第36話 豆電球の明滅
2022年 7月 5日
朝熊と議事録メールに関するやりとりがあった翌日、なんとも奇妙なメールが同僚からラマに転送されてきた。
相馬教授からネットワーク改修工事プロジェクト関係者に送られたメールで、その宛先から情報センターの2名の名前だけが除外されているというのだ。
ポエムメールの余波は、ラマの知らない所で広がっていたらしい。
「ITTネットワーク工事発注経緯について(所感)→朝熊さん・遠藤さんへの簡単なご質問(相馬)」という題名のメールは、
わざわざ、「朝熊さま、遠藤さま(情報センターの二人は省いています)」という文章で始まっていた。
「まず、先日、朝熊さんよりご提案頂き、相馬はネットワーク改修工事プロジェクトから外れることになりましたので、ラマさんと遠藤さんのメールのやりとりを拝読し、気になったことをご質問いたしますが、ご返事頂かなくても問題はありません」と記したあとで、文章は以下のように続いていた。
「ラマさんがメールで延べている6月8日の会議では、
・ITTの見積りが大学の要望を踏まえていない
・ITTの見積りは、ランニングコストが高額すぎる
などが発覚したということで招集されたと理解しております。
そういうご判断自体が誤りだった、あるいは変更なさったということでしょうか?
細かな話はともかく、ネットワーク改修工事プロジェクトの目標はシンプルです。
『一刻も早く、鶴亀美大のネットワークインフラを他大学(少なくとも他の美大)並みに整備する』ということです。
それを実現するためには、現状把握(他美大の現状調査も含む)→整備計画の立案→実行というプロセスを踏めば良いだけなのですが、それがうまくいっていません。
その理由は色々あるということがわかりましたが、少なくとも前述のような論理的理由による議論を変更する場合は、論理的な根拠を示して関係者に説明したほうが良いと思います。
理事長は、私と同様に、大学のネットワークインフラを正常にすることだけを求めているのであって、細かな方法まで指示なさっているわけではありません。
そこを誤解されないよう注意深くマネジメントしなければ、不信感が学内に蔓延していくことになりかねないと危惧しています。」
昨晩の朝熊の質問、「『ITTありきで動いているというのは、情報センターのお二人が、いつ頃、そう思ったのか、気になるところですね』と相馬教授が不審に思っておられるようですが、いつごろからでしょうか?」という、いまさらながらの見え透いた問いの意図がラマの腑に落ちた。
これは相馬の「少なくとも前述のような論理的理由による議論を変更する場合は、論理的な根拠を示して関係者に説明したほうが良いと思います。」という問いに対する、加工しやすい回答を情報センターの口から、引き出したかったわけだ。
しかし、相馬の質問は、リセット会議決定をあっさり反故にしたことに対する説明を求めているのであって、情報センターがいつ不信感を持つに至ったのかを問うているわけではない。仮に二人の間でそれを問うやりとりがあったとしても、相馬は、問題の本質が、議決が反故になった理由であるということを見失うほど愚かではないだろう。
なにより「ITTありき」というパワーワードは、誰の目にも「加算学園ありき」を彷彿させる。この相馬メールの余波はポエムメールなどよりも大きく、とくに加算学園問題で名前の挙がっている、鵜飼理事を含む上層部を動揺させても不思議ではない。
朝熊の意図に関して一致したラマとバクの見解は、相馬に対する評価で分かれた。
単純に「おかしいことは、おかしいと言う」という相馬の姿勢を評価しようとするラマに対して、CC: からあえて情報センターを省いていることや「ご返事頂かなくても問題はありません。」という姿勢から、バクは「自分だけが、いい子になろうとしている」という印象を受けたという。
バクがメールに書いた「保身ばかり考えている方々」という表現は、ラマの深読みが誤りで、文字通り相馬に向けられていたらしい。
「そう言われてみれば.......」
バクに指摘されて、ラマは自身の思考が不活発であることを思い出した。
帰宅したラマが妻に相馬のメールを読ませて意見を聞いてみると、彼女もバクと同意見であり、翌日、同僚の何人かに聞いてみるとやはり、バクの見解に賛意を示した。
7月1日のポエムメールを書いていたとき、録音データの存在を明かすべきか、ラマは迷ったものだった。
録音など存在せず、「結局、理事長命令なんだから従うしかないんだよ」という朝熊の決定的な発言が、ラマの記憶でしかないならば、「理事長命令とは言ったが、ITTとは言ってない」「理事会決定とは言ったが理事長命令とは言ってない」など、いくらでも言った言わないの話にできる。なにしろ、同じ話し合いの中で「発注プロセスが異常なんて言ってるのは、情報センターだけだ」を「発注プロセスが異常っていうことは、みんな思っている」に平然と転換できる男だ。どんな言い逃れでもするだろう。
録音データの存在を明かすのは、苦し紛れの言い逃れを聞いたあとでも遅くはない。
そう思いながらも、結局、ポエムメールで録音データの存在を明かすことにしたのは、ラマが戦略的に考えることにウンザリしていたことと、朝熊のウソをこれ以上、見たくはなかったからだ。ラマは自身の弱さを「オレは優しい奴だな」という自嘲で糊塗してメールを送信したのだった。
しかし、その後、朝熊が、相馬教授とのやりとりで出てきたという「ITTありきで動いているというのは、情報センターのお二人が、いつ頃、そう思ったのか、気になるところですね」という教授の質問をそのまま転送してきた時、録音データの存在を明かすタイミングを誤ったと、ラマは小さく後悔した。
新聞を賑わす「加算学園ありき」を連想させる「ITTありき」というワードを相馬が純粋に疑問に思い使ったのか、あるいはバクや妻や同僚が言うように、疑惑の委託契約と自分が無関係であることのアリバイ作りとして疑問を呈しておいたのかは、わからない。どちらにしても、情報センターを除く関係者全員に送信された相馬メールが、朝熊の立場を危うい状態に追い込んだであろうことは、容易に推測できる。
次々と花を咲かせる日々草に陽を当てるため、窓を開け放した情報センターに朝熊がやってきたのは、ラマが食後のコーヒーを飲み終えたところだった。
彼がやって来るであろうことと、そこで述べるであろうことについて、およその見当がラマにはついている。しかしそれは、できれば聞きたくもないホラ話に違いない。辻褄が合わない話を追求して、その場しのぎの子どものようなウソを並べさせて、その矛盾をさらに指摘してみても、それで快哉を叫ぶような気には、ならないだろう。
ラマには、朝熊の話を枕経のように聞き流す準備ができていた。
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