第29話 反訳ダイジェスト その1

2022年 6月29日

 朝熊が情報センターに現れた。オセロは黒に覆われている。

 ラマは密かにスマホの録音ボタンを押した。


「どうしようかなと思って。いやもう、理事会で決まっているんで」と朝熊は諦めたように言う。

「理事会が….?」とラマが皮肉を込めて返すと、朝熊は頷いた。「そう、理事会が」

 朝熊は言葉を選びながら続けた。「いやあ、ぶっちゃけて言うと、ITTさんが情報センターの考え方が古臭いと、今の時代に追いついてないと、そういう言い方をするんですよ」

 ラマは苦笑いを浮かべた。「『他の大学ではこんなところ、ありませんよ』って言うわけですか」

 朝熊は話を進めた。「そうなんだけど、この間のオンライン会議で、450万円/月、消費税を入れれば年間6千万円分の仕事を情報センターにやらせるつもりだったんですかって聞いたら黙っちゃうんだよ」

「黙っちゃうんだ」とラマは呆れて笑った。「よく、そこで黙っちゃうことができるね。だってそれ、自分たちITTが提案したことですよ。なのにコストを突かれた時に黙っちゃうんだ」

 バクが冷静に指摘する。「でも、我々はこれまで、それを二人でやってきているわけですよね」

 朝熊は困ったように言い訳した。「いや、ITTは、『それはウチが運用を頼まれればそうなります、という話です』とか言うんだよね」

 朝熊は目を反らして話題を変えた。「で、何を言いたいのかというと、そのチームのなかに情報センターは入りますか、入りませんか、ということです」

 バクは即答した。「選択肢があるのなら、入りません」

 朝熊は眉をひそめた。「入らないなら、こちらの決定したことには文句を言わずに粛々とやってくださいね、ということなんです」。

 予算や設計に関わる上流工程で情報センターがプロジェクトから排除され、下流工程でのみチーム入りするのなら、残された作業は「あちらの決定したことを粛々と」やることと何も変わりはない。

 朝熊は困惑した表情で続ける。「技術的な話として、どうしてこんなにITTと情報センターではこんなに意見が違うのか、わからないんですよ」

 ラマは我慢強く説明した。「それはこの間のリセット会議で話し合いましたよね。彼らが勝手な提案を押し付けてきて、それに対して、こちらが対案の要望をだしたら、それを否定するためだけに馬鹿みたいな金額を見積もってきたわけでしょ」


 ITTの当初の提案を、ラマは出入りの業者に見せたことがある。業者は、「精査したわけではないが、ウチなら半額以下でやりますよ、情報センターが設計してくれるなら四分の一になるんじゃないですか」と言ったものだ。


 ラマはさらに忍耐強く繰り返す。「今回の発注プロセスが異常ってことは明確じゃないですか。リセット会議でもその異常さから、この話はリセットしようってことになったわけですよね」

 しかし、朝熊の答えは意表を突くものだった。

「異常と言われても、どこが異常なのかわからないので…..」

 二人は顔を見合わせる。「えっ? 」

 朝熊はヒステリックに声のトーンを上げ、何度もわからないと繰り返した。「正直、何言ってるのか、さっぱりわからないです。みんなそう思ってますよ。異常だなんて言ってるのは、あなたたち二人だけなんです」

ラマは冷静に返した。「じゃあ、なんでリセット会議の席で『発注プロセスが異常です』ってオレが言った時、『どこがですか』って誰も聞かなかったんですか?」

 朝熊の目が泳ぐ。そして、唐突に話題を変えた。「相馬教授に『これは教育機器の問題ではなくてインフラの話ですよね。情報センターとITTはうまくいってないから、自分(朝熊)が引き受けてまとめましょうか』って話をしたら、教授が飛びついてきたの。『ぼくも、ちょっとおかしいと思ってたんだよね』って」


