第42話 黒い巨塔

2022年 8月 2日

 業者によるサーバーの入れ替えに立ち会うため、ラマは久しぶりに五島宮キャンパスを訪れた。

 ネットワーク関連とサーバー関連では、委託業者が異なる。ラックにサーバーを設置する業者を相手に、この半年間のグチをラマが並べると業者は慰めるように、

「それでようやく、普通の大学並みに腐敗したってことじゃないですか」と、作業の手を止め、ラマに笑顔を見せた。


 仕事を終えてサーバールームの置かれた棟を出ると、地面のコンクリートを剥がす工事の最中だった。以前は授業期間中は騒音を伴うどんな工事もご法度だった。さきほどのサーバーを設置する業者の言葉を思い出しながら、表出した土を眺めているラマに、事務の女子職員が声をかけた。

「なにしてるの?」から始まった、たわいもない会話が途切れると、

「ラマさん、いろいろ大変みたいだけれど、大学を嫌いにならないでね」

 彼女は黒い瞳を意味ありげに輝かせて、笑う。

 大学には曽根スポという陰の情報網があり、兎曽根という金棒引きが東スポよろしく各部署のスキャンダルを収集しては、誇張して拡散している。コロナ禍で食堂の噂話が失われても、曽根スポ情報網は健在らしい。

「大丈夫、大学を嫌いになっても、キミを嫌いにはならないから」

 ラマは作り笑いを返す。


 五島宮キャンパスから駅に向かう途中に、獅子堂城雄のアトリエがある。獅子堂城雄は、ちょうど20年前にサーバーをWindows からLinux に切り替えた際、「時代はな、変わるんだよ」と許してくれた、かつての学長だ。

 ラマはその異様な圧力を放つ建物の前に立ち止まり、手を合わせた。


 かつて、五島宮キャンパスで助手のような仕事をしていたラマの前に獅子堂城雄が現れたのは、1997年の秋だった。

 この日、早口なくぐもった声で「お前はクビだからな」と、ラマは獅子堂城雄に告げられた。

「えー、オレなんか悪いこと、しましたっけ?」

「お前は来年から、萩多寺に行くんだ」

 人事異動の事前通告らしいのだが、嫌ならクビということらしい。

 なぜ、学科長でも人事部長でもない、当時は一教授であった獅子堂城雄に、そんな権限があるのか。由来は不明だが、その力を疑う余地はない。一例として以下のような出来事があった。


 デザイン学科が学内で初めてインターネットを敷設した際、ネットワーク機器や各種サーバーの構築を「これでやれ」と、獅子堂城雄はサインだけが入った稟議書を4枚置いていった。

 半信半疑でサーバー費用など150万円ほどの見積りを稟議書に添付すると、すぐに決済がおりてしまう。そのとき、獅子堂城雄が学科全体の実質的支配者であり、絶大な権限があることを、ラマは初めて知った。同時に、獅子堂城雄の稟議書により、インターネット設置の動きが学科を超えて全学的設備となることで、「デザイン学科の独善的暴走」という他学科からの非難を逃れていたことを、ラマは後から知った。


 獅子堂城雄は鶴亀美術大学卒業後、助手の職に就いた。折しも大学闘争の時代、石油を撒いて学内に立てこもる学生と機動隊の間に立ち紛争を終わらせたという。以来、大学で教鞭をとりながら、独自のアート作品でビジネスを展開し大学近くにアトリエを建設した。身勝手な振る舞いを疎む教授も少なくないが、彼の大学への愛情を疑う人は居ない。彼のホームページには彼が独自に調べた戦前からの大学の歴史が公開されている。

 ラマにとって獅子堂は建学の理念である「自由と意思」というDNAを受け継ぐ唯一の人物だった。 

 獅子堂城雄は表に出るよりもキングメーカーであることを好んだ。PCによるデザイン教育という五島宮キャンパスでの成功を発展させ、東大をリタイヤしたコンピュータ言語の大御所を担ぎ、情報系の学科を萩多寺市に設立する計画が進行していた。


 当時、ラマが居を構えていた北千住は銭湯のまち。彼はそこで「服を脱いだら、みな裸」だということを学んだ。

 通勤するには五島宮区が限界で、郊外の萩多寺市に通勤するには、妻と2匹の猫を連れての引越しを迫られる。妻の仕事もあり容易ではなかったが、新学科設立に邁進する獅子堂城雄が人の都合を聞き入れるはずもない。半年後、獅子堂城雄を私淑するラマは20代と30代の大半を過ごした北千住を離れた。


「サイン入りの稟議書、1枚だけ余ったんで、何かあったときは保身のために使わせてもらいますね」というラマに、ニヤニヤと笑うだけだった獅子堂城雄は、その後、教務主任になり学長になり、引退後は理事長としての復帰を多くの人に望まれながら、2021年に帰らぬ旅に出た。最後の稟議書は使われないまま、今もラマの手元にある。


 手を合わせながら、獅子堂城雄とその向こう側に霞む「自由と意思」の理念に向けて、ラマは謝罪して告げた。

「もう、いいでしょう。ここまでにさせてください」

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