第37話 反訳ダイジェスト その2
●混沌へのいざない
「前回、録音してると知ってたら、あんなこと言わなかったよ」。朝熊が苦笑いを浮かべる。
ラマは内心で「そう思ったから、隠し録りにしたんだよ」と思いながらも、表情を変えずに応じた。
「理事会としては『方向性として』3棟のネットワークを入れ替える、『認識として』ITTだねっていうのがあったってことなんですよ」
「ちょっと何言ってるのか、わからないんだけど」とラマは首をかしげる。
朝熊は言葉を選びながら、ITTとの契約が、理事会決定や承認ではなかったことに気づいたと説明した。しかし、その説明は曖昧で迷走するばかりだった。
「だから、そんな話、バクに伝言できないよ」とラマが苛立ちを隠せない様子で言った。
朝熊は困惑の表情を浮かべながら、「そうだね、だからホントは皆で話すのがいいんだよね」と弱々しく返した。
ラマは厳しい口調で続けた。「6月8日のリセット会議みたいに、皆で決めたって、あとで『そんなこと言ってない』って言い出す人が出てきちゃうわけでしょ?『そのときはそう思って話してたけど、やっぱり違ってました』じゃ話にならないから、要件はメールにしてほしいんですよね」
朝熊は躊躇いながらも、ある人物の発言が独り歩きして「理事長のご意向」のようになってしまったことを明かした。
「『ITTで、と言ってきたのは理事長ではない』と改革準備室が言ってきたんです。じゃあ、それは誰かっていうと、それはある人間で、そこはちょっと言えないんだけど……その話が独り歩きして、理事長のご意向みたいなことに、なんとなくなってしまったということで」
「ほう、『総理のご意向』みたい、忖度ってやつですね」とラマが皮肉っぽく笑う。言えないと言っているが、暗に誰のことを指しているかは見え見えだ。
●「いつから」へのこだわり
「わかりましたよ。どっちにしろ、あのときは理事会決定だと思っていた。けれど考えてみたら決定としてはっきり出ているわけではなかった、と。そう言いたいわけね」
朝熊は頷く「そういうことです」
「その状況で相馬教授の『いつから彼らはそう思っちゃったんでしょうね』みたいなメールが裏で回っているのを俺達が知れば、バクみたいに『相馬、トボケてるんじゃねえよ』って思うわけですよ。で、それを横で見ている俺にしてみれば、なんで朝熊さんはこんなことを今頃いけしゃあしゃあと訊いてくるんだと思いますよね」
朝熊はぬけぬけと答える。「うん、確認したかっただけ。いつからだろうなって。自分でもいつからだっけ?って、思ったんですよ」
さすがにラマはカチンときた。何を言ってるんだ、こいつは。
「だって、そのときは自分だって『ITTありき』だと思ってたんでしょ」
「うん、自分としては補助金申請のころあたりかなと思ったんだけど、そうじゃなくもっと前からだってバクさんは…..」
少なくとも、リセット会議よりもだいぶ前の、6月1日付のITTの提案書には、もう「内示をいただいております」と書かれている。内示までの経緯など情報センターは知る由もないが、事務局長の朝熊が知らないはずはない。なのに、なぜ「いつから思い込んだか」にこだわるのだろうか。ラマはもう少し、この話題に付き合うことにした。
「印象の話をしてるんですか?」
「いや、誰かに言われたって話だったから」
「それは『理事長がITTに決めたって言ってるんだから、お前らはそれに従え』って明確に言われたんじゃなくて、24日に朝熊さんが言われたのと同じく、『理事会決定ですと誰かが言ったわけじゃないのに理事会決定だと思いこんでいた』と同じことじゃないですか」
加算問題における「総理のご意向」も、「加算学園とは言ってない、伝言ゲームで話が膨らんだだけ」として、収拾されている。朝熊がそういう方向に話を持っていこうとしているのがはっきりわかった。高学歴の高級官僚も私大の事務員も保身に際して考える戦略は同じなのだな、とラマは思う。
「それが、事実のように積もって、いつしか事実のようになっていったと、そういうことですよね」と朝熊が言う。
「いや、明確にはなくても、その傍証はいっぱいありますよ、3月に改革準備室が理事会に提出した報告書には『ITTの協力のもと』『ITTには、見積及び、構成図などの作成を依頼している』『ITTは非常に協力的な立場をとっていただいている』などの文言が並んでいましたから。これだけでも、これは出来レースなのね、って思うのが普通ですよ。他にも『ITTありき』のプロジェクトだったと思えることは、山のようにありますよ」