 そういうことだったのか、と思う。朝熊は、見かねて嫌々火中の栗を拾ったわけではなく、何らかの理由で自分からしゃしゃり出たわけだ。

 ラマが皮肉っぽく「へえええ」と返し、バクはあくまで冷静に提案した。「いずれにしても、大学としての提案依頼書が必要なんじゃないですか」

 ラマはこれに同意する。「そうそう、相馬教授が言っていた『三社見積りから仕切り直せ』っていうのに従うとすれば、そうなりますよね」

 ところが、朝熊から出たのはさらに衝撃的な言葉だった。「相馬教授は『調査報告書が出てないとは言ったけれど、仕切り直しと言ったことはない』って言ってるんですよ。

 ラマは驚愕した。「じゃ『3社見積りからやり直せ』っていうのも?」

 朝熊はさらりと首を振る。

「ええ、『3社見積りからやり直せ』なんて言ってないそうです」


 あまりのことに唖然とした。「うそうそ、ちょっと待って」

 リセット会議翌日のメールで、会議主催者の遠藤さえ「昨日の打合せで、”調査報告書の提出から仕切り直し”ということになりましたので」と書いているではないか。

 唖然とする二人を前に、朝熊は、情報センターが非協力的であるとITTがクレームをつけているという例の話まで蒸し返し始めた。ラマとバクは事実に反する話に困惑しながらも、冷静に応対しようとした。


 朝熊とラマとは98年からの4年間、情報推進室の二名の課員として働いていた経緯がある。新学科設立に伴う高野文書堂による過剰投資ぶりの全貌を、朝熊はネットワークとサーバー部分だけしか知らないラマ以上に理解しているはずだ。そして、4年後の2002年にそれらの過剰設備の保守契約を更新する時期が来たとき、あまりの高額さに朝熊は驚き、ラマがその意を受けて、契約を更新せず、身の丈に合った保守システムにポリシー変更した。

 当時のことを忘れているらしい朝熊に、ラマは過去の経緯から現行のシステムを採用した理由を改めて丁寧に語った。この自分たちのやり方で、20年以上の間に節約したコストは、学生のための陶芸の釜や工作機械や絵の具に変わっていったはず。それはITTさんの知ったことじゃないかもしれないけれど、朝熊さんは知ってるはずですよね。

 しかし、朝熊の反応は曖昧なままだった。


 これからは対外窓口を遠藤に一本化すると決まったはずなのに、その遠藤がこの場にいないのも謎だった。朝熊は何のために来たのだろうか。ラマとバクがITTに対して、今後、なにか妨害行為でも行うとでも思っているのだろうか。

「結局、情報センターはチームには入らないんですね」朝熊が念を押し、バクが頷いた。

 そうなった場合、今回の工事が3棟で実施されるとして、この3棟のネットワーク管理は、情報センターから業務システムを担当している情報システム課に移管され、実務にはITTから常駐派遣のヘルプデスクが入るという組織改編がおこなわれることになるという。

 つまり、現行の情報センターの業務は、基幹系サーバー管理とネットワーク管理の2本柱だが、そのうちのネットワーク管理が奪われる形になるということだ。

 とはいえ、情報センター2名のうちの一人であるラマは来年度で職場から消える。ラマの退職後、基幹系サーバー管理だけなら、それを一人で担うのに十分な能力がバクにはあるし、大学としても、ラマの後任をつけずに人的資源を節約できる。

 一方、現行で、情報センターの2名がサーバー業務に加えて、2キャンパス26棟のネットワークを管理しているのだから、3棟だけなら施工業者のITTが派遣する技術者が一人いれば十分だろう。

 なにより発注側として入れば、ITTとぶつかるであろうことは目に見えているし、それに加えて、この時期、情報センターでは5年に一度のサーバー更新も進行中だったので、物理的にも無理だった。


「まあとにかく情報センターのせいにされないような対応をしていくことですね」

 ラマには、この捨て台詞のようにも聞こえる朝熊の忠告が「改革準備室や鵜飼理事に絶対服従しろ」と言っているように聞こえた。おためごかしに次第に腹が立つ。

 朝熊はしらっと続けた。「今、私が、ここに来て話をしているのも、なるべく変に上から押し付けられた命令だと思ってほしくないからなんですよね」

「そう思われないためには発注プロセスを健全化させることじゃないですかね」ラマは皮肉っぽく返した。「売買契約に関する学内規程では100万円以上の物品では、3社以上の相見積りが義務付けられています。情報センターが1年前にプロジェクタを購入したときも、3社から見積りを提出させたのに、今回に限って、あんな途方もない金額のITTの提案を丸呑みしようとした挙げ句に、『上から押し付けられたものじゃない』って認識するのは、なかなか難しいことですよね」

