デビュー

1-1

「いよいよ近付いてきたな」

 そう言うとスランは、ジムの背中を叩いた。

「はい」

 ジムはゆっくりと、そう答えた。あまり元気がない。

「あんまり思いつめんな。誰も期待してねえんだ、負けたっていいじゃないか」

「それはいいんでしょうか……」

 ジムは椅子に座ったまま、首を動かさずに喋った。眼球の動きも遅い。初めての試合を控え、減量で苦しんでいるのである。

「いいんだよ。デビューできるだけで上出来だ。ファイトマネーも入るんだぞ。とりあえず水道止められる心配はねえ」

「ははは……」

 バザルアジムには、いまだ専業のプロ格闘家というものは誕生していなかった。デビューできた者の中でも、大活躍という選手はいない。

 ジムはそんな中でスターへの切符を手に入れたわけだが、それでもまだほんの一歩目だった。小さな団体の、注目されていない試合。相手は3勝1敗で、「当て馬として」対戦相手に選ばれたようなものだった。ジムは子どもの頃はサッカーをしており、格闘技経験はない。アマとしてそこそこの戦績は残しているものの、決して「将来が期待される」ような立場ではなかった。

「よし、いいぞ!」

 ジムとは違い、元気いっぱいの選手の声が響く。リングでスパーリングが行われているのだ。大きな声を出しているベテラン選手が指導しているのは、クレメンスだった。

 クレメンスは、予想以上に技術を持ち合わせていた。また、教えられたことはすぐに実践ができた。見た目の巨大さに反してパワーで圧倒することはなかったが、すでに「素人」とは呼べない域にいた。

「何者なんですか、彼は」

 クレメンスがジムに入って10日以上が経つが、いまだに自らの素性は全く語っていない。とにかく寡黙で、具体的な会話はまだ誰もできていなかった。

 とりあえず、家がなく仕事をしていないことはわかった。ずっとバザルアジムにいるからである。

「今俺から言うべきかどうか。とにかく、格闘技で何とかしてやりたいんだよ」

 ジムはじっと、リングの上を見つめた。褒められてはいるものの、クレメンスはタックルを切るのに苦戦していた。今のままでは、実戦では寝技に持ち込まれてすぐに極められてしまうだろう。

 ジムは、自分がクレメンスと対戦することを想像した。体格は一回り上で、打撃は圧倒的に相手の方が重たい。まだ技術が拙いとはいえ、一撃貰ってしまえばもう駄目だろう。やはり、寝技に持ち込むのがいいだろう。

 ジムのデビュー戦の相手も、打撃が得意なストライカータイプだった。元々キックボクシングをしており、総合格闘技に転向してからは3勝1敗。大手のジムに所属する、期待の若手である。どう考えても、相手の方が強かった。

 当て馬だ。これから階段を上がっていくスターが積み上げる、勝利の一つ。そういう期待で、試合を組まれている。

 弱小ジムは、黙って要望を飲むしかない。

 それでも、結果までは決まっていない。何とかして勝利して、栄光への階段を奪い取る。

 ジムは意気込んでいた。が、減量の苦しさは彼を逃がしはしない。

「ヘビー級はいいなあ」

 力なく、ジムは言った。

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