払ったダラしない笑顔も知ってるし、その時に誘われた妖艶な瞳も知ってる。
無理した千鳥足や
小さく堪える嗚咽
流した涙
実は甘えただし
体は柔らかく
腰は華奢だけど
胸は…
―…ドクン
…まずい
急いで体を起こした。
これ以上、想いにふけていたら危険だ…。
ベッドから降りて腹筋を始める。
ドクドクドクドク…
止まらない鼓動に聞こえないふりをした。
『おれ…珠恵子さんのこと、好きとかそんなんじゃないんで…』
鼓動が静まってきた。
腹筋をやめ、息をついた。
そうだ…
俺、珠恵子さんに一度そんなことを言っていたのだ。
そういって珠恵子さんの誘いを断ってるんだから…
そもそも俺らはそんなこと出来る関係ではない。
…
…俺らの関係って一体何?
友達?
しっくりこない。
知り合い?
…まぁそこらへんが妥当だな。
なんでだろう。
さっきまで高鳴る気持ちと反対で憂鬱になってきた。
◇◇◇◇
「ねぇキョウは強い方なの?」
「え…?」
「ボクシングで。」
「あぁ…どうでしょう。」
「試合勝てそう?」
「まぁ、やってみないとわからないですよ。」
「そりゃそうか。」
俺達のあやふやな関係に気付いて、また数日が経った。
再びただ毎日を過ごす。
彼女を知ったところで何になるのだという憂鬱と一度彼女を拒否した事実がそれに拍車をかける。
かといってこのままダラダラ会って意味はあるのだろうか。
俺は、つまり……どうにかしたいわけで…
「キョウは中学ん時いじめられっ子だったんでしょ?」
「珠恵子さん…ストレートに聞きますね…」
「やっぱいじめっ子を返り討ちしたの?」
「…えぇ、まぁ。」
「じゃぁ素人には勝てるんだ!」
「……ははっ!素人と比べないで下さい、一応。」
「試合にも勝てよ!!」
「…はい!!」
この人は自分の『気が向いたら』発言を忘れているみたいだ。
ニヤニヤしている俺を見た珠恵子さんに「気持ち悪ッッ」と言われた。
「寒ッッ!!太陽がなくなるとホント寒いね!!」
また手袋を忘れたみたいで両手をこすり、息を吐いている。
それを見て、憂鬱な気分も忘れて、いいことを思い付いた。
「珠恵子さん!!時間まだ大丈夫ですか?」
「…まぁ?」
「街まで行きません?ちょっとだけ駅方面に近づいて!!」
「え?えぇ?」
「暖かいコーヒーでも買いましょう!!」
珠恵子さんと鉄橋下ではない、違うどこかに行ってみたい。
そんな衝動が俺を動かした。
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