 朝熊は鼻白んだ。「私もね、ITTのいうことを、まったく信じているわけでもないんですよ」

 その言葉にようやく本音が感じられ、ラマは脱力する。「もういいじゃん、『理事長がやるって言ってるから止められない』って言えば」

 ラマの一言に、朝熊がぽろりと漏らした。

「うん、だって、『僕が紹介したところだから』とかいうんだもん」


 この発言が実質的に個人を特定していることに、朝熊自身は気が付かなかったようだ。

 朝熊がぼそぼそと続ける。

「経理部では、自分が作った会計システムも25年間使ってなんの問題もないんだけれど、自分が辞めてしまうとメンテナンスができなくなっちゃうから、新しいシステムに入れ替えてもらったんですよね。だから、こういう変化は仕方がないことだと思うんですよ」

 ラマは朝熊が自らの手で会計システムを開発していた頃のことを知っている。ただ、ラマはこの件に関しては、表向きの廃止理由は日本製データベースソフトがマイナー過ぎることではあったが、本質的には、その独自システムを引き継げる後継者であるべきヒデを育成することに失敗したからだと考えている。そして、その件を今回のケースに当てはめてほしくはない。

「自分以外に誰もメンテナンスできないというならその通りですけどね、ITTの提案は、誰でもメンテできるものから、わざわざ特定の業者にお金を払わないとメンテできないものに変えるっていうことなんですよ」

 ラマの言葉に、バクが続ける。「だって、プロの技術者である我々でさえメンテナンスできない機器に変わっちゃうんですよ」

 学内には、500台以上の機器が設置されているが、あえて普通の機器をVLANを使用しないでシンプルな構成にしているおかげで、情報センターが常駐していない五島宮キャンパスでは緊急の場合、総務の事務員に電話で指示するだけで、機器交換などができるようにしてきたのだ。そして、今回の変更ではネットワークの中核となるコアスイッチがITTの提案するベンダーに変更されるので、従来と同様のかたちでメンテナンスできるかはわからない。

 二人の説明を聞いて黙り込んだ朝熊に、ラマは改めて問いかけた。

「さっきから何度も言ってますけど、今回の発注プロセスの異常さは、皆、認識しているんですか?」

 朝熊が答えた「それがねえ、認識はしてる。改革準備室でさえしてるんです。今回はちょっと特殊だねって」


 語るに落ちた。さっきまでは「情報センターだけが言ってる」だったのが「みな認識してる」と。

 自分の発言の矛盾に気付いたか気付かないか、朝熊は堰を切ったように続ける。「バクさんがいうように、大学の方針がはっきりしていないところで発注しているってことはわかってるんだよね、改革準備室の鳩石さんなんかも『情報センターに申し訳ない』って今日も言ってたぐらいで」

 その「大学の方針がはっきりしていない所で発注」された理由が「(理事長が)『僕が紹介したところだから』とかいう」なのだとすれば、『情報センターに申し訳ない』と言うべきなのは、改革準備室の鳩石ではないだろう。

「それ、どれぐらいの人がわかっているの?」ラマの問いに朝熊が俯く。

「うーん...... わかっている人は半々くらいかな。ただ、決まったならやらなきゃいけないんだ、という認識は、皆している」

 ラマは冷たく返した。

「『決まったんだから、やらなきゃ』じゃなくて、オリンピックと同じで『決められちゃったんだから、やらざるを得ない』ですよね、正確には」


 朝熊が立ち去ったあとも、二人の間には重い空気が漂っていた。

 3時間の間に、発注プロセスの異常さを指摘しているのは、「情報センターだけ」から「みなが認識してる」に転換した。後半、どうやら正直モードになったらしい朝熊には感謝したいところではあるが、当初「情報センターだけが言っている」という空気作りをしようとした意図の邪悪さは簡単に見逃すことができない。

 閉鎖的なムラ社会で「孤立」は特別な意味をもつ。情報センターを孤立させてしまえば、「発注プロセスが異常」という言葉も、それが仄めかす重要な疑惑も砂に埋もれるようにして消えてしまうだろう。

 さいわい、小学生の「イジメられっこ作り」のような目論見は、その稚拙さゆえに自滅したが、仮にそのような空気が醸成されているとすれば、リセット会議に参加した10人のうち、何人がこの作られた空気に抗えるかといえば、片手にも満たないだろう。

 ラマは重い気持ちになった。






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