ラマの言葉に、朝熊はおかしな質問で返してきた。
「山のようにある.......少なくとも10はくだらない?」
なぜそこで数字にこだわるのか、彼も『ITTありき』だと思い込んでいたのだから、自分の胸に聞いてみればいいのにと思いながら、ラマには、朝熊が何を知りたいのかが、おぼろげに見えてきた。
「山のようにありますよ。ただ、さすがに『このプロジェクトはITTで決まっているんだから、お前らはそれに従え』みたいにあからさまに言われたことはないですよ。当たり前じゃないですか。そこまで明言したら、不正があるっていう証拠になっちゃうんだから」
要するに、朝熊は、ITTへの発注に理事長が関与しているかどうかという点に、印象や空気以外で、情報センターが何か具体的な証拠といえるようなものを持っているかを知りたがっているのだ。
「なるほどね。その時は決定だと思っていたけれど、はっきり決定として出ていたわけじゃないことに、あとから気がつきました、と言いたいわけですね」
「ええ、そこに気がついたんですよ」
ラマは会話のあまりの不毛さにうんざりしていた。もう、疲れた。早く帰ってくれないかなと内心思う。
「そういうことは、バクがいる時に、本人に直接言ってください。俺が伝えても、説得力ないですから」
話を切り上げようとするラマの意に反して、朝熊はその場を動かない。
●相馬教授の責任問題
朝熊は唐突に話を相馬教授の話題に持っていった。
「でもね、ひとつだけ言えるのは、相馬教授は、学生の不便をなんとかしてほしい、ということで去年の12月にプロジェクトリーダーとして任命されているわけですよ。でもこの半年間に、責任者としてなにをやってきたかといえば、何もやってないんですよ」
「でも、教授は問題提起までが仕事で、施工は事務方って思ってたわけでしょう?」
なぜ、ここで相馬への批判が出てくるのだろうか。しかし、朝熊は続けた。
「でも、責任者でしょうって話ですよ」
「責任を言うなら、『仕事をしなかった相馬教授が悪い』だけじゃなくて、そんな人を任命した責任は誰なんだって話にもなっていくんじゃないの」
「いやだって、受けたほうが悪いでしょう」
「いや、俺は大学の先生って、そういうものだと思ってるから……悪いのは、教員を責任者にした任命者ですよ」
ラマの言葉に朝熊は渋々頷く。
「うん、責任は両方にあるわけだよね」
ラマは諦めて座り直した。こんな陰口に付き合いたくないので、話を戻す。
●「ITTありき」再び
「朝熊さんのレベルでさえ、『ITTありき』が理事会レベルで決まってるんだって思い込んでいたんですから、猿渡さんをはじめ、そういう人は周りにいっぱいいるんだと思いますよ」
朝熊が膝を打たんばかりに同意した。「そう、そうなんだよ」
それを横目にラマは続けた。
「だから俺達だって当然、『ああ、そうなんだ』って思うわけです。それを『いつから彼ら(情報センター)は、そんなふうに思い込んじゃったのでしょう』は、ないんじゃないですか?」
「だって詳細は出てなかったじゃないですか。こうやって、いろいろ聞いていって、あれ?なにかおかしいなと思って、よく調べたら、結局、まだ決まってはいなかったということだったんですよ。それで昨日、改革準備室からも話を聞いたら、それが理事長命令ではなく誰それさんから言ってきたことなんだと。ま、それもどこまで本当か、わからないですけどね」
「誰それさん」が鵜飼理事であることは明白に思える。また、時系列的に見て、相馬教授がメールで使った「ITTありき」という言葉が「加算学園ありき」を彷彿させて、理事長や鵜飼理事、ひいてはポエムメールで言質を取られたことを明かされた朝熊自身を守ろうとする保身のスイッチが入ったことは、やはり間違いなさそうだ。
ラマは確認する。
「結局、俺のポエムメールを受けて相馬教授が『ITTありき』って言葉を出しちゃった瞬間にみんなが、保身モードに入ったわけでしょ。『ありき』なんて言ってないですよって。
でもその前までは皆、朝熊さんも改革準備室も、その他の関係者も含めて『ITTありき』だと思いこんでいたわけですよね」
