第24話 愚痴のようなもの

2022年 6月10日

 珍しく情報センターに朝熊がやってきた。

 数年前、経理部が情報センターの廊下を挟んだ向かい側の部屋に移動してきた当初、経理部長の肩書が息苦しかったのか、お茶を飲みに来ては愚痴を吐き、やがて自分の容姿に似た人形の貯金箱を置き、そこにお茶代として小銭を入れて行くほど頻繁に顔を見せたが、ここ数年はふらりと現れることも少なくなっていた。


 昼食のゆで卵とオニギリを取り出したラマは、ヒュー・マセケラを流すiTunesのボリュームを上げてから、デスクを離れてラウンドテーブルに移動する。 

「珍しいじゃん」

「ふう、もう疲れちゃったよ」

 朝熊の愚痴は毎回、このセリフから始まる。

 広報部でWEB担当をしている牛尾は、学内のWEBサーバーからITTのホスティングへ移行する作業を3年前に完了していたはずが、未完のままで検収を済ませて、しかも未移行で存在しないサーバーの保守費を大学はITTに払い続けていたという。

 情報センターが進める基幹系サーバーの更新プロジェクトで、WEBサーバーを「ITTに移行済み」として更新対象から外したことから、このことが発覚し、朝熊は経営企画室を詰めに行ったのだという。

 WEBは広報部の担当であり、その広報部は昨年、経営企画室に名称変更されていた。

 朝熊の当然の抗議に、なんと牛尾の上司は、「それは広報部の牛尾の責任であって、今は広報部という部署は存在しない。したがって経営企画室の牛尾に責任はない」、と言い放ったという。

 名称変更など部署の看板が掛け変わったに過ぎないのだが、新看板のために採用された管理職とはいえ、そこまで開き直れるものなのだろうか。

 近年、新たな部署が乱立、統廃合も進む中、中途採用の管理職が増えて、とくに広報関係の管理職が中途採用で占められていることは聞き及んでいたが、この開き直りは牛尾の怠慢以上に、ラマを驚かせた。


 朝熊の愚痴は続く。

 先の会議で「仕切り直し」を命じた相馬教授に、

「ITTのネットワーク改修工事プロジェクトもぜーんぜん動かないからさ、仕方なく自分が『プロジェクトリーダーを代わりましょうか』といったら、ほいほい大喜びで交代を申し出てきたよ」という。朝熊は、自分が火中の栗を拾ったと言いたいらしい。

 まあ、プロジェクトが仕切り直しになった以上、交代のタイミングとしては悪くない。

「『いっやあ、教員がプロジェクトリーダーになるのなんて、オッカシイと思ってたんですよー』だって。無っ責任だよなあ」

 たしかに、自分が不適格と判断すれば、交代を自ら申し出るのもリーダーの責任といえる。相馬教授については「(教員にしては珍しく)謙虚で誠実」という同僚の評価が多い。ラマは朝熊の話を括弧付きの「事実」として胸に納めた。


 続いて朝熊が持ち出してきたのは愚痴ではなく、リークのような情報だった。

「ITTの件で、理事会が圧力を駆け始めてるよ」

 朝熊は声を潜めて話すが、だから何だというのだろう? 情報センターは、最初から今まで、ネットワーク改修工事プロジェクトのメンバーですらないのだ。

「改革準備室も動き出すだろう」

 具体的な内容が無いにも関わらず、あたかも貴重な情報を特別に教えているといった言い草に対してラマは「だから何?」という反応を続ける。無反応でいることが、「理事会や改革準備室の名前に宿る恫喝効果を朝熊と共有するつもりはない」という、ラマにできる精一杯の意思表示だ。

「近々、改革準備室、ITT、遠藤、自分(朝熊)の会議がある」という朝熊の囁きに対しても、

「仕切り直しを決めた相馬教授が消えたら、遠藤くん厳しい立場だね」と、他人事として応じる。

 長い愚痴に対する同情や情報提供に対する感謝が、ラマに芽生えることはなかった。

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