ハイキックの導く日

清水らくは

 その時ジムは、ランニングマシンで走っていた。彼にとってそれは、トレーニングというよりは思索の時間だった。同じ速度、同じ風景が彼の心をまっすぐにさせる。

 長身に長髪、Tシャツの下には、張り詰めた筋肉。そんな彼が目立たないのは、ここが格闘家の集まる場所、バザルアジムだからである。そしてその男の名前はJim、「ジムのジムさん」と呼ばれていた。

 まだ他の門下生は来ていない。皆、仕事や学校がある。ジムもバイトはしていたが、今日は休みだったのである。

 ロボット掃除機が巡回している他には、誰もいない。スラン会長も出かけている。一時間ほど前に「新人を迎えに行く」と出かけていったのだが、まだ帰ってきていない。

「ん?」

 不思議な感覚があり、ジムは入り口を見た。半透明の硝子の外に人影が見える。一つはスラン会長だろう。そしてその隣に、頭二つ大きな影があった。肩幅も広い。

「いやあ、大変だった」

 そう言いながら入ってきた会長は、ジムの中を見回した。

「おかえりなさい」

「他のやつはまだ来ていないのか。紹介しようと思ったんだがな」

「新人って、彼ですか」

 ジムの視線の先には、大男がいた。2メートル近い身長に太い腕、太い足。髪は長めで、耳が隠れている。いかにも強そうだ、とジムは思った。

「そうだ。クレメンスって言う。わけあって数日、ここで預かることになった」

「ここで?」

 ジムにはキッチンやシャワーは備えられていたが、居住する用の空間はない。やむを得なく泊まることはあっても、わざわざ住もうというところではなかった。

「ああ、家が見つかるまでな。なあに大丈夫、な、クレメンス」

「はい」

 低くて、小さな声だった。寡黙だということはすぐに分かった。ただ、ジムはクレメンスがどういう人間なのか、「まだ全くわからないな」と感じた。

「こいつはちょっと訳ありでな。部屋を借りられるかもわからん。ただまあ、才能はある。夢見させてくれる奴だよ」

 クレメンスは確かに、弱小ジムだと珍しいほどにでかくて屈強だった。ただ、世界中には何人でもそんな奴はいる。特にスラン会長はこれまで、見掛け倒しでやられてきた格闘家を何人も見てきたはずである。そんな彼が言うのだから、何かしら見るべき点があるのだろう。

 ジムはしげしげとクレメンスを見た。力は強そうだし、動きが特別遅いようにも見えない。ただ、格闘技をしてきた体つきとは少し違うな、と感じた。街の喧嘩自慢とかだろうか?

「ああ、まだ名乗っていなかった。俺はジム、よろしく」

 探りを入れる意味でも、ジムは必定以上ににこやかに自己紹介した。

「……よろしく」

 やはり、クレメンスの声は小さかった。

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