第43話 理事会の意地かい
2023年 1月13日
相馬と牛尾が情報センターにやってきてネットワーク改修工事プロジェクトのキックオフを告げてから、1年が過ぎた。
今は二人ともプロジェクトを離れ、代わりにリーダーに就任した朝熊から、バク、ラマ、白鹿事務室長の三人にメールが届いた。
「 ITTとの作業についていくつか確認したいことがあるのですが、下記で30分程度可能でしょうか。 朝熊」
ラマは議題が明記されていないことに不穏な気配を感じたが、すでに情報センターとしての意思決定はすべて、バクに委ねている。15ヶ月後に退職する身としては、何があってもバクを全面的に援護するだけのことだ。
新年の初顔合わせではあるが、情報センターのラウンドテーブルに新春を寿ぐ明るさはない。
朝熊の要件はただ一つで「ITTにファイアウォールのコンフィグ(設定内容)ファイルを渡せ」ということだった。バクの回答も簡潔で「ファイアウォールの設定はセキュリティの要、ネットワーク改修を委託しただけの業者に渡せるものではない。必要な設定変更があれば、ITTから聞き取り、情報センターが実施する」というものだった。
確かにファイアウォールは、外部(インターネット)から学内を護る防護壁、例えるなら校門に置かれた守衛所のような役割で、外部に対するセキュリティの要といえる。設定内容に記された守備範囲も(以前、開示を要求された)ネットワーク機器とは比較にならないほど広範で、それを開示するのは守衛所に置かれた全ての施設に入室可能な鍵の場所や巡回経路や時間など全てを渡すようなものなので、漏洩した場合のリスクもまたネットワーク機器の比ではない。
実直なバクの簡潔な説明は、多角的な説明を試みながら、結果として冗長で焦点がぼやけてしまうラマと異なり、枝葉末節に取り付く島もない。
打合せは30分ほどで、終了したが、その2時間後に、ふたたび朝熊からコンフィグの公開をできない理由の説明を求めるメールが届き、打ち合わせですでに説明したのと同じ内容を数回やりとりした挙げ句、「本来であれば、ITTが通信したい正確な内容を提示し、こちらで通信できるよう設定するもの、と思っております。」という、これまた打合せと同じ内容を繰り返し、メールのラリーは終了した。
もしかしたら、「ITTへの委託はネットワークの改修工事にとどまらずファイアウォールを含むことは理事会決定である」という朝熊砲が再び発射され、後に「勘違いでした」という忖度砲が繰り返されるようなことがあるのだろうか。考えるだけでも昨年の憂鬱が蘇り、気持ちが重くなるラマであったが、事態は彼の想像を超えていた。
2023年 1月20日
白鹿事務室長から情報センターにメールが届いた。ITTへのファイアウォールのコンフィグの提出が理事会で決定されたという。
「 昨日、遠藤課長より、一昨日行われました理事会の承認事項について説明がありました。」
(1)大学の責任において全て、ITTにファイアウォールのコンフィグファイルの内容を指定期日までに公開すること
(2)ITTが作成したコンフィグファイルを指定期日までにそのまま取り込む。取り込み作業は情報センターが行うこと
(3)コアスイッチに関わる設定等、無線通信のためのITTからの既存機器の設定要望には指定期日までに応じることとし、変更する。万が一、それにより大学ネットワーク全体に障害が出た場合は、大学の一組織として情報センターも協力し、復旧に努める。
その他、今後はすべてのネットワーク管理を業者による委託管理とする方向で検討を進める。
「私の方からお二人に説明をしたいと思いますので、本日午後、お時間を頂戴できますでしょうか。」
白鹿事務室長はラウンドテーブルを挟んで向かい合うバクとラマを前に、情報センターが担ってきたネットワーク管理を奪われることに同情的であったが、業務の移管は朝熊事務局長との間ですでに話し合われ了承済みのことが正式化されたに過ぎない。
そんなことよりも、理事会で「ファイアウォールの設定情報の公開」を議題に上げ、決議することの組織としての異常さに、底冷えのするような気持ちの悪さをラマは感じている。「今後はすべてのネットワーク管理を業者による委託管理とする方向で検討を進める。」について、「『検討を進める』なんて言わずに決定してくれりゃ、どんな情報だって出すのにね」とラマが形式論を持ち出すと、「現時点で管理責任が情報センターにあるのなら、やはり出せないと言わざるを得ないです」とバクが応える。
「でもまあ、そこは理事会決定で『出せ』っていうんだから、出せばいいじゃん」
バクは、退職を控えたラマが急に投げやりになっているように感じられたようで、不満を漏らした。
「それじゃ、管理に責任が持てなくなります」
「本件に起因するトラブルに関しては、俺達が責任をとらなくてもOKってことでしょ」
実際には、ファイアウォールに関連するトラブルが起こった場合、「本件に起因する」か否かを切り分けるのが難しいことは、二人とも理解している。完璧主義のバクがその曖昧な線引きを受け入れ難いことも、ラマは理解している。
「それでは、もしこれに起因する障害や漏洩が本当に発生したら」というバクの言葉をラマが遮り、「『自分は技術的なことはわからなかった』が理事会で発動されるんだろうね」と矛先を逸らして笑うと、バクも思わず笑い出してしまう。
魚は頭から腐るという。阿諛追従の臓器がそれを加速するのだろう。歴史や伝統は、歯止めにならない。
2023年 2月10日
遠藤がネットワーク改修工事プロジェクトをクビになったという話を聞いて、ラマは驚いた。難しいポジションで考えうる最善の仕事をしている遠藤を外すのは、とても意外だ。
しかし、もっとラマを驚かし、呆れさせたのは、それを遠藤に通告したのが改革準備室だったということだ。
プロジェクトどころか、厳密には大学の部署ですらない改革準備室にそれを通告された遠藤の心中は屈辱だろうか、それとも開放感だろうか。
2023年 2月21日
改革準備室の烏山が事務室へ現れ、白鹿事務室長を昼食に誘いに来たという。
「ジュースをおごってもらっちゃいました」
ストレスがメンタルよりも身体に影響する白鹿は、ただでさえ食前のインシュリン注射が必要な状態だ。睡眠障害など鬱の兆候もある。誰に対しても人当たりが良いので、改革準備室は、彼の方が遠藤よりも御しやすいと考えたのだろうか。メンタルが身体を虐待するような生活にも、いつか限界が来るだろう。自身の健康を優先して飄々と受け流して欲しいと、ラマは祈るような気持ちにはなるが、白鹿への同情心から理不尽な要求に自発的に従うような気持ちには、なれない。
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