拝田(はいだ)
「もしもし、大和にい、どうかし──えっ! マジで! うん、わかった、明日の日曜、十時だな」
土曜の昼下がり、水畑家で一人昼食の後片付けをしていた葵葉は、濡れた手でとった電話の内容にテンションが上がった。
やった、やっと面接まできた……。
スマホをテーブルに置くと、流行りの曲を口ずさみ、泡だらけのスポンジを皿の上で滑らせた。
採用されると決まってもないのに、まるで合格通知を貰ったように心臓が小躍りしている。
食器を棚に片付けると急いで階段を駆け上がり、自室の扉を開けた。
面接って何着てけばいいんだっけ……。
クローゼットを開けて思い悩んでいると、さっきの電話で大和が言った言葉がよぎる。
「そうだ、履歴書買いに行かないとっ」
大きな独り言を呟き、部屋着を勢いよく脱ぎ捨てると、Tシャツとジーパン姿に着替えた。財布とスマホを掴み、部屋を飛び出すと玄関に鍵をかけ、駅前へとズンズン歩く。その足取りは競歩選手のように徐々に速度を増し、目的地のコンビニを目指した。
水畑家から一番近いコンビニは履歴書が売り切れており、肩を落としつつ最寄り駅の反対にある、普段は利用しない、北口ロータリーにあるコンビニまで足を運んだ。
「あった、よかった」
残り少ない履歴書を棚から一冊取り、意外にも需要があるんだなあとレジに並んだ。
つい、デザートコーナーに惹かれたが、ここはグッと堪え、お目当てのものが入った袋を手に店の外に出た。
通学に利用する駅とはいえ、滅多に来ない北側は物珍しい。
見慣れない景色を一望していると、見覚えのある背中を見つけ、葵葉の足はまっしぐらに彼の背中まで駆け寄っていた。
「冬亜!」
まあまあな声量で声をかけてしまったせいか、名前を呼ばれて振り返った冬亜が一驚している。横には同じように驚いている、見知らぬ顔が二つ並んでいた。
「何して──っと、ごめん、話し中だった?」
ロータリーにあるバス停にいた冬亜の側には、同じ歳くらいの男が二人いた。
「
意外そうな顔でこちらを見てくる冬亜と、その後ろで明らかにタイプの違う二人が葵葉を凝視してくる。
一人はピアスジャラジャラの、いかにもチャラそうな風体の男と、もう一人は見かけたことのある、真面目で大人しそうな男だ。
「誰、こいつ」
いかにもな男が馴れ馴れしく冬亜の肩に腕を乗せ、一歩分ほど葵葉に顔を寄せてくる。
少し長めの金髪は人工的に作られたウェーブが乾燥し、耳には稲光を形どったスタッズピアスをメインに、つけすぎでは? と思う数の丸いスタッズがズラリと連なっていた。
「ただのクラスメイト」
眉間にシワを刻み、あからさまに鬱陶しそうな顔で冬亜がピアスの男に説明している。そんな二人の会話をよそに、葵葉は私服を纏った冬亜をマジマジと眺めていた。
ネイビーのとろんとした素材のシャツを羽織り、細身の白いパンツが大人びた雰囲気を醸し出している。思わず、カッコいいと呟きそうな口を手で押さえた。言えばきっと冬亜の
私服の冬亜は大人びて見え、話し方も違う気がした。どこが──と言われても分からないけれど、閉鎖していた心を開放的し、それを解き放っているように見える。
「へー、だったら俺の後輩か、お前も」
ピアスの男が含みのある顔で言うと、冬亜の側から離れ、葵葉の正面に立ちはだかってきた。
「やめとけ、こいつは話しの合わない真面目人間だ」
さっさと帰れ、そんな副音声も一緒に聞こえた気がし、双眸を見開いている冬亜を見つめた。
庇うわけでも、守ってくれるわけでもない。学校以外で偶然あったことに、心底迷惑そうに冬亜が投げてきた排除の言葉だ。
俺は真面目じゃない、と、葵葉が言いかけた時、「じゃこいつの仲間じゃん」とピアスの男がもう一人の男の背中をグイッと押し出す。
たたらを踏みながら踊りでてきたのは、真面目が服を着たようなおとなしそうな男だった。糸のような目に、太い眉毛。真っ直ぐな黒髪はさらさらで、天使の輪? とやらが輝いている。
「ちょ、ちょっとやめて下さい……」
天使の輪の彼が体をくねらせ、ピアス男の腕から逃れようとしている。見ようによっては仲良くふざけ合っているのかも知れないが、明らかに大人しそうな男の方は嫌がって見えた。
「あ、えっと。後輩ってことは同じ高校だったんですか?」
早くこの場から帰れっ! そう言わんばかりの冬亜を無視し、葵葉はピアスの男に尋ねた。
学校での冬亜しか知らない葵葉にとって、プライベートの彼を知る機会は貴重だ。もっと仲良くなるには、冬亜と言う人間の取説ページを増やさねば。
「そうそう、お前らの二個上な。
拝田は、意外にも気さくな自己紹介をしてくれた。
「
「こいつは隣のクラスの
ぶっきらぼうに木船の名前を伝えると、もういいだろうと言わんばかりに、冬亜が威圧的な目を向けて来る。
「おいおい冷たい言い方だな、冬亜君よ。せっかくお友達が声を掛けてきたのに。ほんと、ツレナイやつだよ。なあ、
名前呼びに重きを置く葵葉は、自分が冬亜のことを『冬亜』と呼び捨てにしても、彼の反応は何も変わらず、やっぱり『葵葉』とは返してくれない。
同級生からはたまに名前で呼ばれたりするが、なぜかそこに特別さを感じられない。
どうしても名前に込められる温かさを欲してしまうのは、大切な家族が呼んでくれた名前で、今はもう、水畑家族しか呼ばないからだ。
些細なことから叱られるときまで。そして日常の挨拶の側にはいつも『葵葉』と呼ぶ声があった。大切な家族を突然奪われるまでは、当たり前のように……。
親しく名前を呼んでくれる仲間はいても、どこか上っ面だけのように思え、葵葉もなんとなく中途半端な空気に乗っかていた。
心の片隅ではいつも『特別』を欲しがっているのに、今だけ問題なく過ごせていればオッケイ、なんてやり過ごしてきた。
たかが名前、されど名前なのだ……。
高二になって冬亜の存在を知り、浅い付き合いも親密も不要だと醸し出す姿に憧れた。
だからだろうか、彼の特別になりたいと思うようになったのは。
冬亜の笑顔を見たい。冬亜から名前で呼ばれてみたい。
孤高な冬亜に憧憬を抱いているから、久下達に標的にされる──なんて本人に言ってみたけれど、それは自分のことなんだ。
同じ十七年しか生きてない者同士なのに、大人っぽい表情をする冬亜に葵葉は憧れている。だからなんだかんだ理由をつけて、冬亜に接触したくなるのだ。
チラリと冬亜を盗み見ると、煙たそうにこちらを見る視線と絡まった。
これ以上この場にいては、冬亜との距離がまた離れてしまう。せっかく少しは近付けたのに、避けられたら水の泡だ。
ここが引き際だと悟り、「じゃ、また学校で」と葵葉は踵を返した。
三人に背中を向けた瞬間、拝田が何か呟くのが聞こえだけれど振り返ることをしなかった。
学校以外で冬亜と会える彼らが羨ましい気持ちを悟られたくない。また来週、学校で冬亜と話しをすればいい。
買ったばかりの履歴書が入った袋を握り締め、葵葉は振り返らずにその場を去った。
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