第35話 下請けとしての施主

2022年 7月 4日

 ラマが朝熊の議事録を保留にし、D棟の調査に出かけている間にバクが出勤してきた。

 6月29日の打合せの際、朝熊は、ITTと同じチームに入って仲良くやっていくか、情報センターがネットワーク運用を手放すことになる組織改編を受け入れるかの二択を迫った。

 しかし、来年度で早期退職を決めているラマはともかく、残されるバクにとっては、この場合の「仲良くやっていく」ことは 、事実上「彼らの下請けとして働くこと」を意味する。

 かつてバクが勤務していた大手通信会社設立の美術館で、上層部にコネクションをもつ下請け業者が我が物顔で、発注側であるバクを現場の手足として使役したことがある。バクは現場仕事を愛する性質なので、それに大きな不満を抱いた訳ではないが、そのような構造が日本社会にあることを、身を以て知っている。

 本件が同じ構造であることは、これまでの経過から明らかだった。大学側の要望を一顧だにせず、理事長が一方的に連れてきた業者の高額提案を丸呑みした挙げ句、それを施工する段階になって「チームに入れ」と言われても、はいわかりました、と素直に答えられるはずがない。


 朝熊の送ってきた議事録の項目9には、

「建屋スイッチ以下は、情報システム課の管理で来年3⽉までは⾏い、以後の組織改編についても承知した」

と書かれている。

 ネットワーク管理の情報システム課への業務移管は、バクとラマの性格を知り尽くした朝熊による、これ以上バクがITTと接触しないための配慮にも感じられた。

 ラマはD棟の調査から戻ると、「今後の情報センターの方針はバクが決める」旨を、朝熊に伝えたことをバクに告げ、帰宅した。

 その後、朝熊とバクは、以下のようなメールを交わしている。


 バクです。

 チーム入団をお断りしたのは、サーバー更新プロジェクトで時間を割けない、というのもありますが、今からチームに入ったとしても、プロジェクトがそもそも健全ではないので、貢献できる部分があるとは思えず、むしろ、健全にしようとすることで、足を引っ張る形になってしまうと思ったからです。

 チーム入りの目的と権限が明確ではないので、情報センターに何を求められているのかもわかりませんし、なまじ権限があると、たとえこの件が、ITTへの発注ありきなのだとしても、設計・構成から変更をご提案することになるので、やはり、私の存在は足枷にしかならないのではないかと危惧します。

 仮に、要求仕様や提案依頼まで遡って設計する権限を頂けるのであれば、仕事をする余地はありますが、それには今年度施工では、間に合わないと思われます。

 技術的な質問であれば、チーム入りする必要もなく、都度対応でよいと考えます。

 ITT(または改革準備室)の言うような情報隠蔽をするようなことはありません。

 勿論、関係のない(であろう)箇所の情報は開示しませんが.....

 一般職員が、事務局長に意見を言える立場ではありませんが、生意気を言わせて頂くと、といった感じです。


 バクらしい実直な表現に、朝熊も「チーム入団については了解しました。考え方としては一理あります」と諦めたようだったが、その後、バクの使った表現が気になったのか、またメールを送ってきた。

「相馬教授ともメールのやりとりをしているのですが、『ITTありきで動いているというのは、情報センターのお二人が、いつ頃、そう思ったのか、気になるところですね』と相馬教授が不審に思っておられるようですが、いつごろからでしょうか? 補助金申請のあたりからでしょうか」

 このあまりにも見え透いた問いに、バクは実直に返信している。


「正確な時期は覚えていませんが、補助金云々より、その大分前からで、割と早い段階、昨年末の改革準備室からの説明で、『ITTで決まり』のような説明を受けましたよ。

 少なくとも、その後の年明けの、猿渡事務室長から説明された時点で、『理事会で、ITTに決まってるから』(正確には『このプロジェクトは進めるから』だったかもしれません。)と言われていましたし、その際にも、(他の業者を探さずに) 概算が出ている時点で、ITTなんだなぁ、とは思っていました。

 ITT、委員会、改革準備室での対面ミーティングの段階でも、ITTにするんだ、という圧は感じてましたし、契約もしていないのに、パスワードを含めた全資料をITTに提供することを強要された時点でも、(契約締結はまだだとしても) ITT発注は正式なものである、とも思っていました。

 ですから、「『ITTありき』で動いていると、情報センターのお二人がいつ頃そう思ったのか気になるところですね。」などと今ごろ言われても、何を今更と、開いた口が塞がりません。

保身ばかり考えている方々は、立場が悪くなると何でも言いますね。」


「いつから」という問いに、これまた丁重に答えているバクの真面目さにラマは感心した。

 リセット会議からたったの2週間で、皆も同意した発注プロセスの不透明さの問題を棚に上げて、3億の発注を決めてしまった結果が『ITTありき』を明確に物語っているではないか、とメールのやりとりに介入したかったが、「情報センターの方針はバクが決める」と宣言したそばから、しゃしゃり出るのは気が引けた。


「保身ばかり考えている方々」の一行が、改革準備室でも相馬教授でもなく、朝熊に向けられているようにラマには感じられたが、バクがメールで皮肉を言うとも思えない。バクの真意を確かめる気にもならず、たった1年足らずで腐敗しきってしまった組織にラマはただ、ウンザリしていた。



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