保身モードに入ったのは、誰よりも朝熊、あんた自身だよね。ラマが心の中で毒づくのに気付いたか気付かないか、朝熊が呟いた。
「そう、情報センターから『ITTありき』っていう言葉が出た瞬間に……」
「それ不正じゃん!って話になって、一気に皆が保身に走ったわけですよね」
朝熊は「んまあ…..」と深く長い溜息をつく。
「ITTありき」が情報センター独自の妄想、あるいは勘違いであるという歴史改竄の策があっさり潰えてしょんぼりする朝熊を見て、ラマは、悪人になりきれない男なんだなあと思う。
「まあ、でもよくわかりましたよ、朝熊さんもそう思い込むくらい、『理事会レベルでITTに決まっている』と皆、思い込んでいた、と」
「うん」
「だから、3月の時点でITTに事実上決まってたっていうのは、俺達だけじゃなく、大学全部でそういう認識が共有されていた、と」
周知の事実を情報センターの妄想で片付けられそうだったことへの怒りから、ラマは執拗に確認する。
「….だね。意識か無意識かは別にして、皆、そう思っていたことは間違いない」と朝熊は肩を落とす。「猿渡事務室長なんか、急に鶴田浩二みたいになっちゃって、苦渋に満ちた表情で『君たちがなんと言っても、このプロジェクトはやるんです!』なんて言ってたんですよ」
肩を落とす朝熊にラマは冷たい視線を向ける。しばらくして、朝熊は顔を上げた。
●「無駄ではない」と言ってくれ
「ITTが入れ替える光ケーブルって、無駄な投資ってことではないですよね」
ラマは答える「向上にもならないけれどね」
今、まさにバクがやっているメディコン導入によって、棟間は来週にでも1Gになる。一方、ITTによる新しい光ケーブルも、所詮1Gで運用される。
朝熊は言葉を継いだ。「でも、(プロジェクトの一部で1500万円と見積られている)今回の棟間の光ケーブル引き直し、無駄にはならないんですよね」
ラマは吐息をつく。「オカネを出して向上しなかったら、それは無駄って言わないのかな。『将来性』というならまだわかるけど」
「そうそう、将来性」
ラマは肩をすくめた。
「遠い将来には無駄ではないだろうけれど、いま、棟間の光ケーブルを10Gにしたところでボトルネックのインターネット回線は1Gのままだから、今現在に関して言えば、効果なんてないよ」
朝熊は言い募る。「学生たちが体感的に早くなったと思うことができれば、それでいいんだけど」
インターネットの通信速度とは、川の流れと同じだ。流れを速くするためには、その流れを押しとどめているさまざまな小さな関所を個別に解決していかなくてはならない。
「細かい解決手順を踏むつもりがないから、丸投げにしたいんでしょ」
そう言いながら、ラマは思う。実際のところは、丸投げという形にしないとITTの利益がしぼむため、あえて工事内容には情報センターを一切関わらせず、詳細がすべて決まった後に「チーム入り」を打診してきたのだろう。
そんなラマの気持ちに気づいたのか気づかないのか、朝熊は「まあ」といって溜息をつく。
●相馬教授の真意は
「ひとつだけ確認したいんだけど」ラマは言葉を挟む。「相馬教授の真意はどうだったんだろう。『ITTありき』が『なんとなくみんなそう思い込まれていた』という話だったとして、それじゃあ、相馬教授がメールで、まるで情報センターだけが勘違いしているみたいな書き方をしたのは、本当に素直にそう思っていたのか、それとも本当は全部わかっていた上で『このままだと、この件に関わっていた者は不正に加担したってことになりかねない。だから、自分だけは「ITTありき」と思っていたことなどありません、というアリバイ作りをしておこう』と思ったのか。朝熊さんは、どっちだと思う?」
この問いに、朝熊は少し考えて「うーん、相馬教授に関して言えば、本当に純粋に疑問だったんだと思う」と答えた。
ようやく朝熊は席を立ち、情報センターを出るドアの前で立ち止まり、部屋を見回して言った。
「ったく、こんな汚い部屋で、長年好き勝手にやって来て、何の文句があるんだ。幸福に思って感謝しなきゃ」と毒舌を吐き笑った。
「へえ、事務局長てのは偉いんだね、人が何に幸福を感じて感謝するべきかまで、命令できるんだ」とラマも笑った。
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